願いの果て(3)

 何も見えない真っ暗闇の中、このかの声が聞こえるような気がする。


「樹くん、わたしを助けてくれたんだね。先生から聞いたよ」


 これは、いつの話だったか。幼稚園だったような。

 つまり、走馬灯だろうか。さっき、意識を失った気がしたんだが。

 確か、このかが男子にからかわれて泣いていて、だから先生に対処してもらったんだよな。

 それでも、このかには黙っているつもりだった。なんというか、自分の功績を誇るのが恥ずかしかったからだと思う。


 懐かしいな。やはり、俺が死ぬという事実は変わらないのだろう。

 それとも、もう死んでしまったのかもしれない。なにも見えないからな。

 死後の世界とは、こんなところなのだろうか。

 まあ、何でも良い。できることなんて、何もないのだから。

 俺は命を捧げた。だから、死ぬしかない。


「ありがとう、樹くん。いつも助けてくれるね。樹くんがそばにいれば、安心だね」


 次に聞こえたセリフにも、聞き覚えがある。

 なんだったか。ああ、そうだ。プールで足をつったこのかを、助けた時の話だな。

 あの時は、心臓が止まりそうになったんだよな。このかが溺れたらどうしよう。そう考えた瞬間、つい体が動いたんだ。


 ハッキリ言ってしまえば、当時からこのかのことは好きだったよな。絶対に失いたくないと思う程度には。

 そんな相手なんて、恋人でも珍しいんじゃないだろうか。そう考えると、恋していたとしてもおかしくない。

 というか、実際に恋愛感情を抱いていたのだろう。気付かなかっただけで。


 いま思えば、恋や愛を抱いているか分からないなど、バカげた考えだった。

 絶対に、どちらの感情もこのかに向けていたはずだ。

 ああ、悔しいな。俺が死んでしまえば、いずれ他の誰かと結ばれるのかもしれない。

 そんな光景を見ないで済んだことは、せめてもの幸運だったのだろう。


「樹くん、大丈夫?」


 よくあるセリフのはずなのに、すぐに思い出せる。

 このかをナンパから助けようとして、殴られた時の話だ。

 当時の俺は、このかの守護者を気取っていたのかもしれない。あまり、いい考えではなかった。

 だが、このかはとても感謝してくれていたんだよな。やはり、優しい人だ。好きになるのも当然だよな。


 どう考えても、好きな相手を奪おうとするやつが許せなかっただけ。

 そんな単純な考えからの行動でも、このかは優しい人だと言ってくれた。

 むしろ、俺の方が感謝するべきなくらいなのにな。


「ありがとう。樹くんは、いつもわたしを待っていてくれるね」


 このセリフだって覚えている。

 あれは、このかが俺に追いつこうとして転んで、それで泣いていた時の話だ。

 直前に置き去りにしたにも関わらず、俺の優しさだと感じる。

 このかは、本当に心のキレイな人間だよな。


 だからこそ、何度でも助けたいと思ったんだ。

 これから先は、俺はこのかを助けることができない。覚悟していたはずなのだが、悲しいな。

 俺は、このかの未来に俺自身が居ない状態を、受け入れられる気がしない。

 まあ、今さら何を考えたところで、状況は変わったりしないのだが。

 やっぱり、俺はこのかのことが好きだったんだな。恋愛としても。今さら気づいても遅いが。


 そろそろ眠くなってきたな。そんな考えが浮かんでくると、また声が聞こえる。


「樹くん、起きて! 死んじゃ嫌だよ!」


 こんな記憶は、あっただろうか。思い当たらない。少し考えて、振り返って。

 いや、違う! いま、このかが悲しんでいる声だ! そう直感した。

 だったら、せめて声だけでも届けたい。そう念じると、光が見えた。

 そこに向けて手を伸ばすような意識をする。すると、このかの声が近づいているような気がした。


「頑張って! わたしもずっと傍に居るから! 諦めないで!」


 もう一度このかに会いたい。その思いだけで心を研ぎ澄ませると、このかに触れたような感覚があった。

 同時に、眠気が一気に消え去っていく。そして、俺は目を開いた。


 目の前には、涙ぐんだこのかがいた。結局、俺はこのかを泣かせてしまったんだな。

 いや、このかの顔が見えるということは、俺は生きているのか? 命を捧げたはずなのに、なぜ。

 というか、リーベも見当たらないな。別にどうでもいいが。


「樹くん! 良かった。命を捧げたって聞いて、ビックリしたんだよ」


 涙は流れたままだが、このかは微笑んでくれる。なんというか、状況も考えずに見とれそうになってしまった。

 自分の感情を自覚して、よりキレイに見えているのはあるだろう。だけど、実際に美しいのだとも思う。


「そのはずだったのにな。なぜ生きているのやら」


「なぜ生きているのやら、じゃないよ! 樹くんが死んだのなら、生きる意味なんて無いって言ったのに!」


 確かに、似たようなことは言われた気がする。

 だが、両方死ぬよりマシじゃないか。それに、このかの死ぬところは見たくなかった。

 いや、お互い様なのだろうな。このかだって、俺が死ぬ姿は見たくなかったのだろう。

 それでも、同じ状況なら同じ選択をすると思う。それはきっと変わらない。

 このかの事を考えていないと言われても否定できないが、仕方ないじゃないか。


「悪い。でも、お前が死ぬ未来に、耐えられそうになかったんだ」


「分かるよ。分かるけど! でも、もっと他にあったかもしれないよね!」


 少なくとも、俺には思いつかなかった。だから、俺にはどうしようもなかったんだ。

 もしかしたら、他の誰かなら良い手段を思いついたのかもしれないが。そんなもしもを考えても仕方がない。


「すまない。俺には、何も思い浮かばなかった」


「それは……わたしもそうだけど……」


 きっと、俺が命を捧げずにこのかが勝つとするならば。きっと奇跡が何度も起こる必要があったはずだ。

 だから、そんな薄い可能性に、このかの命を乗せられない。

 俺の気持ちは、このかに嫌われたとしても変わらないだろうな。

 許してくれとは言わないよ。だが、他に道はなかったんだ。


「ところで、どうして俺は生きているんだ? 何か知っているのか?」


「簡単だよ。わたしと樹くんで命を共有したから。これで、一心同体だね」


 そう言って、このかはとても幸せそうに笑う。

 一心同体という響きは確かにいい感じではあるが。

 それでも、このかに命を共有させたという責任がのしかかってくる。

 つまり、俺が死ねばこのかも死ぬって認識で良いのだろうか。


「つまり、俺が死ねば……」


「そういうことだよ。だから、樹くんは、もう無茶しないよね?」


 できるはずがない。このかも地獄に引きずり込むと分かって、死ねるはずがない。

 何が何でも、どんな犠牲を払っても、絶対に生き延びてみせる。

 俺の望みは、このかが幸せに生きることだけなのだから。

 だから、本当に無茶はできないな。このかの命を背負っているのだから。


「当たり前だ。このかを死なせる訳にはいかないからな」


「なら、初めから言っておけば良かったかもね。樹くんが死ねばわたしも死ぬって。樹くんのいない人生なんて、生きる価値はないって」


 そんなつもりだったのか。なら、俺の選択は。

 今は、命の共有という手段があったからお互いに生きている。

 だが、それがなければ。このかは死んでいたってことなのか?

 そうだとすると、俺の行動は間違っていた。他の誰かに命を捧げさせる可能性だって、検討するべきだった。


 だが、俺もこのかも生きている。それだけは、喜ぶべきことだよな。

 このかと離れ離れになる覚悟をしていたはずだが、心が折れそうになっていたから。

 まあ、あの暗闇にいた時間は、このかとの命の共有の過程なのだろうが。


「ごめんな、このか。俺がいなくても、幸せになってくれたら良いと思っていたんだよ」


「樹くんがいなくちゃ、わたしは幸せになれない。ねえ、今だから言えるけど。大好きだよ」


 このかの好きだという言葉は、きっと恋愛感情としてのものだ。

 もちろん、俺の答えは決まっている。これだけは、どんな未来でも変わらないだろう。


「俺だって、大好きだ。恋しているし、愛している。お前の幸せだけが、俺の幸せなんだ」


「嬉しい……! わたしも、同じ気持ちだよ。樹くんが居てくれる時間だけが、わたしの幸せなんだ」


 胸の奥から、暖かいものが込み上げてくる。頭がふわふわしそうだ。

 これが、きっと幸福と呼べるものなのだろう。これまでの人生で、一度も感じたことのないほどの。

 やはり、俺はこのかが大好きなんだ。改めて、心の底から理解できたよ。


「なら、俺達はずっと幸福で居られるだろうな。お互いに、ずっと一緒にいられるんだから」


「そうだね。どんな未来でも、絶対に幸せだよ。樹くんは、わたしから離れないからね」


 このかの方から、俺を抱きしめてくる。そして、俺の方からも抱き返す。

 その時に気づいたが、俺の左手も治っていたらしい。痛みを感じることもなく、自由に動かせるようになっていた。


「これから、大変なこともあるだろうな。命の共有なんて、何が起こるか分からないのだし」


「そうかもね。でも、きっと大丈夫だよ。わたしと樹くんなら、どんな試練だって乗り越えられるはずだよ」


 このかの体温と、息づかいと、柔らかさを感じる。

 俺とこのかが、お互いに生きている証。そして、想いが通じ合った証。

 ゲドーユニオンが現れて、このかが魔法少女になって。

 それからの日々は、大変だったし苦しかった。

 だけど、それに見合うだけのものを手に入れられるはずだと、強く信じることができた。


「このか、これから先も、よろしくな」


 そう言うと、このかはこちらの方を見ながら笑った。

 なんというか、おかしくて仕方がないという感じだ。

 まあ、楽しいよな。心配していた問題は消えて、これから平和に過ごすことができる。

 命の共有という問題こそあれ、俺達が望んでいた平和な日々だ。


 だからこそ、これから先も幸せな生活を送れると確信できる。

 俺がいて、このかがいる。それだけで、間違いなく幸福なのだから。

 紆余曲折があったが、収まるところに収まったんじゃないだろうか。


「もちろんだよ。これから先も、ずっと、永遠に、よろしくね」


 このかが望む限りは、絶対に離れない。

 まあ、命の共有があるのだから、うかつに離れられないのだが。

 いま思えば、とんでもない事をさせてしまったな。

 だからといって、過去には戻れないのだが。しっかりと、恩を返さないとな。


「ああ、そうだな。どんな未来でだって、ずっと一緒だ」


「ふふっ。嬉しいな。樹くんとずっと一緒なのは。昔から、樹くんとは結ばれたかったから。いずれ結婚して、子供も作って、孫にも囲まれようね」


 まあ、子供はともかく、孫は子供次第であるが。

 それでも、良い未来図だと思える。このかと結婚して、家族になるのならな。

 本当に、出会えて良かった。同じ時間を過ごせて良かった。

 これから先も、このかと生活することができる。それだけで、十分に満足できる。


「ああ、そんな未来が訪れたら良いな」


「違うよ。わたし達の手で、望む未来を作るんだよ。樹くんとなら、どんなことだってできるから」


 このかは花開くように笑う。そうだな。このかと一緒なら、なんだってできるさ。

 俺の望みは、このかと一緒にいること。このかの望みも、俺と一緒にいること。

 ふたりの願いが繋がっているのだから、未来を切り開くことだってできるだろう。


「ふたりで、いい人生を過ごそうな。俺達なら、できるはずだ」


「そうだね。絶対に、離れない。そんなふたりになろうね」


 このかと俺は、これからも生きていく。ゲドーユニオンの居ない未来で。

 どんな試練が待ち受けていても、ふたりで乗り越えていこうな。このか。

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