心に至る凍え(1)

 樹くんと初めて手をつないだのは、いつのことだっただろう。

 本当に、とても幼い頃からの付き合いだったから。当たり前のことだった可能性はある。

 だけど、わたしの心の中に強く残っている思い出があるんだ。


 それは、確か小学生の頃だったはず。

 樹くんが走り回るのを追いかけて、わたしが転んで。

 それで、樹くんに追いつけない悔しさと、転んでしまった痛みとで泣いてしまったわたし。

 だけど、樹くんは立ち止まって、振り返って、わたしを助け起こしてくれた。


「このか、大丈夫か? 悪かったよ。お前を置き去りにして」


 そう言う樹くんは、とても優しい顔をしていたような気がする。

 一番記憶に残っているのは、助け起こしてくれた時に握られた手の感触。

 暖かくて、柔らかくて、樹くんがわたしを思う心のようで。

 だから、安心して手を預けられたんだ。


「ありがとう。樹くんは、いつもわたしを待っていてくれるね」


「いや、悪かったよ。このかが追いつけなかったんだからな」


 それからは、ふたりで手をつないで歩いていた。

 樹くんが反省していたのが伝わるのが、わたしに合わせて、ゆっくりと歩いてくれていたこと。

 直前に追いつけなかったからこそ、配慮が強く感じられたんだ。

 その頃には痛みなんて忘れるくらいには、嬉しかったんだよね。


 ああ、わたしと一緒に歩いてくれる人なんだって、心から思えた日のひとつ。

 当時から今まで、ずっと大切にしてきた思い出なんだ。


 樹くんは、何度でもわたしを気にかけてくれた。隣に居させてくれた。

 だから、ずっとずっと、どんな未来でも一緒に居るんだって、疑うことなく生きてきたんだ。


 追いつけなくても、足を引っ張っても、守られるだけでも、大丈夫なんだって。

 何があったとしても、わたしを助けてくれるんだって。

 どんな人が敵に回ったとしても、味方で居てくれる人なんだって。


 わたしは、樹くんに依存していると言っても間違いではなかったと思う。

 樹くんから離れると不安になるし、つい泣いてしまう日もあったくらい。

 だけど、少しでも悲しい時には、駆け寄って慰めてくれる人だったんだ。

 その行動があったから、また次の日にも一緒だって、そう信じることができたんだよ。


 いま思えば、それが樹くんを縛り付けていた。

 わたしの弱さを知っていた樹くんは、守るという考えを強く意識するようになった。

 その流れのせいで、樹くんはゲドーユニオンに立ち向かってしまったんだよ。

 つまり、樹くんが傷ついたのはわたしの罪。分かっていたんだけど、目をそらしていた事実。


 だって、わたしが頼れる人だったのなら、安心して戦いを見守られていたはずだもん。

 そうじゃなかったから、樹くんはゲドーユニオンに挑んでしまった。

 挙句の果てには、左手を折る大ケガまでして。わたしのせいなのに、樹くんを責めてしまった。

 結局は、全部わたしが悪いんだよね。守らなきゃって思わせてしまったわたしが。


 次の日、わたしは樹くんのお見舞いに行った。

 謝りたいという気持ちもあったけれど、樹くんの顔を見て、考えが飛んでしまった。

 まるで気力の抜けたような、抜け殻のような表情をしていたから。

 わたしが、追い打ちをかけてしまったからなのかな。そんな考えが浮かんで、胸が締め付けられるようで。


「樹くん、大丈夫? いや、聞くまでもないよね。ごめんね。わたしが弱かったせいで」


 左手が吊るされていて、とても痛そうだ。わたしの力で、治せなかった傷。

 もっと早くゲドーイエローを倒せていれば、それで良かった。

 そして、もうひとつの道として、癒やしの力で治療できていれば。

 どちらを達成できなかったのも、わたしの力が足りなかったから。弱かったから。

 わたしが弱いせいというセリフに、ウソはないんだよ、樹くん。


「お前のせいじゃない。俺が無謀なことをしたからだ。自業自得だよ」


 本当に沈んだ顔をしていて、自分を責めているのがよく分かってしまう。

 樹くんが元気でいてくれさえすれば、それだけでいいのに。

 わたしの望みは、樹くんの幸せなのに。心が通じていない感覚があるんだ。


「もっとわたしが強かったら、心配しなくて済んだよね。だから、わたしのせいなんだ」


 樹くんは、わたしの言葉を聞いた上でつらそうな顔をしてしまう。

 きっと、強く自分を責めているんだと思う。だけど、そんな顔をするくらいなら、わたしを責めてくれて良いのに。

 どうして俺を守れなかったんだって。なんて、樹くんが言うはずないけどね。

 だからこそ、樹くんが好きになったんだから。悲しいことに。


「自分を責めないでくれ。お前を泣かせたくなかっただけなのにな。俺は間違えてばかりだ」


 樹くんからは、消え去ってしまいそうな気配を感じる。

 かつて感じていた自信は消えてしまって、らしくないとすら思えちゃう。

 わたしに守られるのは、そんなに嫌だったのかな。だったら、わたしの行動の意味は。


「そんなことないよ。樹くんは、何度もわたしを助けてくれた。それだけは、本当のことだから」


 例え、ゲドーイエローとの戦いで間違ったって、消えはしない真実だよ。

 樹くんは、わたしに何度も幸せをくれたんだから。ずっと、温かい心で見守っていてくれたから。


「だからこそ、余計な世話を焼いてしまったんだ。反省すべきだよな」


 樹くんが邪魔だったことは否定できないけれど。それでも、いま目の前にいる樹くんは見ていたくない。

 元気づけるためなら、なんだってしたいと思う程度には。どうしてなんだろう。こんなにも近くにいるのに、手を伸ばしても届かない気がする。


「わたしは、樹くんが元気でいてくれれば、それだけでいいんだ。一緒に居てくれれば、それが幸せなんだ」


 わたしの望みは、こんなにも単純なのに。どうして遠いのかな。叶わないのかな。

 ゲドーユニオンを滅ぼしたって、以前の樹くんは帰ってこない気がする。

 今だって大好きではあるけれど、見ていてつらいよ。樹くんの悲しみは、わたしの悲しみだから。


「ありがとう。お前の幸せを尊重しなかった俺は、バカなことだ」


 樹くんは、完全に自分を責めてしまっているんだ。

 違うよ。わたしが悪いんだよ。でも、そう言ったところで、否定で返ってくるだけだと思う。

 むしろ、余計に自分を責めちゃうんじゃないかって、そんな予感があるんだ。

 樹くんの責任感には、何度も助けられた。だから、好きなところではあったんだけど。

 今では少し困ってしまう。そして、悲しくなってしまう。樹くんが追い詰められているようで。


「気にしなくて良いよ。これまで、ずっと幸せにしてくれたから」


「だからといって、いま苦しめていたら何の意味もない。よく分かっているんだ」


 確かに、わたしは苦しんでいるけれど。樹くんが苦しいのが、わたしも苦しいだけ。

 だから、元気になってくれればそれでいいのに。でも、言葉で言っても無駄なんだろうな。

 樹くんは、ただの慰めで納得する人じゃない。よく分かっているよ。だって、ちゃんとわたしを助けることに、価値を感じる人だから。


「でも、これからは安全なところに居てくれるでしょ? それだけで十分だよ」


 わたしが残りのゲドーユニオンを倒せさえすれば、樹くんとゆっくり過ごせる。

 それだけを楽しみに、全力で戦うんだ。きっと、ゲドーユニオンがいなくなれば、樹くんが悩む原因だって消えるから。

 だって、わたしだけが戦うことに、無力感を覚えているはずだから。

 ただの人間が相手なら、きっと今までみたいにカッコよかったんだろうけど。相手が悪かったよ。


 だから、それで納得してほしいな。自分のせいじゃないって考えてほしいよ。

 わたしは、樹くんが幸せなのが嬉しいんだから。きっと、樹くんだって同じはず。

 お互いの想いは同じなのに、どうしてもすれ違ってしまう。悲しいね。


「分かった。お前に全部任せるよ。情けないけどな」


 樹くんは本当に弱ってしまっている。よほど悔しいのだろう。

 でも、樹くんは生きているだけで価値があるんだよ。分かってもらえないだろうけれど。

 心が通じないと理解できてしまうことが、とても苦しいよ。

 これまでなら、どんな時でも通じ合っていたのに。


「そんなことないよ。樹くんがそばに居てくれるから、わたしは頑張れるんだ」


「ありがとう。絶対に、ケガなんかしないでくれよ。多分、今のお前と同じような気持ちになるから」


 樹くんがケガをしたら泣きたくなるように、わたしがケガをしたら樹くんが悲しい。

 でも、だからといって樹くんには何もできない。それが、つらいんだろうな。

 これ以上に追い詰めないためにも、全力でゲドーユニオンを葬るんだ。


「うん、分かっているよ。絶対に、負けたりなんかしない。どんな敵が相手でもね」


 わたしと樹くんの未来を邪魔する敵だって分かったから、何も遠慮なんてしないよ。

 どんな手を使ったとしても、消し去ってあげるから。たとえ、樹くん以外の何を犠牲にしたとしても。

 わたしの幸せは、樹くんだけなんだから。他のものは、別にいらないよ。


「このかなら、勝てるのだろうな。俺と違って」


 そんな事は、言わないでほしいよ。樹くんは、わたしのヒーローなんだから。

 悲しい顔なんて似合わないよ。いつだって不敵なくらいでも、とっても素敵なのに。


「当たり前だよ。樹くんを思うだけで、力が湧いてくるんだ」


 樹くんは少し考えたような顔をして、それから悲しそうな顔に変わる。

 そして首を横に振って、こちらに向き直ったんだ。


「そういえば、リーベはどうしているんだ?」


 どうして、話を変えるのかな。

 わたしの想いは、邪魔だったのかな。それとも、リーベがいないと間が持たないと思ったから?

 はたまた、リーベに力を求めたかったのだろうか。どれだとしても、嫌な予感がする。

 だけど、リーベとの会話を妨害したら、きっと気付かれてしまう。どうするのが正解なんだろうね。

 結局、本当のことを告げるしか、思い浮かばなかったんだけど。


「一応、呼べば来るとは思うけど。なんで?」


「いや、気になったからな。仮にも、魔法少女の力については中心だろう?」


 樹くんは、命を捧げるとか言い出したりしないだろうか。そんな不安が襲いかかってくるよ。

 わたしの人生は、樹くんでできているんだよ。だから、樹くんの命はわたしの命と同じなのに。

 でも、そんなことを伝えてしまえば、重い女だって思われないかな。

 醜い女だよ。命がかかっているのに、嫌われる恐怖に勝てないんだから。


「分かった。じゃあ、呼んでみるよ」


 リーベと魔法少女は、いつでもテレパシーのようなもので通信できる。

 だから、樹くんとの時間では外してもらっていた。邪魔者になってほしくなかったから。

 それでも、結局は間に入ってきちゃうんだね。樹くんが望んだこととはいえ。


 リーベを呼び出すと、すぐにやってきた。

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