47、咲桜は世界チャンピオンになったの?
「今ので分かったろう? 跳躍力ではさくらが上だ・・」
とインターバル中に咲桜の耳元で龍一が言う。
「キック力でもさくらが上だ。だから、相打ちを続けることを、この先めぐみはなるべく避けるだろう。今のラウンドで、めぐみは大きくポイントリードしたから、次のラウンド、持ち味の鉄壁の防御をしながら、得意のカウンター狙いに徹するはず。さくらは、圧倒的パワーで攻め続けるしか道はねえ。コンパクトに蹴り続けながら、恵のカウンターに合わせ、強打の相打ちをぶつけるんだ。それををやり続ければ、パワーの差で絶対勝てる・・もし、それも通用しなかったら、最後の手段を使うんだ」
「最後の手段?」
「めぐみはもう、さくらの蹴りばかりに気を取られている。だから、蹴ると見せかけてパンチも浴びせるんだ。そうすると相手に隙ができるから、最後のとどめはアッパーキックだ」
「それで、絶対勝てるんだね?」
と咲桜は相手の目を見て確認した。
龍一の目は狂おしいほど咲桜の奥底まで刺さってきた。
「一、二ラウンドを見て、おれは確信した。おまえの中には強大な怪物が潜んでいる。そいつが今、ギラギラ目覚めてるんだ。その怪物は、この大観衆をも一挙にぶっ飛ばしちまうほど強大なんだぜ」
第三ラウンドのゴングが、運命を打ち鳴らすように響いた。
タイトルマッチじゃない普段の試合なら、最終ラウンドだ。
「このラウンドで、絶対KOしてやる・・」
と大声で叫び、咲桜は恵に襲いかかって行った。
まずは左のローキックを振り、予想通り相手がバックステップでかわすと、すかさず前に踏み込んで右のミドルキックを撃ち込んだ。その瞬間、恵も前に踏み込んでカウンターの左フックを撃ち込んできた。咲桜にはそれが見えていたが、避けずに右足に心血を注いだ。咲桜の右脛が先に敵の左肋骨に食い込んだ。ボンッと大きな音が響いた直後、赤いグローブが防御の青グローブの横から振り回され、咲桜の右頬を殴り飛ばした。咲桜の鼓膜にもバンッと衝撃音が炸裂した。
咲桜は大きく左へステップしてロープに背をもたれ、ダウンを逃れた。
大歓声が沸いたが、恵は追撃してこない。
今の蹴りが効いたんだ・・・
と咲桜は思い、ロープの弾性を利用して突進し、右足のジャンピングアッパーキックを見舞った。
恵は天才闘牛士のように右へ身をかわし、それにもカウンターの左フックを合わせようとした。が、咲桜が右足の直後に左足も蹴り上げるのを察知し、瞬時に左肘をたたんで防御した。その左の上腕とグローブを擦るように極熱の左足が噴き上げた。
ヤバい、ヤバい・・・
と恵は胸の内で叫んでいた。
左腕も脱臼させられたら、屈辱に耐えられないわ・・・
彼女の左腕には痛みというより火傷のようなヒリヒリする熱さが残っていた。
咲桜の蹴りは、狂った悪魔のように止まらない。左の回し蹴りから右の裏回し蹴りと回転系のハイキックを連発すると、左足をクネクネと二段横蹴りを顎へ突き刺し、右足のミドル、ミドル、ハイと、三連打の回し蹴りから、四発目はブラジリアンキックに切り替える。間髪入れず、左ローの三連発から左ミドル、そしてまた左右のジャンピングアッパーキックだ。地獄の特訓を耐え抜いた結果が、このキックの機関銃だ。
しかし恵のディフェンス能力も神業のレベルだ。サイドステップもバックステップも、ダッキングもウィービングも、忍者の分身の術を超えるほどの素早さだし、ブロッキングも鋼鉄の鎧のように強固だ。
「どうした? ちっとも当たらないじゃないの」
とラウンドの中盤、恵は笑う。
「そう言うあんたこそ、防御ばっかしで、手も足も出せないじゃない。あたしの撃ち終わりを狙ってるんだろうけど、悪いけど、たった五ラウンドなら、撃ち続ける体力は、有り余ってるんだよ」
と咲桜も笑って言い返した。
恵は余裕だ。
「へーえ、だけど、これまででポイントは大差がついてるのよ。防御だけでも、わたしの勝ちだわ」
「ならば、仕方ない・・めぐみさんも攻撃しなきゃならないような、取って置きの猛攻をしてあげるよ」
咲桜はそう言うと、撃ち出した左ミドルキックと同時に前に飛び込んで、左右のワンツーパンチを顔面へ打ち込んだ。
キックをブロックしようと下がった恵の右腕に、咲桜の左足は軽く触れただけだった。
「な?」
と発した恵の口に左拳が食い込んだ。
その直後、右拳が顎を撃ち抜いていた。
無警戒だったワンツーパンチに、恵の脳がグッ、グワンッと揺れた。
一瞬、相手の顔が視界から消えた。
男子に似も負けぬキックの威力に隠れているが、咲桜のパンチの速さも女子プロボクサーの平均以上なのだ。
危機に陥った恵は、後ろへよろめきながら両腕で顔と腹を懸命に防御した。
咲桜は逃すものかと前へ踏み込み、高く飛んだ。鷹のような二つの眼が、獲物を凝視した。
「うおーりゃあああ」
と叫びながら、左右の足を連続して蹴り上げた。
ジャンピングアッパー二段蹴りだ。
左足が恵のグローブの間に食い込んで抉じ開け、その隙間へ右足がめり込んでグローブごと恵の顎を蹴り上げた。
恵の身体は宙に浮き、後方へ吹き飛ばされ、背中から墜落した。
観客の悲鳴がとどろいた。
勝った・・・
と咲桜は胸で叫んでいた。
なのにニュートラルコーナーへ後退しながら恵を見ると、すぐに起き上がってニヤリと笑うのだ。そして恵は、レフリーがカウントしているにもかかわらず、大声で告げるのだ。
「そうよ、さくらさん、それを待ってたの・・ちゃんとパンチとキックのコンビネーションを見せてくれなきゃ、もの足りないわ。これでやっとわたしも、本気を出せるってもんよ」
咲桜も負けずに笑って言い返した。
「強がり言っても、もうおしまいよ。あたしのパンチもキックも、相当効いているんでしょう? すぐに決着をつけてあげるから、覚悟しな」
二人の言い合いに、レフリーもカウントを止め、「ファイト」と怒れる神のように宣告した。
咲桜は獲物を仕留める肉食獣となって、一度身を低くし、恵の懐へ飛び込んでいった。そしていきなり右フックを撃ち出した。が、今度はそれがフェイクだった。敵がそれを避けながら、内側から左のカウンターストレートを合わせてくるのを見定め、左フックを止め、バックステップに切り替えた。そして思いっきり後ろへ身体を反らせ、飛んだ。バク宙アッパーキックだ。
しかし恵のパンチは伸びて来なかった。恵もカウンターストレートを途中で止めたのだ。そしてさっと身を引いた。だが、蹴りをかわすと、一転、どっと前へ踏み込んだのだ。
右足でビュンと空を斬り裂きながら、咲桜は回転して着地した。さらに追撃しようと敵を見た。が、すでに恵は目前に迫ってジャンプしていたのだ。左足が胸元へ蹴り上げられた。咲桜はとっさに両腕でブロックしようとしたが間に合わない。グローブの間から足先が胸を擦り上げ、喉に食い込み、顎を蹴り上げた。
咲桜の必殺技、ジャンピングアッパーキックを、恵が完璧に爆裂させたのだ。
咲桜は爆風に飛ばされるようにキャンパスに背中から落ちていた。
一瞬、世界が裏返って真っ白の光となった。
大歓声が咲桜の脳の裏に聞こえ、【天才少女MEGUMI】の言葉がその奥で揺らいだ。
え? 負けたの?
と彼女の内で誰かが叫んだ。
ダメだ、レフリーにストップされたら、あたしの人生、終わりだ・・・
と心が叫んでいた。
今のあたしにできること・・・
咲桜はつっかえた喉奥から声を噴き出した。力の限り絶叫していた。
「ちくしょう、やりやがったなあ。百倍にして、返してやるう」
白目を剥いた咲桜を見て、すぐに試合を止めようとしたレフリーだが、その声に驚いて、カウントを数え始めた。
「ワン、ツー、スリー・・」
咲桜の目が燃えるように血走った。上体を起こし、片膝ついてギラギラ敵を見た。すぐに立ってふらついたら、レフリーストップの可能性がある。深く息を吸って、火を噴くように吐いた。
見える、見える、敵がはっきり見えるぜ・・・
と何物かが咲桜の胸で吼えた。
「シックス、セブン、エイト・・」
と発し続けるレフリーを睨みながら咲桜はどっと立った。立ちながら、男のような声で唸り声を上げていた。
「レフリー、さっき、めぐみさんが脱臼しても、試合を止めなかったよな? 勝手に止めやがったら、訴えてやるからな」
レフリーはカウントナインで「ファイト」と発した。
ここぞとばかりに恵は攻めてきた。
右腕が使えないので、得意の左フックをボディ、ボディ、顔面へと、三連打した。ボディにはパンパン高い音を発して食い込んだが、三発目は沈んだ顔の後頭部の横をガツンと叩いた。咲桜の脳がグワンと激震し、悲鳴をあげた。それでも左の横蹴りの連打で返そうとすると、恵はするするかわし、「どどめだあ」と叫びながら四発目の左フックを叩き込んだ。それが口元にきれいにめり込んだ。渾身の力で、その左拳をグリュッと回転させた。
咲桜は後方へ殴り飛ばされた。それでも恐ろしい怪物の目が敵を凝視していた。意識が地獄までも飛びそうなのに、別の意識が彼女を覚醒させていた。そして潰された口から「グワアアア」と断末魔のような叫号を発しながら、右足を蹴り上げていた。アッパーキックが恵の顎を噴き上げ、物凄い勢いで彼女の身体を回転させた。そして二人とも、背中からキャンバスにドーンと叩きつけられていた。
「ダウン」
のレフリーの声に、観衆が騒然総立ちとなった
信じ難いことに、カウントスリーで先に立ち上がったのは恵だ。だが、倒れている敵が赤黒く回り、レフリーが白髪の老人のように見えてぼやけ、よろめきながらなんとかロープにもたれた。そうすることで、辛うじて立ち続けた。大歓声が頭にガンガン痛く響き、総立ちの人々が地獄の罪人たちのようにゆがんで回って見える。
身体を返し、四つん這いで敵を見る咲桜に、レフリーはカウントを続ける。
「フォー、ファイブ、シックス・・」
咲桜には恵もレフリーも二重にぼやけて見えたが、がくがく震えながらも立ち上がりながらこう言おうとした。
ちょっと、めぐみさんを見なよ・・ロープがなけりゃ、立っていられないじゃないか・・カウントするなら、めぐみさんにもしなきゃおかしいだろ?
だが、ろれつが回らず、傷ついてひん曲がった唇から出た言葉は、
「ちょ、めぐさ、みあ・・ろーなあ、たってららじゃかあ・・かう、めぐ、しな、おあしいだあ?」
その奇妙な声と、据わりすぎてる目つきを見て、レフリーはカウントナインで両手を左右に烈しく振った。
レフリーストップの合図だ。
咲桜の頭に一気に血が昇った・・・彼女を抱きしめようとするレフリーの顔面に思わず右フックを浴びせながら、こう叫んでいた。
「ばあやあおお、あいお、あっぱあいっふあ、うひかったじゃねえあ。あたしお、かちあああ」
ばかやろう、あたしのアッパーキックが撃ち勝ったじゃないか。あたしの勝ちだあ・・・
と叫んだつもりだ。
気が付くと、目の前にレフリーが倒れていた。
リング上に関係者がなだれ上がった。
「え?」
自分の犯した罪に愕然と立ち尽くす咲桜を、リングに駆け上がった凛子が抱きしめた。
「よくがんばったよ、さくら」
と耳元で声をかける。
あたしの蹴りの方が効いてたはず・・・
と咲桜は言おうとしたが、
「ああしおけりおおうあきいえああうう」
としか言えない。
それでも凛子はそれを聞き取ったのか、
「そうよ、さくらの勝ちよ。世界じゅうの誰もが反対しても、わたしには分かる‥さくらの勝ちよ。今までよくがんばったね」
そう耳元にささやきながら凛子は、龍一の手も借り、狂い死にしそうなくらいに泣き出した咲桜を抱いたまま、青コーナーに置いた椅子に座らせた。凛子の腕と胸の隙間から、うおおう、うおおうと、人間のものとは思われない泣き声が響き渡った。それは咲桜が永い間、胸の奥に隠していた泣声に他ならなかった。
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