44、秘技バク宙キックを極め、ついにタイトル戦へ
一週間の三分ダッシュ期間を終える頃には、咲桜は五ラウンド×四セットのメニューをすべて、三分以内で走破できるようになっていた。
ワンランクもツーランクもグレードアップした足腰の筋力や心肺機能を使い、翌週は、三分間サンドバッグを蹴り続ける【キックの百連発機関銃】の特訓に打ち込んだ。三分五ラウンドなど、普通に蹴り続けるようになっていたし、蹴りのスピードも破壊力も、本人さえ恐いと思うほど増していた。
ローキックの足をくねらせて三日月蹴り、さらにその足を突き上げる横蹴り、そして下がった相手にとどめのジャンピングアッパーキック・・・南美波を五秒で失神させた連続蹴りだ。それを咲桜は今や左右どちらの足でも自然に撃ち出せるようになっていた。しかしその技はMEGUMI陣営は何度もビデオで研究して、完璧な対策を立ててくるだろう。
だからブラジリアンキックを応用した連続蹴りや、三連続以上の回転回し蹴り、飛び膝二段蹴りや、アッパーキックからのかかと落とし、など幾パターンも用意して百連発のキックの連撃が必要なのだ。
誰も観たことのない息もつかせぬキックの機関銃・・それを三分五ラウンドやり通せば、必ず世界を獲れる・・咲桜はそう信じて練習した。
三週目からは、主に龍一とスパーリングで実践対決した。
「手加減しないから、本気でかかって来いや」
と身体じゅうに防具を着けた龍一は言う。
そして防具をガシャガシャ鳴らしながらパンチやキックを撃ち出してくる。
咲桜はそれを腕を使ったブロックやスウェイなどで間一髪で防御しながら、キック、キック、キックの機関銃を撃ちまくった。
龍一が命懸けで避けまくっても、一週間後には全身アザだらけになるほど咲桜の蹴りは異次元のものになっていた。
スパーリングの終盤、
「おい、さくら、ちっとは手加減しなよ・・痛いじゃねえか」
と龍一は恨み目で睨んだ。
咲桜も似た目で睨み返す。
「本気でかかって来い、といったよね? それにあたしのこの足のハガネの筋肉はね、あんたに半年間地獄の特訓をやらされた恨みでできているんだ・・手加減はしても、足加減はしないんだよ」
「ちくしょうめ、山から熊を呼んで、おまえのスパーリングパートナーとして雇ってやろうか?」
「やめときな。熊さんだって、命が惜しいと逃げ出すから」
龍一は「フッ」と笑って、背を向けた。
かと思った瞬間、くるっと身体を回転して電光石火、反則的にキレのあるバックハンドブローを振り回してきた。
咲桜はその刹那、とんぼ返りをするように飛んでいた。上体が一瞬で遠ざかり、龍一のグローブがブンッと空を斬った直後、咲桜のジャンピングアッパーキックが龍一の顎をヘッドギアごと蹴り上げていた。龍一は宙に浮き、背中からキャンバスにドッと落ちた。ちぎれたヘッドギアが彼の胸に落ちた。
咲桜もキャンバスに背から落ちたが、すぐに立ち上がった。
「あたしはね、めぐみさんにバックハンドブローでKOされたことが忘れられないんだ。だから、二度とくらわないように・・」
と咲桜はわめいたが、倒れた龍一が動かないのを見ると、急に不安になってひざまずいた。
「お、おい、鬼コーチ、死んじゃった?」
咲桜が介抱しながらおろおろしていると、バケツに水を汲んで来た凛子がリングに上がり、ドバッと龍一の顔に浴びせた。
「うわっ、あんたら二人とも、昭和かよ?」
と咲桜はあきれたが、龍一は瞬く間に飛び起き、
「何だあ、今のはあ?」
と地獄を見た目で叫んでいた。
凛子も興奮した目で言う。
「わたしも、初めて見たわ、あんな技」
龍一は口から血を飛ばしながら言う。
「おれのバックハンドブロー、全然届かなかった・・おい、さくら、バク宙できるか?」
咲桜は彼の血反吐に目を丸くしながら答えた。
「どんだけ足腰鍛えてると思ってんだ・・バク宙なんて、いくらでもできるさ」
「やってみろ」
と言うので、咲桜は華麗なバク転を連発して見せた。
龍一は失神した衝撃も忘れたくらい興奮している。
「おお、おお、それだあ・・それをやられちゃ、こっちのパンチは届かねえし、カウンターのジャンピングアッパーキックも撃てるじゃねえか・・もしキックが空振りしても、バク宙後にすぐに次の攻撃ができるように特訓するぜ。こいつは観客も大熱狂間違いなしの必殺技だぜ・・そうだ、相手が接近戦を仕掛けたり、クリンチに逃れようとした時だって、膝蹴りだけじゃなく、バク宙キックで一瞬で遠ざかりながら蹴り倒せるんだ・・そうだ、そうだ、ジャンピングアッパーキックが逃げる相手を仕留める攻めの必殺技なら、バク宙アッパーキックは攻めてくる相手から身をかわす攻防重ね持つ必殺技なんだ・・これはもう、秘技と言っていいぜ・・おい、さくら、観客みんなに、本物のプロの格闘家の凄まじさを、見せつけてやろうぜ」
龍一の血飛沫を浴びて、ようやく咲桜もその技の恐ろしい意味を理解した。
「おお、そうかあ・・バク宙アッパーキック・・五月三日決戦までに、絶対極めてみせるよ。キックの百連発機関銃の中に、何回だってバク転入れてみせるよ。え? コーチ、どうした?」
龍一は天国へ上るような目になって、再びマットに倒れ込んでいた。
凛子もさすがに今度は救急車を呼んだ。
決戦前一週間は、バク宙アッパーキックを完成させ、それをキックの百連発機関銃に取り込むことに尽力した。
そして五月三日、咲桜と龍一と凛子は、いつものように電車とバスを乗り継ぎ、ファミレスで食事をしてから、夕方六時頃、獅子龍ホールに到着した。
第一試合は午後五時から開始されていて、インターネットのカメラも回っており、会場はすでに大入りだった。
MEGUMIと咲桜のタイトルマッチは、八時開始予定のメインイベントだ。
咲桜の控室前には、すでに玲奈と翔が待っていた。
翔を見た咲桜の足取りが速くなった。
「さくら、久しぶり・・」
熱い目で見る翔にツカツカ歩み寄るなり、咲桜の右手が彼の頬をパーンといきなり叩いた。プロの張り手は音も鮮やかだ。
飛び出しそうな目で翔は咲桜を見つめた。
青天の霹靂に、玲奈の目も大きく開いた。
「お姉ちゃん、どうして?」
「しょうにはもう二度と会いたくない、とずっと思ってたけど、最近はね、今度会ったら絶対叩いてやると決めてたんだ」
咲桜はそう言い捨てると、さっさと控室に入って行った。
「何でよう?」
玲奈もすぐに後に続いた。
黙って椅子に座る咲桜に、玲奈はなおも問う。
「わたしの好きな人を、何で叩くのよ? お姉ちゃんだって、昔、好きだった人でしょ?」
昔、好きだった人? 好きだって気持ち、今も膨らみ続けてるのに・・・
と咲桜は心で訴えたが、声にはできない。
「あたし、これから大事な試合なの。試合だけに集中しなきゃ、勝てる相手じゃないの。命を懸けた試合になるの。邪魔するなら、出て行ってくれない」
と咲桜は妹の目を見ずに告げた。
あとから部屋に入った翔が言葉をかけた。
「おれがいたら集中できないなら、どこか見えないところで、ひっそり応援するよ」
咲桜は翔の顔も見ずに荒い口調で言う。
「おう、どこへでも行きやがれ。また叩かれたくなかったら、二度とその顔見せるな」
「分かったよ・・陰でこっそり応援するよ・・でも、おれ、さくらにどんだけ叩かれても、嬉しいから」
そう言って、翔は選手控室を出て行った。
玲奈も慌てて追いながら呼びかける。
「ちょっと待ってよ。あんたら、意味わかんない。今の、どういう意味?」
翔と一緒に入って来ていた龍一が、咲桜に聞いた。
「あいつ、Mなのか?」
「M?」
と咲桜が問い返すと、
「叩かれるのが快感な体質」
と龍一は説明する。
咲桜はやはりうつむいたまま、
「あんたとは、真逆の性格なのかも」
「おれだって、さくらに蹴られることが、最近快感になってきたぜ」
と龍一は冗談を飛ばしたのだが、咲桜には笑えない。
「また病院送りになりてえのか? あんたの寿命、あたしが二十年くらい縮めてるようで、申し訳ないのに」
「申し訳ないと思うなら、今日チャンピオンベルトを獲って、おれやりんこに楽な生活させてくれよな。それにな、夢を失くして三十年生きる人生より、夢を追って十年生きる人生の方が輝いてるさ。おまえもそう思うだろう? 今、まさに、ビッグな夢をつかもうとしてるんだから」
ようやく咲桜は顔を上げ、龍一の目を見返した。
「ビッグな夢? それをこの手につかんだら、あたし、ちょっとは変われるかな?」
龍一の目が酔ったように潤んだ。
「変われるさ。今日勝てば、さくらは永遠にチャンピオン経験者になるんだ。さくらの人生が変わるんだ。いいや、さくらだけじゃねえ・・妹の人生も、おれやりんこの人生も、大きく変わるんだよ・・だから忘れるな・・今夜のさくらの一撃一撃に人生が懸かっているってことを・・人生を懸けて、蹴って蹴って蹴りまくるんだ」
選手入場は、挑戦者の咲桜が先だ。
リングアナウンサーに名を呼ばれ、今夜も【ダークヒーロー】のハードロックに身を揺らし、まばゆいスポットライトに肌をピンクに染めながら、紅いブラトップにショートパンツの咲桜はリングへと向かった。
そう あいつはダークヒーロー
暗闇でしか生きられぬ
本当は太陽の子なのに
そう 悲しいダークヒーロー
・・・・・・・・・・・・
咲桜のファンも増えていて、超満員の観衆から「さくら」コールが沸き起こった。
青コーナーのリングサイドに玲奈と翔は見当たらない。
でも、この会場のどこかで観ていてくれる・・・
と咲桜は信じた。
れな、姉ちゃん、勝つからね・・・
と心で呼びかけた。
絶対チャンプになって、あたしが壊したれなの人生を変えてみせるからね・・・
リングに上がり、四方に礼をして、声援に手を振った。
リングアナウンサーが興奮マックスの口調でマイクに唾を飛ばす。
「それではみなさんお待たせしましたあ。いよいよ赤コーナーの選手の入場です。本日のメインイベンター、K-1ミニマム級チャンピオン、堀田ジム所属、奇跡の天才美少女女子高生、負け知らずの格闘技界のアイドル、メーグーミー」
会場が地震に襲われたように歓声で揺れた。
【MEGUMIがんばれ】の横断幕も揺れ、ライトに照らし出された恵の、黄金のブラトップとミニスカートが煌びやかに輝いた。
「メグミ、メグミ・・」
の大合唱に乗って、恵はさっそうとリングに向かってきた。
そしてリングに上がるなり、青コーナーの龍一を指差し、彼女はこう言ったのだ。
「りゅういちさん、覚えてますよね・・わたしが世界チャンピオンになり、そしてこのさくらさんにも勝ったら、わたしをまたコーチしてくれると言ったこと」
龍一がうなずくと、恵はさらに言い放った。
「今夜がその時です。わたし、必ず勝ちますから、戻ってきてください」
咲桜の目が仁王のように見開いた。
「あたしだって、ぜってえ負けられない試合なんだ。あんたみたいに若くもないから、このチャンスは逃すことができないんだ」
二人の女戦士の視線がバチバチ音を立ててぶつかり合い、周囲の観客たちをヤケドさせるくらい火花を散らした。
それからは咲桜は興奮のあまり、国歌斉唱も、レフリーの注意事項も、少しも耳に入らなかった。
そして気付いた時には、ゴングの音が鳴り響いていたのだ。
戦闘開始の号令に、咲桜の全身の血潮はいっきに渦巻き、逆流しそうだった。
揺れる布にいきり立つ闘牛のように、本能のままに恵へ突進していた。
恵はサウスポースタイルだ。その前足へ、咲桜は左のローキックを飛ばしたが、恵の右足は消えるように引かれ、ブンッと空を斬った。咲桜はほぼ無意識に左足をくねらせ、三日月蹴りへと変化させたが、それも届かない。それでも身体を反転させ、その長い足をいっぱいに伸ばして横蹴りを顎へと突き出した。練習を重ねた連続蹴りだ。しかしその瞬間、恵は向かって左へかわしながら、飛び込んで来たのだ。
左のカウンターだ・・
と咲桜の心が叫んだ。
この体勢では避けられない・・
と感じた咲桜は反射的にグローブを上げてブロックしようとした。
だが、恵のパンチは左フックで、防御のグローブで見えない横から飛んで来た。
ゴンッ、と右顎が砕かれ、脳が揺れた。
とっさにガードを右に固めようとした刹那、左顎も撃ち抜かれた。左右のフックの連打だったのだ。
脳が逆方向へ激震し、世界が猛スピードで回った。
ドスンッ、と白いキャンバスが目の前に落ちて来た。
どしゃ降りのような歓声の中、
「ワン、ツー、スリー・・」
と誰かの声が耳裏に響いた。
レフリーのカウントの声だ。
え? あたし、ダウンした?
咲桜は総毛立ち、負ける恐怖に身震いしていた。
あたし、ダウンしてる・・間違いない・・今すぐ立たなくちゃ・・死んでも立たなくちゃ・・死ぬほど練習したんだ・・死んでも負けられない試合なんだ・・・
上体を起こし、片膝ついて、ニュートラルコーナーの恵を睨んだ。恵がぼやけ、揺れて見える。
あああ、このまま立ってもふらついたりしたら、レフリーに試合を止められちまう・・何としても、効いていないフリをしなくちゃ・・・
咲桜は焦点が定まらない恵の方向へ笑ってみせた。そしてカウントエイトで、すっと立ちながら叫んだ。
「この野郎、あたしを本気にさせやがってえ」
その絶叫が咲桜自身の血を真っ赤に沸騰させた。彼女も知らない怪物の血が、咲桜を怒れる魔獣として立たせたのだ。
その声の怖さと血走った鬼の目に臆して、レフリーがカウントを止めた。
観客のボルテージが極限を破った。
二重にぼやけていた恵が一つになった。
「ファイト」
と叫ぶレフリーの声に、恵が情け容赦知らずの超速戦闘機のように、ニュートラルコーナーからいっきにダッシュ、
「とどめだあ」
と咆哮しながら、飛び膝蹴りで襲いかかってきた。
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