42、夢のキーワード、それは何?

 ベッドの上、妹の乳房がたわわに揺れている。

 咲桜はそこへ這って行く。

 行かなくちゃダメなの・・絶対行かなきゃ・・・

 玲奈の下には裸の男がいた。

 翔だ。

「お姉ちゃん、消えて」

 と玲奈が言う。

 だけど消えたのは玲奈の方だ。

 咲桜が殴ると、妹は消えたのだ。

 どうして殴ったのか?

 とは咲桜は考えなかった。

 彼女が考えたのは、

 あれっ? 何であたしも裸? 

 ということだ。そして思い当たったのだ。

 あ、そうか、だってここは夢の中だもん・・夢の中でしか許されないこと、しなくちゃ・・・

 愛しい翔にキスをする。

 せめて夢の中だけ、一生分のキスをしようと、懸命に貪る。

 すると翔も起き上がり、

「百年26500日、さくらとキスしたい」

 と泣きながら言う。

 あはっ、この男、間違えてやがる・・

 と咲桜は笑う。

 百年なら、36500日だし、しょうとキスなんて、この夢の中でしかできないじゃない・・・

 どうしてだろう・・キスするために二人は歯を磨いた。

 それからもう我慢できず、素裸で一つになるように抱きしめ合って、永遠に続くようなキスをする。

 咲桜は唇からとろけていく。めくるめく悦びに身体の芯まで溶けていく。

 あああ、これが幸せというものなのね・・ああ、もう死んでもいい・・・

 と彼女の胸が叫ぶ。

 そして翔は言ったのだ。

【ヘンタイロケット咲桜号】

 と。

「何、それ?」

 と笑う咲桜のお腹に、翔の股間のものが硬く膨らんで突き当たっている。

「これはロケットだから、さくらが地球から逃げても、銀河の果てまで追いかけるんだ」

 と翔は告げた。

 ヘンタイロケット咲桜号・・・

 咲桜は翔にしがみついて笑いながら、逃げれないと感じる。

「おれたち、一つにならなくちゃ・・それがおれたちの運命なんだ」

 翔の声が咲桜の耳たぶを齧る。

 うん、もう、逃げられない・・これがあたしたちの運命なのね・・・

 いつしか二人はキスに酔いながら、よちよち、よちよち、ベッドへ進む。

 とうとう咲桜はベッドに仰向けに投げ出された。

「さくら、愛してる」

 と翔は言いながら、覆いかぶさってくる。

 彼の唇がピンと立った乳首に咬みつくように吸い付くと、咲桜の身体も心も、雷に撃たれたように痺れてのけ反った。

 あああ、愛してる・・その言葉、どんなに聞きたかったことか・・ああ、あたしも愛してる・・愛してるよお・・・

 そう咲桜が身体の奥底から叫んだ時、翔の身体も咲桜の奥底目指し、突き上がってくる。

 なのに玲奈が叫び声をあげて、二人の間を引き裂いてしまったのだ。

 突然、玲奈にベッドから突き落とされた咲桜は、奈落の底へ落ちるように、どこまでも、どこまでも・・・・・・

 そこで夢から覚めた。


 咲桜は慣れないベッドで寝ていた。周りはライトイエローのカーテンで仕切られている。

「えっ? ここ、どこ?」

 起き上がって、カーテンをめくった。

 白い壁の部屋の中に、六つのベッドがあり、その半分に人がいた。点滴をしている中年女性もいる。

 あれっ? 病室? 

 と咲桜が考えていると、ドアが開いて、龍一と凛子が入って来た。

「あら、起きてるわ」

 と凛子が言う。

 龍一も咲桜を半笑いで見て言う。

「こいつ、心配させやがって」

「あたし、何でここに?」

 と咲桜は問う。

 凛子が説明した。

「さくら、真っ青な顔で倒れたでしょ? 救急車を呼んだのよ。検査したら、死ぬところだったって・・急性アルコール中毒みたいよ」

 龍一が咲桜を睨んで聞く。

「おまえ、お酒、飲んだのか?」

 咲桜はうなずき、

「正月だもの」

 と言った。

「どんだけ飲んだ?」

 咲桜の目線が右斜め上をさ迷った。

「しょうと、飲み比べをやって、一升瓶が空になったのは覚えてる・・それから、日本酒の色が琥珀色に変わって、味もメチャクチャ変わって、それをキュウーと一気飲みしたら・・もうそれからのことは、記憶にありません」

 龍一の目にもとまらぬ張り手が、パーンと咲桜の頬に赤い手形を残した。その音が病室に響き、誰もが目を丸くして彼らを見た。

「いてえな、何しやがる、このクソおやじ」

 と咲桜は叫んで、涙目で睨み返した。

 龍一はさらに怖い目で咲桜を睨みつける。

「いいかあ、おまえはプロの格闘家なんだぞ。世界を獲りたかったら、飲酒はいっさい禁止だ。分かったか?」

 凛子が龍一の腕を取って制止する。

「ちょっとお、さくらは、病気なのよ。死にかけてるのに、叩いちゃダメでしょ」

 龍一は「ああ」と言って同意したが、咲桜は首を振った。

「りんこさん、死にかけてるって、怖いこと言わないでくださいよ。あたしはもう、すっかり酔いは醒めてるんですから、ほら」

 と言って、咲桜は右足を龍一の顎目がけ、思い切り蹴り上げた。

 龍一が忍術のような素早さで避けると、彼女の足はブンッと空気を裂く音をうなって、百八十度も高く蹴り上げられた。

 その熊をも倒すスピードに、周りの患者が「おおっ」と驚きの声を上げた。



 その日のトレーニングは中止となり、龍一の軽バンに乗って、咲桜は借家へ強制送還となった。

「帰りたくないよう」

 と咲桜はだだをこねた。

「何でだ?」

 龍一の問いに、

「そりゃあ、練習したいからに決まってんだろ」

 と咲桜は答えた。

 しょうの顔なんて、見たくないもん・・れなにも、会いたくないもん・・・

 と思うのだが、それは禁断の言葉だ。言えないことを、根掘り葉掘り聞かれるのはごめんだから。

 

 借家に帰り着くと、幸い翔も玲奈もいなかった。

 鍋に残った雑煮を温め、餅を入れて一人で食べた。

 食べながらつぶやいていた。

「それにしても、病院で見たあの夢、強烈だったな。夢なのに、どうしてあんなに、しょうとのキス、鮮明に覚えてるんだろう?」

 考えていて、ハッと気づいたように目を見開いた。

「どうしてだろう? その夢、前にも見た気がする。同じ夢、前にも見たの? いいえ、まさか・・まさかね・・」

 

 だけどその後、咲桜は同じような夢を幾度も見ることになるのだ。

 そして翔もまた、同じ夢を見た。

 翔はその夢で咲桜と真っ裸で抱き合い、キスに狂い、過激な言葉を発射させた。

【ヘンタイロケット咲桜号】と。

 そして泣きながら訴えた。

「おれたち、一つにならなくちゃ・・」

 だけど夢はいつも、二人が一つになる寸前で引き裂かれるのだった。


 正月以来、翔は毎晩咲桜の帰りを待つストーカー行為を止めた。

 咲桜は安心したが、さみしさも切なさも日増しに膨れあがり、不治の病のように彼女の身体をも心をも蝕んでいくばかりだった。

 彼女の日々の生活は相変わらずだった。平日は縫物工場でノルマをこなし、夕方からジムへ走って行き、トレーニングに打ち込んだ。もちろん土日は一日じゅう特訓だ。

 そして咲桜と翔の二人は引き裂かれたまま、三か月が過ぎた。


 咲桜に待望のタイトルマッチが舞い込んできたのは、町の通りにも山麓にも桜が鮮鮮と咲き乱れ、ヒバリが「ここにいるよ」と天高く泣き狂う、四月初旬のことだ。



 














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