28、翔は玲奈を食べたの? 玲奈は翔を食べれたの?

 次の日の午後八時半、自転車で帰宅した玲奈は、近くにハスラーを見つけ、満月のような笑みで駆け寄った。

 運転席のドアが開き、山上翔が出てきた。

「せんせ、待たせちゃった? スーパーで、買い物してたの。先生に、おいしいもの作ろうと思って」

 としゃべりかけながら、玲奈は猪突猛進、翔の腕を取る。

 髪の甘い香を男の鼻先に揺らしながら、絡めた腕を引いた。

「家、誰もいないよ。お姉さんは?」

 と不安げに翔が問う。

「言ったでしょ? 姉は、キックボクシングのトレーニングをしていて、帰るの、ちょっと遅くなるって。先生、学校からここに直行でしょ? 夕飯食べてたら、姉も帰って来るよ」

 咲桜が帰るのがいつも深夜だということは、とりあえず秘密だ。

 家に入り、玲奈は翔の目も気にせず、鼻歌交じりで制服を脱ぎ、胸元が広いピンクのワンピースに着替えた。翔は驚いて背を向けていたが、玲奈は下着も全部脱いで、ワンピース一枚を生肌にまとっていた。しかも胸のボタンを上から二つ外したままだ。

 それから玲奈は手早く八宝菜とオムライスを作り、翔の隣に座って、二人で食べた。

 男性の胃袋を虜にすることも、パパ活時代に鍛錬した玲奈のプロ級の技だ。

「浜岡、料理、うますぎないか」

 と一口食べて翔は言う。

 玲奈はウフフと笑い、

「しょう先生のいい奥さんになれるでしょ?」

 と天使のように輝くウインクする。

 翔は思わず目をそらしたが、わざと大きく開かれたワンピースの胸元から大きな乳房が生々しく揺れて見えてしまった。それどころか見えるはずのない乳首までチラリチラリ、衝撃的な事故のように彼の無防備な眼球内へ飛び込んできて、

「お姉さんの分は、作らないの?」

 と問う声も、悲しいほどうわずってしまう。

「姉は、いつも、ジムで食べてくるんだ。体重が増えないように、キックボクシング用の特別食なんだって」

「すごいなあ・・浜岡は空手で、お姉さんはキックボクシングなんて・・姉妹で格闘技の才能があるんだね」

「もう、二人の時は、浜岡と呼ばないで。れなって呼んでよ。わたしたち、いい仲なんだから」

「いい仲って?」

 玲奈の好奇に満ちた黒い瞳が、翔の目を覗き込む。

「とぼけないでよ。出会った雨の日、二度もキスしたでしょ? 今日、三度目のキスをするから、もうしょう先生は、わたしのものよ」

 翔のドキドキ拍動する瞳孔が大きく開いた。

「三度目のキスって・・・しない、しない。担任に向かって、怖いこと言うなよ」

「担任だろうと、年頃の男と女よ。好意を持ったなら、キスして当然じゃない。何にも心配いらないわ。二人だけの秘密は、何があっても守るよ。結婚するまで、わたしが先生を守るから、結婚したら、先生がわたしを守ってね」

 玲奈のいたずらな瞳は、

 わたしが先生にキスするなんて、赤子の手をひねるくらい簡単なことよ・・・

 と微笑していた。

 それから先は、おいしい料理も、翔は味すら感じず喉に掻き込んでいた。

 隣で話しかける娘を少しでも見ると、あからさまな乳房がどうしても目に入る。これはもう、完全な裸体より青年の男性ホルモンを刺激した。娘の話の内容も、ちっとも入ってこず、彼は「うん」「うん」うなずくしかできなかった。

 いつしか、玲奈は食事を終え、

「眠くなっちゃった」

 と言って、翔の肩に頬を預け、目を閉じてしまった。

 何なんだ? これは・・・

 すーすーと心地よい寝息が、彼の胸元をくすぐっている。

 見てはいけない・・・

 と思うほど、彼の頭はおかしくなる。

 大きく開きすぎたピンクのワンピースの胸元が、彼のすぐ眼下なのだ。

 白い乳房に青い血管が見え、呼吸のたびに乳首が上下して、見えたり見えなかったり。

 こらえきれずに青年が生唾を呑み込んだ音を、玲奈は聞き逃さない。

 玲奈は燃える胸で呼びかけている。

 ほら、早く、早く、わたしを襲いなさいよ・・こんなに身を投げ出して、熟れた身体を差し出してるのが、分からないの? もう、こんなとろい男は初めてだわ・・・

 五分経っても固まったままの男に、玲奈は我慢しきれなくなった。

 だったら、プランBよ・・さあ、アクション・・・

「しょう・・」

 とささやきながら、玲奈は翔の体に両腕を回し、幼いコアラのように抱き着いた。

 そしてうるんだ目で翔を上目遣いに見つめた。その目がどんなに性的な目であるか、玲奈は熟知していた。それから唇を男の首に埋め、目的の唇目指し、ゆっくりと舌先を這わせた。

「これは、犯罪だよ」

 と震えるような小さな声が、玲奈の耳元をくすぐった。

「犯罪?」

「だって、おまえ、まだ十六、だろ?」

 男の頬に唇を軽く触れたまま、玲奈は燃える吐息を刻み込んだ。

「わたしが先生を愛しているのに、十六だから犯罪だというの? いいわ、犯罪なら犯罪で、その罪、全部、わたしがかぶるわ。言ったでしょ? 結婚するまでは、わたしが先生を守るって。二人だけの秘密、何があっても守るって。今、こんなに愛してるんだよ。だから今、身も心も全部なげうって、愛し合わなきゃ」

 燃える唇がすっと動いて、翔の唇を狙う。

 おちた・・・

 と玲奈は思う。

 ここまで来て落ちなかった男はいない。

 三度目のキスで、もう、しょうは、わたしのものよ・・・

 なのに唇と唇が触れ合う寸前で、男が顔をそむけたのだ。

 え? 何で?

 驚愕の瞳で玲奈は翔を見つめた。

「先生?」

 翔は娘の腕を振り払うように立ち上がった。そして何も言わず、逃げ腰の瞳で首を横に振った。

 玲奈もすぐに立ち上がっていた。

「先生、わたしを、好きじゃないの?」

 翔はもう一度首を振った。

「好きだよ」

 と小さな声。

 玲奈は微笑んだ。

「ああ、よかった。わたしも、好き」

 と言って、また両手で男を抱きしめた。

 男はなおも首を振る。

「だけど、何か。違うんだ。ごめん、うまく言えないけど、何か、違う」

「え? 何が、違うの?」

 翔は大きく目を見開いて玲奈の潤んだ瞳を見返した。

「それより、お姉さん、もう、帰って来るだろ?」

 玲奈は、二度、三度、うなずいた。

「ああ、そうね、姉のこと、気にしてるのね。大丈夫、お姉ちゃん、いつも、十二時すぎないと、帰って来ないから。だから、それまで、二人っきりなのよ」

 そう甘い声で告げると、玲奈は男の胸に頬をくっつけた。

 逃がさない・・逃がすもんか・・・こうなったら、プランCだ・・・

 心臓の鼓動を確かめながら、指先を男の広い背に食い込ませた。

 翔は娘の髪の匂いに撃たれながら、心で葛藤していた。

 おれには、ずっと昔から、心に決めた人がいる、と告白するべきじゃないのか? だけど、このこの性格は分かっている・・・そんなこと言ったら、このこは、『誰よ、その女? 許さないから』と逆上しそうだ・・・しかも、おれが心に決めている人は、このこによく似た人なんだ・・・世界じゅうでただ一人の人なのに、どうしてもこのこと重なってしまうんだ・・・

 翔がそう考えていた時、玲奈が胸に顔を埋めて、ふいに泣声をあげ始めた。

「うっ、うっ・・」

 と、ひきつけを起こしたような短い泣声の後、

「うえーん、うえーん・・」

 と、映画で観たことがあるような幼い泣声に変わった。

「えっ? 浜岡? な、何? どうした?」

 翔は困惑した。

 玲奈は、いやいやをするように、翔の胸に顔を擦り付け、

「わたし、女の魅力がないの? そうなのね?」

 と泣声で問う。

 翔は黒髪にそっと触れ、

「そんなこと、あるはずないよ。おまえは、凄い魅力的だよ」

 となだめる。

「嘘ばっかり。わたし、もう、生きていけない。今夜、川に飛び込んで、死んでやる」

 そう泣声で言いながら、玲奈はしがみついた身体をくねらせ、胸や太ももを翔の身体に擦り付ける。そして神経を翔の下腹部に集中させる。

「そんなこと言っちゃだめだよ。おまえが死んだら、悲しむ人がいるだろ?」

 と言いながら、腰を引いてしまう翔に、玲奈はほくそ笑んだ。

 この人、勃起を隠そうとしてる・・・

 逃げれば、玲奈の下半身は追いかける。

「わたしが死んでも、誰も悲しまないよ」

「少なくとも、おれは、心が痛くなるよ」

「本当?」

 背中に回した指を、臀部へ下げ、ぎゅっと引き寄せる。そして、腹部に感じる膨らみに、なおも身体を擦り付ける。 

「本当だよ」

「本当みたいね」

 膨らみが硬くなって押し返すのを、玲奈は全身全霊で悦ぶ。

「えっ? な、何?」

 翔の視界がぐるりと回った。足をかけられ、畳に押し倒されるのに、少しも抵抗できなかった。気が付いたら、彼は畳の上に仰向けになっていて、玲奈にマウントポジションを許していた。

「ほら、先生のアレ、こんなに硬くなってるじゃない」

 ズボンの膨らみに陰部を前後させながら、玲奈の目が妖艶な催眠術師のように翔を上から呑み込む。

「あ? ダメダメ」

 懸命に右手の指を伸ばして二人の密着部分に差し入れ、翔は破裂しそうな極部を守ろうとした。その指の甲にぬるっとした温かみが押し付けられ、前後に滑った。

「ああ、イケナイ男」

 と艶めかしい声が彼を凌辱する。

 娘はワンピースの下に、何も身に着けていないのだ。

「え? え?」

 アン、アン、と淫らな声をぶつけながら、娘は青年の震える指に愛液を食い込ませ続ける。手の内の肉棒は、すべてを突き破ろうとピクンピクンいきり立って痙攣しだした。

「せんせ、その指、わたしに入れていいんだよ。わたし、しょうが、欲しいんだよ。ねえ、しょう、もしかして、女を知らないの?」

 翔は震えるように首を縦に振る。

 娘の瞳孔がさらに膨らむ。

 その顔がすうっと落ちて来ると、娘のふくよかな唇が翔の耳に吸い付き、熱い吐息で彼の身体を焦がす。

「わたしが女を教えてあげる。これは、男と女の、大事な秘め事なんだよ」

 玲奈は翔の耳を軽く噛んだまま、ワンピースの前のボタンを一つ一つ外していく。その間も、下半身は擦り付け続けている。自分のボタンを全部外すと、次は男のシャツのボタンに手をかける。いつしか男のシャツは開かれ、突然の稲妻のように乳首に舌が絡んだ。恐るべきプロの技で乳首を軽く噛まれると、ビクンと身体がのけぞり、男の口からウウッとうめき声が漏れた。

 今度こそ、おちた・・・

 と玲奈の胸が歓喜した。

 もう、わたしのものよ・・・

 玲奈は唇を首へと這わせ、そして一気に男の唇へと跳んだ。

 もうこれで抵抗できる男などいるはずもなかった。

 なのに、またも翔は顔をそむけたのだ。

 そして驚いて固まった玲奈から身をくねらせて擦り抜けると、あっという間に立ち上がっていた。

「ごめん、浜岡、おれには、心に決めた人がいるんだ」

 翔はついにそう打ち明けると、目を丸くして半裸のまま動けない玲奈を残し、逃げるように飛び出して行った。



 深夜、咲桜が帰宅した。

 部屋の電気がついていた。

 どうしたのだろう?

 ボタンの外れたピンクのワンピースを被った玲奈が、ベッドを背に、膝を抱えてうなだれている。

 食事の跡がそのまま残されている。それも明らかに二人分の食器だ。黒々とした不安が咲桜の胸に渦巻いた。

 咲桜は、玲奈の横に膝をついた。

「れな・・」

 呼びかけても、反応がない。

 膝を抱えたまま、眠りについたようだ。

 肩を揺すって起こした。

「れな、ベッドの上で寝なさい」

 玲奈はビクッとして、目を開けた。

「あ、さくら・・」

「ほら、ベッドに上がって・・」

 腕を引いて、一緒に立ち上がった。

 玲奈はすぐにベッドに沈み込んだ。

 咲桜は妹に布団をかけると、茶碗やお皿を流しへ運んだ。

 そして洗いながら問いかけた。

「ねえ、れな、起きてる?」

「うん、何?」

 と元気のない声。

「あのね、昨日、れなが言ってたこと、もしかして、今日、実行したの?」

「昨日、言ってたことって?」

「ほら、山上先生を、家庭訪問させるって・・」

「ああ、そうね、もちろん、実行したよ」

 咲桜の細い指から、皿が滑り落ちた。

 咲桜はしばらく押し黙って、最大の水量で皿を何度も洗い直していたが、やがてか細い声で聞いた。

「あのね、れな・・・れな、まだ、起きてる?」

「何よ? 眠れないじゃない」

「あのね、それで、あんた、先生と、したの?」

「したって、何を?」

「え? ア、アレ、よ」

「アレって何よ? セックス?」

「あ、う、うん・・・まさか、して、ないよね?」

 泣きそうなくらい真剣な声で問うので、玲奈は怒ったように答えた。

「わたしを誰だと思ってるのよ? したに決まってるでしょ。あんな男、わたしのテクニックにかかっちゃ、イチコロだったわ」

 そう強がった。

 咲桜は何度も何度も茶碗や皿を洗い直したが、何かにこびり付いたひどい汚れは取れそうにない。ふいに洗うのを止め、家を飛び出した。

 夜の底へ走り出すと、こらえ切れぬ号泣を吐き出していた。

 うおううおう、泣きながら疾走した。真夜中の住宅街を走り抜け、田畑の道を抜け、また家々の横の狭い道を通り抜けた。ゆがんだ月がどこまでもついてきた。

 いつしか堤を駆け上がり、それから転げ落ちるように河原へ駆け下りた。前方には月光を呑んだ大河の黒銀の鱗が幾万も蠢いていた。星影沈む水流に飛び込むのに、一瞬の躊躇もなかった。ザブザブ黒い水流が胸の高さになるまで突き進むと、うおううおうという泣声を、ドボーンと思いっきり黒透明の水中に沈めた。それでも号泣は止められず、故郷の大河で、身体も心も魂も、洗い流し続けた。

 そして泣き叫んでいた。

「もう、あたしは、どこへも泳ぎ着くことができない、傷だらけの魚だ・・・だけど、れなとしょうが幸せになれるのなら、それは、祝福してあげなくちゃいけないんだよね? そうだよね? だけど、せめて今だけ、今だけは、泣いていいよね? 人生をかけた恋が実らなかったんだもの・・今だけ、泣かせてよ・・・明日から、二人の幸せを、心から祈るから・・せめて今だけは、ああ・・」

 全身を冷たく抱く黒の流れは、咲桜の涙の流れだ。咲桜といっしょに、夜の大河も壊れながら、うおううおう泣き続けた。 

 












 

 













































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る