41、玲奈の嘘。咲桜の胸に空いた穴。

 ついさっきまで興奮した雄獣だった翔は、今は酔い潰れて完落ちしていた。

 驚くほど屹立していた男根は見る影もなく、死んだように柔らかく萎びていた。

 それでも百戦錬磨の玲奈には自信があった。指と唇と舌で、どんな男の陰茎もビンビンにするプロのテクニックを自負していた。

 なのにどんなに舐めてもしゃぶっても、翔のそれは一ミリも膨張しなかったし、硬くもならないのだ。

「何でえ? さっき、凄かったじゃない・・あんなに硬くて大きくなってたじゃない・・どうしてえ?」

 女性器を押し当てて擦ってみても、蘇生する気配はない。

「ちくしょう、酒を飲ませすぎたんだ。失敗したあ。しょう、酔いすぎて、勃たなくなっちまった・・でも、何でさっきは、あんなにでかくてカチカチになってたの? もしかして、さっきで勃起の力を使い果たした? とりあえず、しょうの精力が戻るまで、待ってみよう・・あっ、その前に、お姉ちゃんを何とかしなくちゃ・・しょうが目覚めて、お姉ちゃんの裸を見ることだけは、絶対ダメだから」

 ベッドの横で小さなイビキをかいている咲桜に、玲奈は服を着させていった。

「だいたい、お姉ちゃん、どうして裸になったのよ? おまけにしょうとエッチしようとしてた・・でも、こんな痩せたカラダじゃ、わたしに勝てるわけないけどね・・それにしても、お姉ちゃんも、しょうも、どんな酒癖してんの? 特にお姉ちゃんはひどすぎる・・裸になるわ、わたしを殴るわ、しょうを奪おうとするわ・・もう二度と飲ませないようにしなくっちゃ」

 服を着せ終わると、押し入れから蒲団を出して、畳の上の姉に被せた。

 それから玲奈は、卓袱台に残ったウイスキーを、おせち料理を食べながら飲み干してしまった。おせちの残りにラップをかけ、冷蔵庫に入れた。雑煮が入ったお椀は、流しに持っていって中身を捨てた。

 その後、ベッドにも蒲団を出し、裸同士の翔と、抱き合う形で蒲団を被った。

 リモコンで暖房を消し、翔の泥酔の回復を待った。

 いつのまにか暗くなったが、明かりは点けずにいた。闇の中で、愛する男の胸の鼓動を聞きながら話しかけた。

「ねえ、しょう、わたし、しょうと暮らしていきたいの。一生添い遂げたいの。ダメかな?」

 翔の答えは、ボコボコ拍動する心臓の声だけだ。

 玲奈は温かい肌にしがみついて話し続ける。

「そりゃあわたしは、小学生の時から、キズモノだよ・・さだおたちに何度もヤラレちゃったからね・・キズモノどころか、それからは自分で自分を傷つけて、傷つけて、もうわたしの身も心も、傷だけでできてるようなもんさ。でも、そうやってしか、生きていけなかったんだよ。他に生きる道なんかなかったんだ。でも、こんなわたしでも、生きることぐらい、許されないかな? だって、こんなわたしでも、恋ができたんだ。あんたに恋したんだ。あんたという、夢ができた。あんただけが、わたしの、たった一つの救いなんだ。だから、この声を聞いてくれないかな? わたしのこの手を、握ってはくれないかな? わたし、しょうが好き・・しょうを心の底から愛してる・・」

 ほどなく彼女にも酔いが回ってきた。甘い酔いの中で、愛する男の胸の鼓動を感じながら泣いた。泣いて、泣いて、涙の理由も分からなくなった頃、玲奈も眠りに落ちていた。



 翔は女性と初体験をする刺激的な夢を見ていた。

 彼の男性器はフル充電に満ちたように反り上がっていた。

 腕の中には確かに女体の柔肌が密着していた。生肌の温もりも彼をうっとりさせていた。

 そんな彼の顔を、カーテンのわずかな隙間から、朝陽がチクチクいたずらした。

 目を開けると、目の前に黒髪があり、甘い匂いがする。

 何だ、まだ夢の中か・・・

 と思ったが、なぜか胸がムカムカして、頭も痛い。

 それにしても、生々しい夢だ・・この感触・・本物の女性みたい・・・

 生唾を呑む音が聞こえた。それが自分の所作だと気づき、ハッとして指を動かした。

 間違いない・・これは女性の肌じゃないか・・・

 恐る恐る、蒲団をめくってみた。

 豊満な乳房が彼の目に飛び込んできた。そして早熟の乳首も。

 彼の腕に抱かれて眠っているのは、玲奈だ。一糸まとわぬ玲奈だ。

 しかも彼の動きを感じて、ビクッと身体を震わせ、彼女の目が開いたのだ。

「あ、しょう、目が覚めたのね」

 と言う玲奈の目が、すぐに何かに気づいたように大きく見開き、腹部に突き当たる屹立したものへ視線を動かし、凝視した。

「ああ、ああ、しょう、凄い、凄い、すごーい」

 翔は自分も素っ裸なことに気づいて、頭が真っ白になった。

「え? 何? これ、現実?」

 と問う翔の、敏感にヒクヒク震える男性器に、玲奈の歓び勇む手指が伸びて触れた瞬間、

「うわあ」

 と翔は叫んで、飛び退き、ベッドから転げ落ちた。

 その裸体が、下で寝ていた咲桜に直撃した。

「うぎゃあ」

 と叫んで咲桜も飛び起きた。

 咲桜は格闘家の条件反射で身構え、不意打ちを仕掛けた相手に驚愕の目を剥いた。

 その瞳が、全裸の翔の反り上がった股間にどうしても注がれると、

「キャアアア、キャアアア・・」

 と絶叫が古屋を震わせた。

 翔も両手で恥部を覆い、

「ウワアア、ウワアア・・」

 と叫びながら、あたふた自分の服を捜した。

 そしてベッドの下に何やら見つけると、すぐさま穿いたが、それは玲奈の下着で、彼の屹立した亀頭がはみ出していた。

「あああ、あんた、そんな趣味があったの?」

 と咲桜が眉を顰めるので、

「ウアアア」

 とまた翔は動転して、ばっと引きちぎる勢いで脱いだ。

「キャアアア」

 と咲桜は再び悲鳴をあげ、両手で顔を覆ったが、指は開いていたし、目をそらしはしなかった。

「ばか、見るなあ」

 と言いながら、翔はベッド周りをうろうろし、やっと自分の服を見つけて着た。

 ベッドの蒲団から出てきた玲奈も全裸だった。

「な、何なの、れな、そんな裸でいちゃダメでしょ。しょうがいるのに」

 と咲桜が注意した。

 玲奈は「うふふ」と笑って、そのままの姿で翔の腕にしがみつき、離さない。

「どうして? わたしとしょう、一晩じゅう、裸で抱き合ってたのに」

「え? えっ? しょう、れなと、したの?」

 咲桜の黒い瞳が、泣きそうなくらい見開いて翔を見つめた。

 翔は引き攣りながら首を振り、ずきずき痛む頭で思い出そうとした。

 酔い潰れておぼろげだが、女性と全裸同士で抱き合い、キスをした・・嵐のようなキスをした・・そんな記憶が確かにある。そして女をベッドに押し倒し、覆いかぶさっていった・・その記憶の断片が、彼の胸に太い杭を打ち込んだ。

「あ、あ、ああ、おれ、何てこと、しちまったんだ」

 と翔は漏らしていた。

 咲桜は思わず唇を噛んでいた。彼の表情と言葉が、咲桜の胸にも尖った杭を打ち込み、悲しすぎる血を噴き出させていた。

 咲桜も重苦しく痛む頭で、昨日のことを思い出そうとした。

 翔と日本酒の飲み比べをしたことまでは覚えている。透明なはずの日本酒が琥珀色に変わり、味も激変した・・そんな記憶もある。だけどそれ以降、記憶が途切れている。

「そう? そうなのね? あたしが酔って寝ているすぐ横で、しょう、あんた、一晩じゅう、れなと裸で抱き合ってたのね? あんた、平気でそんなこと、できる男だったのね?」

 咲桜の瞳にたまっていく涙に、翔も胸を撃たれてもらい泣きしていた。

「あ、あ、でも、おれ、よく、おぼえ・・」

 と彼がしどろもどろに言いかけるのを、玲奈がここぞとばかりに口をはさんだ。

「お姉ちゃん、祝福してくれないの? わたし、しょうと結ばれたのよ・・わたしとしょう、一晩じゅう生まれたままの姿で愛し合ったの・・わたしとしょうのこと、祝福してくれるよね?」

 玲奈の光るナイフのような眼差しに、咲桜はしり込みし、膝も折れそうに震えた。

「あ? そ、そうね・・よかったね・・おめでとう、れな・・」

 そう妹を見て言うと、咲桜は血走った目で翔を睨み、低い声で言った。

「おい、おまえ・・あたしの妹を幸せにしてくれるんだろうね? もし、れなを泣かせたら、あたしが許さないんだからね」

 翔はぷるぷる首を振りながら、

「な、な、な・・」

 と必死に言葉を探す。

 だけど咲桜はこらえきれず背を向け、

「おっと、今日は、早朝からジムで特訓があるんだった。じゃあな、お幸せに」

 と告げると、決壊した涙を見せぬよう、玄関へ急ぐのだ。

 咲桜の背中に翔は叫んでいた。

「さくら、おれを殴ってくれえ・・」

 咲桜が家を飛び出して見えなくなっても、翔は叫び続けた。

「さくら、おれの股間も蹴り潰してくれえ・・二度と変なこと、できないように・・ねえ、いっそのこと、おれを、蹴り殺してくれよお」

 その叫びは、激走する咲桜には届かない。

 咲桜は泣いて泣いて泣いて、走って走って走った。

 走りながら気づいた・・頭が猛烈に痛く、嘔吐感も尋常じゃないことを。

 二日酔いという言葉を知らぬ咲桜は、

「あたし、ひどい病気みたいだ」

 とつぶやいていた。

 それでも、泣いて泣いて泣いて、走って走って走るのを止めなかった。

 泣いても泣いても泣いても、走っても走っても走っても、胸にぽっかり空いた穴は大きくなるばかりだった。この世のすべてを奪われたような喪失感が、彼女を打ちのめし、心を引き裂き、生きる希望を根こそぎ強奪していた。二日酔いの頭痛より、砲弾が胸を突き抜けたような心痛の方が深刻だった。

 それでも咲桜は泣きながら叫んでいた。

「ねえ、これでいいんだよね? れなが幸せになるなら、それが一番なんだよね? あたし、昔、れなを不幸のどん底に陥れた。だから今、あたし、れなを地獄から救い出すために、ここに戻って来たんだよね? れなを幸せにするために、あたし、どうにか生きてるんだよね? そうでしょ? ねえ?」

 遥かな【DARKU RIGHT】の向こうの、霞む山々も泣いていた。晴れてるのに、空も蒼く泣いていた。泣いている田畑を抜け、泣いてる町を突っ切る、咲桜の足音も泣いていた。

 泣きながら、走りながら、咲桜は自分に言い聞かせた。

「れなはしょうを愛してる・・だからしょうを幸せにしてくれるよ、きっと・・それにれなは、あたしより七つも若いんだ・・そのうちきっと、あたしよりれなの方がいいって、しょうも思う時がくるはず・・いいえ、れなのあのカラダときたら、女のあたしでさえゾクッとするくらいエロいのよ・・この一晩で、しょうだって、もうれなに夢中になってるに違いないよ・・れなのおっぱい、あたしの倍はあるもんね・・しょうだって、男よ・・れなの方がいいって、もう絶対思ってるって・・」


 【DARK LIGHT】に着いて、咲桜がジムに入ると、中にいた凛子が驚きの目を向けた。

「あれっ? さくら、顔、真っ青じゃない。どうしたの?」

 と心配そうに問う凛子に、咲桜は精いっぱい笑ってみせた。

「明けまして、おめでとうございます。今年も・・」

 と言う咲桜の視界で、目を大きく見開く凛子の顔が黄色くなり、赤黒くなってゆがんだかと思うと、ゆっくり斜めに回った。

「ああっ」

 と漏らす凛子の声が視界の外へ霞み、床が急激に迫ってきた。

 ゴンっと鈍い痛みが頭蓋に響き、意識が痺れた。

 涙とよだれが床に垂れた。

 凛子は倒れた咲桜に駆け寄ってひざまずいた。

「ああ、さくら、何があったの? ねえ、さくら、どうしちゃったの?」

 切迫した声がどこか遠くの頭の裏で聞こえたが、咲桜には凛子が見えなかったし、何かを言い返すこともできなかった。











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