46、飛び膝比べは咲桜が勝ったの?
「足も顔も、こんなに腫らして・・このままじゃ、たとえ勝っても、再起不能になっちまうぜ」
と龍一が言う。
咲桜は赤コーナーの恵とバチバチ視線の火花を散らしながら言う。
「おっさん、この試合、最高だろ? あたしの人生の、絶頂だろ? だからあたし、死んでもいい。だからよ、何があっても、ぜってえ止めんなよ。止めたら、舌嚙んで死んでやるからな」
「バカだな。こんな試合してたら、命がいくつあっても足りないのに」
「今でも、戦争で、たくさんの兵士が死んでるんだろ? あたしだって、リングの上じゃ、立派な戦士なんだ。だから、しのごの言ってないで、ちゃんとアドバイスしなよ」
「バカ野郎、アドバイスはただ一つ・・今日のために練習してきたキックの百連発機関銃をやり通すしかねえだろ? 相手はチャンピオンだ。ちょっとでも隙を見せたら一気に攻めてくる。だからラウンド終了のゴングが鳴るまでパターンを変えながら蹴って、蹴って、蹴り続けるんだよ。走り込み量の違いで勝つんだよ。それをやり通せば、たとえKOできずとも、攻勢点で勝てる。それも相手は分かってるから。必ず反撃してくる。その時がバク宙キックのチャンスだ。たとえめぐみがバク転キックで応じて来ても、さくらのキックの方が威力は上だ。それを信じろ。まずは、ジャンピングアッパーキックから入れ。右足で蹴ると見せかけて、相手が避けた方向に左足で蹴り上げろ」
龍一はそう告げると、第二ラウンド開始のゴングとほぼ同時に咲桜にマウスピースをくわえさせ、背中を叩いた。
すぐに咲桜は恵に突進し、遠い距離から、指示通りジャンピングアッパーキックを蹴り出した。
恵はジャンピングキックを見て、右足で蹴ってくると思い、とっさに右へかわしながら左ストレートのカウンターパンチを狙った。なのに避けた方から左足が噴き上げてきた。恵の本能が命の危機の警笛を鳴らし、さらに顔を右へ逃がした。
咲桜の左足先は恵の顎には命中せず、突き出された左腕の根元に突き刺さり、爆発的に蹴り上げられた。その勢いで恵の左カウンターは咲桜の顎に食い込む寸前で上にそれた。
恵の左腕の付け根を襲った痛みは、左肩から左手の先まで痺れさせた。それでも恵は、目の前に近づいた敵に右拳を突き出した。それがかかと落としを振り下ろす咲桜の鼻を直撃し、後ろへ飛ばされた彼女のかかとは恵を掠めただけだった。
咲桜は強靭なバックステップでダウンを免れたが、恵は追って来なかった。それどころか左腕をだらりと下げている。
そうか、アッパーキックが効いているんだ・・・
と咲桜は思った。
ならば、あの腕が回復する前に、蹴り続けてやる。今だ、今がチャンスだ・・・
咲桜は再び突進して、ジャンピングアッパーキックを放った。
恵はそれを凝視し、左足が蹴り出されるのを確認して左へ避けた。同時に今度こそはと、右拳でカウンターを合わせた。
咲桜の左足が恵の右耳をビュンと震わせ空を斬った。が、それと同時に空中で彼女の右足も蹴り上げられていたのだ。
ジャンピングアッパー二段蹴りだあ・・・
と咲桜は心で叫んでいた。
しかしそんな彼女の顎に、恵の右カウンターパンチが突き刺さった。
その直後、咲桜の右足が恵の右脇にめり込み、グギィッと怖い音を立てて蹴り上げた。
咲桜はパンチの勢いでお尻から落ち、さらに後方へ倒れた。
会場が割れんばかりにどよめいた。
「ダウン」
のレフリーのコールに、MEGUMIファンの歓声が四方八方で沸騰した。
恵のカウンターパンチは確かに効いていた。咲桜はすぐに立ち上がったが、ファイティングポーズは取らず、カウントを続けるレフリーを睨みつけ、こう言った。
「レフリー、気づいてないのかい? 今の斬り合い、勝ったのは、あたしだよ」
レフリーはカウントセブンで、
「戦えるのか?」
と尋ねる。
咲桜は真顔のまま、
「あたしは戦えるけど、めぐみさんはもう、両腕つかえない。もう、早いとこ止めた方がいい・・」
と言うと、赤コーナーのリング下にいる堀田正義会長に呼びかけた。
「ねえ、堀田会長、タオル投げなよ。あたし、これ以上、めぐみさんを痛めつけたくないんだ」
ニュートラルコーナーの恵が怒りの声を上げた。
「何を言ってるの? このわたしが、あなたなんかに負けるとでも? たとえ両腕折れようと、足技だけでもあなたに勝ってみせる。だって、あなただって、足技ばかりじゃない」
堀田会長が大声で言った。
「レフリー、せめてドクターチェックを入れてくれ」
キックボクシング界の大御所の進言に、レフリーは従った。
リングドクターがリングサイドに上り、恵を診たが、顔に傷があるというわけではない。
「ん? どこが問題なのかね?」
とドクターは聞く。
恵は激痛をこらえながら言う。
「見て分かんねえのかい? 右肩が外れたんだよ。早く元に戻せよ。死ぬほど痛いんだ」
「え? 脱臼? それじゃ、試合を止めるしかないよ」
「おじさん、死にたいの? これ、タイトルマッチなんだよ。止めたら、ファンのみんなに殺されるよ。大丈夫、腕は使わなくても、キックだけでも勝てるから。早く入れな。もしかして、外科医のくせに、入れれないのか?」
「そりゃあ、入れれるけど、危険なんだよ」
「危険なのが、格闘技じゃない。早く入れなよ。ああ、もう・・痛いと言ってるだろ・・ああ、早く、早く、ねえ、入れてくれたら、何でもしてあげるから」
「ダメなものはダメなんだ」
「キスしてあげるから」
「え、ほんと?」
美少女の熱いまなざしに見つめられ、ドクターの両腕は自然に動いていた。白い腕をゆっくり回し、ガッと音を立て、脱臼した肩が入った。
「うぐっ」
と恵は声を漏らしたが、身を引き裂く痛みが和らぎ、涙目に闘気が戻った。
「よっしゃあ、これで戦える。前人未到の蹴り合いを見せてあげようじゃないの」
と叫びながら、恵は咲桜に向き直った。
「え、キスは?」
とドクターはつぶやいたが、あきらめてレフリーにオーケーサインを出した。
「ファイト」
とレフリーが号令すると、恵は両腕を防御に固定して斜に構えた。
咲桜も同じ構えで言い放った。
「前人未到の蹴り合い? 面白いこと言うじゃねえか。だけど、今のあんたは、翼の折れたエンジェル・・両腕そんなんじゃ、バク転キックだってできねえじゃないか。もう、勝負はついてるんだよ」
そしてまたも咲桜は突撃した。
必殺、ジャンピングアッパー二段蹴りだあ・・・
と心で叫びながら、前に飛んだ。
恵の目が炎となった。横へ避けず、バックステップで一発目の左の蹴りをかわすと、左足を曲げ伸ばしして、力の限り後方へ飛んだ。同時に右足を蹴り上げた。
咲桜の二発目の右足が、恵の顎へ一閃した。だがその顎が消えるように遠ざかり、ぎりぎり届かない。その直後、みぞおちに恵の右足が食い込んでいた。
「うっ」
と咲桜の声が漏れた。
恵の攻撃はそれだけではなかった。蹴り上げられた咲桜の胸へ、二段蹴りの左足が突き刺さったのだ。
「ぐっ」
と咲桜はさらに漏らしていた。
背からキャンバスに落ちた恵の上に咲桜も仰向けで墜落した。互いの頭部の前に敵の足先があった。
大観衆が総立ちで絶叫に似た歓声を上げた。
恵が咲桜を押し退けて立ち上がった。
そして叫んだ。
「レフリー、ダウンだろ? カウントしなよ」
「あっ?」
レフリーが咲桜を見ると、地獄を見るように血走った目を見開いている。
何だ、これ? 心臓に杭を打ち込まれたような痛みは? もう、あたし、死んじゃうの?
そう考える咲桜の耳裏に、レフリーのカウントが聞こえてきた。
「ワン、ツー、スリー・・」
爆打つ鼓動のように速く聞こえる。
何だあ? ちょっと待てよお。何でそんなに速く数える? ああ、ダメダメ。あたし、負けられないんだった・・死んでも負けられないんだ・・・
「ちょおっと、待ったあ」
と叫びながら咲桜は立ち上がった。
観衆が「おおお」とどよめいた。
カウントエイトでレフリーは「やれるのか?」と目を見て確認する。
胸が異常に苦しいが、咲桜の意識は明瞭だ。
「見りゃ、分かるだろ? あたしが足技で負けるわけないじゃないか」
「ファイト」
とレフリーは合図した。
だが、心臓が今にも爆裂して止まりそうで、容易には攻撃できない。
咲桜は代わりに言葉で攻撃した。
「今の技も、あたしのモノマネ? めぐみさん、パクリ魔なのかあ?」
恵はほくそ笑んで応じた。
「あなたにできて、わたしにできないことはないのよ。わたしがバク宙できないとでも? しかも、バク宙二段蹴りは、あなたの上を行ってるわよね? 分かっているのよ・・あなた、今、胸が痛くて死にそうなんでしょ? 一ラウンドのお礼ができて、嬉しいですわ」
一ラウンドのお礼? ああ、そうか、このこも心臓にキックを受けて、こんなに苦しかったのか・・・
そう考える咲桜へ、恵がすっと接近してきた。
そして右のローキックから、右の横二段蹴りで攻めてくる。
咲桜は心臓の痛みが薄らぐまでディフェンスに徹するしかないと思った。必死にバックステップとサイドステップで逃げた。
それを見て、恵の攻めは止まらなくなった。暴れ太鼓のように速いリズムの左右の回し蹴りが、ローとミドルとハイにビュンビュン襲ってきた。避け切れないと、腕とグローブでブロックしたが、バンッ、バンッ、と大きな音を響かせ足や腕にめり込むキックの衝撃は、咲桜の両腕や両脛の骨を砕きそうだった。
恵の足技は多彩で、咲桜の必殺技のジャンピングアッパーキックまで撃ち出してきた。しかも大歓声にも消せぬほどの、木刀を斬り回すような鋭い風切り音を発していた。
命からがら逃げ回る咲桜に、MEGIMIファンのブーイングも起こった。
キックを避けたりブロックしたりすることに集中し続けていた咲桜だったが、ラウンド終盤、恵の左フックを不意に浴びてキャンバスに転げた。
「ダウン」
と威勢よく叫んで、レフリーがカウントを数え始める。
「前人未到の蹴り合い、って言ったくせに、何しやがる?」
と片膝をついて咲桜は怒りの声を上げた。
戦士たちの睨み合いが、またもバチバチ火花を散らせた。
「どうやらわたしの左腕は回復したようだわ。でも、安心しなさい・・右手は使わないでKOしてあげるから」
MEGUMI陣営から、
「ラスト三十秒、一気に仕留めろ」
と声が飛んだ。
咲桜は大きく二回深呼吸して立ち上がると、恵に太陽のような笑みをぶつけた。
「そりゃあよかった・・おかげで思い切り戦える・・あたしの心臓の痛みもやっと消えたから、今度はあたしの番だよ」
そう言うと、咲桜は左のミドルキックを放った。
恵がそれをバックステップでかわすと、咲桜は前へ前へと踏み込み、右のミドルキックと見せかけ、ブラジリアンキックを叩き下ろした。
恵はそれを左のクローブで辛うじてブロックしながら、右のローキックを振り切った。
咲桜の逃げれない軸足をそれが撃ち払い、足場を失った彼女の上体は左へ回転し、左腰からキャンパスに落ちた。クルリと回転して飛び起きたが、レフリーはダウンを取った。
「ワン、ツー、スリー・・」
とカウントするので、咲桜はファイティングポーズを見せて言う。
「このラウンド、時間がないんだ。あと十秒で決着をつけるから、早くやらせな」
それでもレフリーは冷静にエイトカウントまで数えてから、「ファイト」とコールした。
咲桜と恵は互いに吸い寄せられるように近づき、同時に利き足のハイキックを放った。咲桜の右足と恵の左足が耳を裂く激突音を発し、互いに弾かれた。が、すぐにまた前に踏み込み、意地のハイキックをぶちかます。再び利き足が激突し、両者、踏ん張って耐えた。
観衆は総立ちの大興奮だ。
「この足が砕けても、負けるもんかあ」
と咲桜は叫び、なおも踏み込んで右ハイキックを蹴り回した。
恵もさらに迎え撃つフリをしたが、ウィービングで避け、左フックを合わせてきた。
だが、ハイキックが頭を掠ったため、左フックは鎖骨付近を撃った。
二人の距離が急接近した。パンチならばアッパーの距離だ。両者が選んだのは膝蹴りだ。敵の腹目がけ、どちらも利き足の膝を突き上げた。今度は咲桜の右膝と恵の左膝がぶち当たった。ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ・・と、音を立て、何発も。
鬼の目と目が眼前で絡み合った。絡んで炎となった。敵同士、うなずき合い、膝をぐっと曲げ、高く飛んだ。飛び膝比べだ。跳躍力では咲桜の方が上だった。恵の膝は、高く高く跳躍した咲桜の顎には届かなかった。咲桜の左膝が恵のブロックするグローブを突き破り、飛び膝二段蹴りの右膝がトドメを刺そうと顎を狙った。
勝ったあ・・・
と咲桜の胸は狂喜の叫びをあげていた。
恵の脳から全身に、死の恐怖が発令された。
だが、まさにその刹那、第二ラウンド終了のゴングが鳴ったのだ。
咲桜の右膝は恵の顎を粉砕する直前で止まった。
二人、抱き合うように着地し、ビリビリ痺れるように睨み合った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます