35、びびってるなら、迷う前に、五秒で倒して来な
12月31日、午後七時、NHK紅白歌合戦直前の大事なゴールデンタイム、超人気格闘家であり美人女優でもある南美波、通称ミナミナの大晦日K-1決戦が民間テレビで全国生放送される。
場所は五万人の観衆が見守る東京ドームだ。
ミナミナの勝利を観なきゃ、年を越せない・・・そんな格闘技ファンが日本じゅうにいるのだ。
今年の対戦相手は、今秋まで世界タイトルを持っていたアユータ・スワーケムの予定だった。美少女顔のスワーケムは、日本でも人気なのだ。
しかしスワーケムが咲桜との戦いの後遺症から回復できずに辞退した。そのため、彼女を倒して東京ドームの切符を手にした咲桜となったのだ。
咲桜は、まだプロのリングで三戦目のルーキーだが、過去二戦は1ラウンドKO勝利だし、七年間女子刑務所にいたダークヒーローの肩書も紹介され、格闘女王ミナミナに倒されるべき悪役としてはうってつけだった。
咲桜の控室に、玲奈と一緒に翔も現れた。
翔の車で来ることを玲奈に聞かさせていたので、咲桜は驚きはしなかった。だけど紅のブラトップにショートパンツ姿で、肌もあらわの姿を、彼にだけは見られたくなかった。いや、本当は、彼にだけ見られたかったのかもしれない。そのリング衣装を彼に見られるのは前回の試合に続いて二度目だが、今宵はどうしようもなく身体が火照り、素肌がピンクに染まった。
「こんにちは、いや、こんばんは、だね」
と翔は挨拶した。
咲桜は顔も見ずに告げた。
「今日は、試合に集中したいんだ。部外者は近づくなよ」
玲奈が声を尖らせた。
「お姉ちゃん、ひどい言い方・・昔、仲、よかったんだよね?」
翔はまっすぐ咲桜を見つめ、やさしい声で言った。
「ごめんよ。今日は、おれ、さくらのファンとして、黙って観てるから・・一ファンとして、さくらの勝ちを祈ってるよ」
玲奈がそれをフォローする。
「ファンは宝物だよ。プロは、ファンのために頑張るんだよね?」
咲桜は玲奈の目も見れなかった。
厳しい目をドアに向けて玲奈と翔の横をすり抜け、控室から出た。
ファンのために命を懸けるよ・・・
と咲桜は心で叫んでいた。
たとえそのファンが、あたしの帰りを毎晩待つ悲しいストーカーだとしても・・しょう、あたしの愛してやまないひと・・好きだなんて言えはしないけど、代わりに、凄い試合を見せてあげるよ・・この試合、死んでも勝ってみせる・・・
今宵も【ダークヒーロー】の曲とともに、まばゆいライトに照らされ、咲桜は大観衆の間をリングへ向かった。
ハードロックの激しい歌声が、東京ドームに響き渡った。
そう あいつはダークヒーロー
暗闇でしか生きられぬ
本当は太陽の子なのに
そう 悲しいダークヒーロー
・・・・・・・・・・
龍一、凛子、玲奈、翔の四人も、チームスタッフとして後に続いた。
アナウンサーの興奮した声がドーム内に、そしてテレビ生中継で全国に響いた。
「お待たせしました。今年の格闘女王ミナミナの対戦相手の紹介です・・格闘技界に、突如現れたダークヒーロー、否、ダークヒロインと呼ぶべきか。女子刑務所からの刺客。今夜、出場予定だった元世界チャンプのスワーケムを病院送りにした恐ろしい魔人、寒い冬にも咲く桜、【咲桜】選手の入場です。過去二試合は、三日月優、アユータ・スワーケムといった超有名選手を必殺の蹴りで1ラウンドKOし、一躍今夜の出場権を得た、キックボクシング会の超新星です」
咲桜はリングに上ると、拍手してくれる四方の観客に深く礼をした。
会場に流れる曲がガラリと変わり、選手入場口にライトが集中すると、大観衆のボルテージが飛躍的に上がった。
光を身にまとった女性は、右拳を高く上げ、まばゆいばかりの美しい笑顔を見せた。
南美波、ミナミナだ。
金銀の飾りをつけた紫のブラトップにインナー付きのミニスカート。美容師に編み込まれた赤、黄、紫が交じり合った髪。身長は咲桜と変わらないが、一階級上の豊満な肉体。
「ミーナミナ、ミーナミナ・・」
という観客の大合唱と手拍子に乗って、南美波はリングへと進んだ。
アナウンサーの声色も、劇的に変わった。
「今年も大観衆の熱狂がマックスを超えましたあ。われらが格闘女王、南美波。今年はテレビドラマのヒロインも演じ、今や国民の恋人、ミナミナ。その誰もが見とれる美貌と、たぐいまれなパンチ力は、格闘技界唯一無二のダイナマイト・・五年連続大晦日K-1決戦KO勝利中だあ。今年もミナミナの勝利を観なきゃ、年を越せないぞ。元K-1フライ級王者、南みなーみー」
南美波がリングに上ると、そのあまりもの美貌に、咲桜は腰を抜かしそうになった。
うわあ、すごい美人・・この世には、りんこさんより、美人がいるのね・・・
と心で叫んでいた。
こんな美人の顔、蹴ったりしたら、全国民に恨まれそう・・ましてやKOなんかしたら、全国民の仇になっちゃう・・・
青いグローブを着けながら、龍一が聞く。
「なんだその顔は? びびってんのか?」
咲桜は声を震わせる。
「びびってるよ。こんな美人、生で見れて、気絶しそう。この世のものとは思えないあの顔、蹴っていいのか?」
「この世界、やるか、やられるか、だ。さくら、勝たなきゃならねえんだろ? 妹を高校や大学に行かせるんだろ? おれたちゃ、ここで勝たなきゃ、明日はねえんだ。チャンスはな、逃したら終わりの大大大ピンチなんだよ。人生逆転は、今、この時にかかってんだ。ええい、今のさくらが本気を出せば、格闘女王だって十秒、いや、五秒で倒せるんだぜ。びびってるなら、迷う前に、五秒で倒して来な」
バチーンと赤い手形が残るほど背中を叩かれ、咲桜は怒れる目で龍一を睨んだ。
何めちゃくちゃなこと言ってやがる・・。
と咲桜は思ったが、龍一の目も恐ろしいほど真剣だった。人生のすべてを懸けたような、極限のまなざしだ。
ゴングが鳴り、咲桜は一気にミナミナに詰め寄った。
五秒で倒せ、だってえ? ちくしょうめ、やりたくなるじゃねえか・・・
そう心で叫びながら右のローキックをビュンと振った。
ミナミナはそれを読んでいたのか、さっとバックステップでかわし、すぐにカウンターの左フックを振り回した。あいさつ代わりの得意のパンチだ。KOの山を築いてきた岩をも砕くようなフルスイングだ。
しかしその拳より速く、咲桜の右足がぐにゃりと反転し、足先がミナミナのレバーへ食い込んでいた。蹴りに押され、ミナミナの左フックは咲桜の鼻先でビュンと空を切った。ミナミナにはその蹴りが見えてなかった。カウンターを放ったはずなのに、自分が食らっていたなんて信じられなかった。
咲桜の右足は、さらにくねり、横蹴りのかかとがミナミナの顎を突き上げた。
観たこともない連続技に、大観衆から悲鳴に似た叫びがとどろいた。
ミナミナは必死のバックステップでダウンを逃れようとしたが、一瞬遅れて右脇腹に地獄に堕ちそうな劇痛が爆発し、耐えきれずしゃがみ込もうとした。が、そこへ咲桜が突進して、跳んで来た。
飛び膝だあ・・もっと下がらなくちゃ直撃する・・・
そう心が叫び、ミナミナは超人的な脚力でさらにバックステップした。コーナに背が着き、身動きできない位置へと追い詰められたが、ここなら届かないと確信した。
なのにありえないことが起きたのだ。砲弾のように飛んで来た咲桜が突き出したのは膝ではなかったのだ。サッカーボールをどこまでも蹴り上げるように、空中で右足が振り上げられたのだ。
それを見たミナミナの両の目玉は恐怖で飛び出しそうだった。
「うぎゃあ」
と蹴られる前から叫びながら、 鍛え抜かれた防衛本能で両のグローブを顔の前へ突き出していた。それでも咲桜の足先は想像を超えた破壊力でグローブを蹴り離し、ミナミナの喉から顎を蹴り上げた。
レバーの劇痛で地獄へ沈みそうだったミナミナは、一転、天国へと蹴り上げられたのだ。ボンッと爆裂音が顎から脳天へと響き、身体が宙へ浮くのを感じた瞬間、ミナミナの意識も異世界へ飛んだ。そして彼女は、コーナーのトップロープに両腕を絡めたまま、白目を剥いていた。
東京ドームが五万人の驚愕の声で大地震に襲われたかのように揺れた。
レフリーはカウントせず、試合の終了をジェスチャーで示し、すぐにミナミナを介抱した。
ゴングが鳴り響き、解説者たちも観衆も、「何だ、今のは?」と目を血走らせていた。
アナウンサーがマイクに唾を飛ばした。
「大事件が起きましたあ。な、何と、五秒、たったの五秒で、われらが格闘女王、ミナミナがKOされましたあ。これを大事件と呼ばずに、何と言えばいいのでしょう? しかも見たこともない怒涛の連続蹴りだあ。この【咲桜】という新人は、本物のダークヒーローに違いありません。われわれは、今、物凄い大事件の目撃者となったのです」
南美波が担架で運ばれ、グローブを外したリング上の咲桜にマイクが渡された。
プロのリングでは、勝利者のコメントも大事なファンサービスだ。
咲桜は四方に深くお辞儀をし、こわごわ話した。
「あ、あのう、全国のミナミナファンの皆さま、あたしが勝ってしまって、ごめんなさい。あたし、南美波さんを生で見て、あまりもの美しさにびびってしまって・・そしたら、うちのコーチが、びびってるなら、迷う前に、五秒で倒して来な、なんて、むちゃくちゃ言うもんだから・・それで、あたし、夢中で蹴ってしまいました・・本当にごめんなさい。でも、あたしだって、勝たなきゃいけないんです・・」
涙ぐむ咲桜を見て、リングの近くの男性ファンが大声で声をかけた。
「知ってるよ。妹のため、だろう」
咲桜はそちらに向かってペコリと頭を下げた。
「あ、ありがとうございます・・何度も言って心苦しいけど・・ええ、あたし、妹のれなに、死んでも許されない迷惑をかけた。だから、あたし、あたしが生きれなかった青春を、妹にだけは与えなくちゃいけないんです。高校や大学に行かせなきゃ・・なんです。でも、刑務所帰りのあたしには、そんなお金、ないです。だから、絶対絶対、世界チャンピオンにならなきゃ、なんです。そのために、もっともっと練習して、あたし、強くなります。応援してくださいなんて、言える人間じゃないですけど、あたし、死に物狂いで這い上がっていきます」
観衆の声援や拍手が響いた。
リングアナウンサーがマイクを使って質問した。
「先ほど、コーチに、五秒で倒して来な、と言われたそうですが・・そしてそれを実現してみせたのですが・・五秒で倒す練習をしてきたのですか?」
咲桜は、とんでもないと言わんばかりに首を振り、マイクで答えた。
「まさかあ、南さんに勝つために毎日特訓してきたのは、キックの百連発です。三分間、キックを機関銃のように撃ちまくる特訓です。今夜は、その最初の連打がヒットして倒せて、幸運だっただけです」
アナウンサーが目を丸くして言う。
「キックの百連発? あのキックの連続技を、百連発で撃ち続ける予定だったのですか?」
「ええ、そのつもりでした。死ぬほど練習してきましたから」
「ミナミナをKOした、最後の蹴りは、何でしたか?」
「ああ、あれは、新技の、ジャンピングアッパーキック、です。それも必死で練習してきました」
「ジャンピングアッパーキック? 誰もが驚愕した超人的な蹴りでした。東京ドームの大観衆の皆さま、そしてテレビをご覧の全国の格闘技ファンの皆さま、ニューヒーローの誕生です。【咲桜】選手に、もう一度大きな拍手を」
そうアナウンサーが称えると、五万人の拍手で会場がまたも揺れた。
咲桜はリングを降りる前に、声のトーンをマックスにして言った。
「東京ドームの皆さん、テレビを見ている皆さん、あたしの試合を観ていただいて、ありがとうございました。あたし、必ず世界一になります」
会場に【ダークヒーロー】の曲が鳴り響き、リングを降りる時、咲桜は一瞬だけ翔と目が合った。バチッと電流がショートしたような刹那だったが、咲桜はすぐに目をそらした。そして観客たちとハイタッチをしながら退場した。その観客の中には、咲桜の笑顔に涙を見たような気がした者たちもいた。
彼女の背中に【ダークヒーロー】の歌詞が突き刺さっていた。
そう あいつはダークヒーロー
暗闇でしか生きられぬ
本当は太陽の子なのに
そう 悲しいダークヒーロー
嫌われてなんぼの
疎まれてなんぼの堕天使さ
本当は太陽の子なのに
本当のことは誰も知らない
愛する者のために
暗闇で生きると決めた
そう ばかげたダークヒーロー
罵られ 叩かれ 踏みつけられて
それでも暗闇で生きる
そう あいつはダークヒーロー
愛する者のために
それでも暗闇で生きる
ダークヒーロー ダークヒーロー
・・・・・・・・・
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