43、天才女子高生ファイターVS刑務所帰りのダークヒーロー
咲桜がジムに入るなり、念願の餌に食いつく肉食獣の目で、龍一がドドドッと駆け寄って来た。
「さくら、聞いて驚け。親父から連絡あってな・・海田めぐみの次の相手に、おまえが指名されたぞ。すげーぞ、デビューたった半年で、なんと世界タイトルマッチだ」
四月初めの水曜の夜のことだ。
【DARK LIGHT】のジム内には、すでに【五月三日決戦の日】と達筆で書かれた手作りの垂れ幕が、派手に踊っているではないか。
咲桜も待ちわびた雷雨に打たれる蛙のように驚喜してみせた。
「ゲロゲエロ、MEGUMIさんとやれるのかあ? 堀田会長が、チャンスをくれたたのかあ?」
龍一は狂おしい目のまま、咲桜の手をぎゅっと握った。
「大晦日の衝撃的勝利が大きかったぜ。それだけじゃねえ・・それ以前の試合で、おまえ、めぐみに直接、試合申し出のスピーチをしたじゃないか・・それで、キックボクシングファンの期待も膨らんでいったんだよ。だから、親父は、このタイトル戦が金になるとふんでいるんだ・・天才女子高生ファイターVS刑務所帰りのダークヒーロー・・しかもどちらもルックス最高ときたら、ファンたちが熱狂するに違いねえ。それにネット放送も、すでに手配してあるって話だ」
咲桜は目に星を浮かべて言う。
「へへっ、ルックス最高、だなんて、照れるじゃねえか」
「ばか、MEGUMIのことを言ったんだよ」
「今、どちらも、って言った」
「おまえは、おまけ、みたいなもんさ」
「何だよ? あっちが主役で、あたしは脇役ってこと?」
「もちろんそうさ・・それがダークヒーローの宿命なんだから」
「だったら、ダークヒーローが主役を食ってやる。その方が、面白いだろ?」
咲桜が目をギラギラさせてそう言うと、龍一の目もそれを反射し、握ったままの指に力を込めた。
「そうだよ。もちろんさくらが主役を食うのさ。だがよ、相手もプロだ。さくらの今までの試合内容は、すべて研究し尽くされ、万全の対策を立ててくるだろう。それでも、幸いなことに、大晦日の試合は五秒で決着したから、練習してきた【キックの百連発機関銃】は誰にも見られちゃいねえ。それをこれから一か月でさらに磨き上げて、今度こそ試合で披露してやるんだ。そしたら、ぜってえ負けねえ。いいか、これから人生をかけて、死に物狂いで技を磨き上げ、一か月後には、観客を総立ち熱狂の渦に巻き込んでやるんだぞ。本物のキックボクシングが、どんなに凄いものなのか、観客たちに見せつけてやれ」
咲桜は龍一が目を剥くほど指に力を込めて握り返した。
「おうよ、【キックの百連発機関銃】・・そしてとどめの【ジャンピングアッパーキック】・・もう熊にも像にも止められないくらい極めてみせるよ・・三分間、止めどなく蹴り続け、それを何ラウンドも維持できる体力をつけてみせる」
さっそくサンドバッグ相手に、キック中心に撃ち続ける練習を始めた。
以前は百連発撃つたびにぶっ倒れていた咲桜だったが、撃つたびに烈しく息を吐きながら百連発続けられる呼吸法をすっかり身に着け、三分三ラウンドまでなら、持ちこたえることができた。
それでも龍一は手厳しかった。
「いいかあ、今回挑むのは、世界タイトルマッチなんだぞ。タイトルマッチは三分五ラウンドなんだ。三分五ラウンド、余裕で戦い抜く能力が、勝利には絶対条件なんだ。かといって、力を抜いて、ペースをスローダウンして勝てる相手じゃねえよな?今のままじゃ、電池切れで負けちゃうよな?」
咲桜は龍一を大きな目で睨みつけた。
「ええい、めんどくさい・・じゃあ、どうすりゃいいんだよ? 世界チャンピオンになるためなら、命を懸けると決めてんだ。何でもするから、さっさと言いなよ」
龍一は、満足げに笑う。
「命を懸ける・・その言葉を待ってたんだよ・・じゃあ、今夜から、しばらくは一キロダッシュをやるぜ・・例の場所へ行くから、ついて来な」
「何だ、たったの一キロなんて、楽勝だぜ」
そう言って、咲桜は龍一の後を追う。
龍一は背中でフフフと笑った。
「一キロを、三分でダッシュして、一分休憩したら、またダッシュ・・それを五ラウンドやったら、十五分休憩。それを四セット繰り返す。それを一週間、毎日やっちゃうぜ」
「はあ? 死んじゃうじゃねえか」
「今、命を懸けると決めてる、って言ったよな? 格闘家に二言は禁物だぜ」
「鬼、悪魔、サディスト、いっそ、ナイフでこの心臓を突き刺しやがれ」
と咲桜は吼えたが、素直に近くの廃校のグラウンまでついて行った。
毎日の長距離ランニングやトレーニングで、すでに咲桜の身体は鍛え上げられている。その究極のボディーをさらにグレードアップさせるのだ。
一キロ走を三分以内など、今の咲桜には余裕でクリアできた。しかし、一分の休憩で、二回目、三回目となると、次第に筋力も心肺機能も悲鳴をあげ始める。もう、限界だ、と胸が、足が、叫び出す。死に物狂いで走っても、四回目、五回目は三分をオーバーしてしまった。
「ほら、電池切れー」
と龍一がケタケタ笑う。
「うるせえ、あんた、それでもコーチかあ・・コーチなら、ちっとははげませよ」
と咲桜が横目で睨むと、龍一は水の入ったボトルを差し出す。
「この魔法の水を飲んだら、咲桜はカモシカよりも速く走れるんだぜ」
「魔法の水って、ただの水じゃねえか」
息を整えながら、水を飲んだ。
十五分休憩後の二セット目は、二回目までしか三分を切れなかった。
「はい、さくらの負けー」
と龍一がまたからかう。
「鬼コーチ、いつか地獄まで、蹴り堕としてやる」
と咲桜は牙を剝いた。
三セット目も四セット目も、三分以内をクリアできたのは、一回目だけだった。
「これでよく世界チャンピオンになるなんてほざいたな」
と龍一は鼻で笑うが、咲桜は地面に大の字になってハアハア息をするだけだった。
「あれあれ、言い返す気力も残っていないのか?」
という龍一の問いにも、何も返せない。
否、クソッタレ、と叫ぼうとして、
「ク・・」
だけ漏らして息切れしていた。
高く昇った北斗七星が涙に沈んで見えなくなった。
いつもは片道四十分で走れる道も、帰りは一時間以上かかった。
今夜も翔の待ち伏せはなかった・・昨日も、一昨日も、一か月前も、二か月前も、ずっと、ずっと・・・・・・
もちろん長田のストーカー行為の気配もない。
代わりに星たちが時を超えた物語を静かに語りかけた。
そして街灯に伸び縮みする自分の影が、すすり泣きながら咲桜にまとわりついていた。
明かりの消えた古屋に帰り着くと、もう一瞬で眠りに落ちたかった。身も心も濃塩酸に沈められたかのようにぼろぼろに溶けていた。
押し入れから手探りで蒲団を出していると、ふいにベッドの玲奈がつぶやいた。
「お姉ちゃん、ごめんね・・」
「れな、起きてたの?」
闇に隠れる妹へ目を凝らした。
返事はなく、寝息が泣いてるように聞こえた。
「れな、泣いてるの?」
なおも無言だ。
「ごめんって、寝言?」
咲桜は蒲団を敷き、眠る前に、闇に沈む妹の顔をじっと見つめた。そこには七年前の自分にそっくりの影がいた。
「れな、あたしこそ、ごめん・・ひどい人生だったね・・でも、これからは幸せにしてみせる・・あたし、絶対、世界チャンピオンになってみせるから・・れなを大学行かせるため、死んでもなってみせるから」
玲奈はどんな夢を見ているのか、また寝言を漏らした。
「しょう・・」
と、やはり泣いているような声が咲桜の胸奥まで響いた。
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