24、咲桜も知らない怪物の血

 赤裸々に照らされたリングの白いキャンバスの上・・・・・・

 龍一と玲奈が駆け寄って、泣き崩れる咲桜の前後に膝をついた。

 玲奈が後ろから咲桜の肩をそっと抱いた。

 凛子が、熟練のスリのように、リングアナウンサーから素早くマイクを奪い取った。そして観客に訴えたのだ。

「わたし、さくらのマネージャーの山本と申します。どうか、お聞きください。今、お聞きの通り、さくらは、殺人の罪で、七年間、服役していました・・・」

 まばゆいライトに突如浮き上がった女優のように美しいマネージャー・・・マイク強奪犯の津波のような訴えに、観客たちはすぐに引き込まれ、ざわめきは静寂に変わった。

「試合前にアナウンサーが紹介したように、さくらは、高校一年の時、一番仲が良かった男子をイジメる元ラグビー部の男子と、学校の屋上で決闘したのです。イジメを止めるためです。さくらは、当時、空手で日本一で、決闘など許されるものではないのでしょう。だけど、相手も体重百キロのケンカ自慢の荒くれ男子です。さくらのほうが不利な闘いでした。殺される危険もあったのに、友だちのために、やらなきゃいけなかった。そして、事故が起きたんです。その相手の男子が、闘いの中で屋上から落ちて死んだんです。さくらも落ちかけたけど、ギリギリ助かった。そして、殺人罪という悲しすぎる運命を背負って、人生で一番輝くべき青春時代を、塀の中で暮らしたんです。すべては、友だちを救うためでした。そして今も、さくらは妹にだけは、自分が生きれなかった幸せな青春を生きれるように、こうして闘っているのです。罪深きわたしどもを、非難なさってもかまいません。でも、もし、この観客の中に、あるいはライブ配信のインターネットを見てくれている格闘技ファンの中に、地獄の逆境から這い上がろうとして毎日過酷な特訓をしているさくらを、応援してくれる人が一人でもいれば、わたしたちは何があっても負けません。それだけは、どうかご理解ください」

 そう訴えると、凛子は四方へ向かって四回、深々と礼をした。

 龍一と玲奈に支えられて立ち上がった咲桜も、同じように礼をした。

 リングを降り、入退場口へ向かう四人に、観客の中から男の声が飛んで来た。

「おれは、さくらを応援するぞー」

 その声に続いて、女性の声も響いた。

「わたしも、昔、イジメられてたよ。だから、さくらを、心の底から応援するからね」

 咲桜は声の方向にまた礼をして、観客席の間を歩いた。最後にもう一度振り返り、長い礼をした。

 そして入退場口を出ようとした時、今、まさに入場しようとしているあの選手とぶつかりそうになり、慌てて立ち止まったのだ。

 その選手は、そう、今夜のメインイベント、世界タイトルマッチに挑戦する堀田ジムの海田恵・・・リングネームMEGUMIだ。

 十六歳の天才ファイター、しかもまばゆいばかりの美少女、MEGUMI。

「あ、久しぶり」

 と咲桜は声をかけた。

 なのに恵は咲桜には一瞥もせず、龍一を食い入るように見つめ、

「りゅういちさん、お久しぶりです」

 と言う。

「ああ、久しぶりだな」

 と龍一は低い声で返した。

「わたし、今夜、世界一になります。そしたら、また、キックボクシング、教えてくれますか?」

 と恵は熱い問いを龍一にぶつけた。

 龍一はじっと恵を見つめ、首を振った。そして、歩き出しながら咲桜の腕を取った。

「おい、行くぞ」

 と咲桜に言って、腕を引く。

 その咲桜のもう一方の腕を恵はつかんで聞く。

「この人より、わたしのほうが能力高いですよね?」

 立ち止まった龍一は、もう一度恵を見つめた。

「だから、何だ?」

「こんな人より、わたしを教えた方が、絶対いい。そうでしょう?」

「こんな人?」

「人殺し、なんでしょう? そんな人が格闘技界のスターになれるはずがない。わたしは、今日、必ずチャンピオンになってみせる。そんなわたしのコーチになれば、りゅういちさんだって、また、日の当たる場所に戻ってこれるよ」

「めぐみが、今日チャンピオンになって、そして、この、さくらにも、また勝つことがあれば、考えてもいい」

 龍一の鋭い眼光を反射するように、恵の瞳もぎらついた。

「男に二言はないよね? わたし、こんな人には絶対負けない。その前に、今日、世界を獲ってやるよ」

 彼女を呼ぶ入場曲が大音量で流れ始め、恵は咲桜の腕を離し、入場口へと進んだ。

 鮮やかなスポットライトが恵を照らすと、観客の大歓声が沸き起こった。

 咲桜は恵の背に大声で叫びたかったが、入場曲や大歓声にかき消されると思い、心で呼びかけた。

 めぐみさん、頑張って、チャンピオンになってください・・

 恵は観客に手を振ってリングへと歩いたが、咲桜には自分に手を振っているようにも見えた。


  K-1ミニマム級のチャンピオン、タイのアユータ・スワーケムは、二十歳なのに八十戦以上の試合をこなしているファイターだ。

 パンチもすごいが、得意はキックで、ロー、ミドル、ハイキック、そして膝蹴りを、襲い来る百本の矢のように目にもとまらぬスピードで連打する。これまで多数の日本人の挑戦を圧倒的に退けている。

 

 咲桜たちは控室のモニターで、タイトルマッチを注視した。

 第一ラウンドは、若干十六歳のMEGIMIが、サウスポースタイルで、スワーケムの猛攻を徹底的に防御して、カウンターのパンチやローキックを合わせることに終始した。

 モニター画面に夢中の咲桜は、思わず声を漏らしていた。

「すごい、すごい。めぐみさん、どこにも隙が無い。攻めたら、カウンターを返されるし、どうやって攻め崩すの?」

 第一ラウンド、有効打はMEGUMIが多く奪ったが、スワーケムの方が先に先に攻撃していたので、採点の差は付かない印象だ。

 第二ラウンドに入ると、MEGUMIは一転、自分から攻撃しだした。ローキックとミドルキック、そしてボディブローを何発も決め、スワーケムにダメージを与えていった。それなのに、スワーケムの攻撃は、もう見切ったというふうにギリギリかわし、カウンターを合わせることも続けた。

 画面を見入る咲桜は、またもつぶやいていた。

「ああ、今のあたしじゃ、到底めくみさんに勝てない。どうしたらいいの? もう飛び膝蹴りで突撃するしか手はないよ」

 そう咲桜が漏らした直後だ。

 スワーケムも劣勢を打破しようと、飛び膝蹴りで突撃したのだ。

 なのにMEGUMIは下がるどころか、勝機を逃すものかと、前に踏み込んで迎え撃ったのだ。渾身のカウンターの左ストレートが、飛び上がった瞬間のスワーケムの顎に激突した。その直後、逆転の望みをかけた膝がMEGUMIの顎へ突き刺さろうとしたが、届く寸前でスワーケムは殴り飛ばされていた。

 大歓声が巨大な竜巻のように巻き上がった。

 レフリーはカウントさえしなかった。背中から落ちてキャンバスに後頭部を打ち付けたスワーケムを見ると、間髪入れず試合を止めた。そしてひざまずき、意識の飛んだ口からマウスピースを取って介抱した。

 スワーケム陣営の男たちも飛んできてそれに加わった。

 MEGUMIはリングのコーナーに昇ってグローブを突き上げ、満面の笑みで大歓声に応えていた。

 一方、控室でモニター画面に釘付けの咲桜は蒼ざめ、毒蛇に噛まれたかのように小刻みに震え、ポロポロ涙を流していた。

「負けた・・」

 と唇からこぼれる言葉も震えていた。

「 MEGUMIと戦ったのがあたしだったとしても、同じように殴り倒されていた・・あたし、殺られていた・・」

 それでも、勝利のインタビューを長々と受ける新チャンピオンをモニターで見ていると、咲桜の胸の奥底から、怪物の唸り声のようなものが沸いてきた。心臓が咲桜も知らない怪物の血をドクドク、身体じゅうに送り出している感覚だ。そして咲桜は、いてもたってもいられなくなり、控室を飛び出したのだ。

「さくら、どこへ?」

 と凛子が止めようとしたが、龍一は黙って咲桜の背中を見つめていた。

 咲桜は選手の入場口から再び飛び出して、リングへと駆けた。

 咲桜がリング上へ乱入した時には、MEGUMIはインタビューを終え、すでに反対側から舞台を降り、スタッフと帰ろうとしていた。

「めぐみさん」

 と咲桜は呼びかけた。

 だけど観客の「めぐみ」コールに消されて届かない。

 リングを降りようとしているアナウンサーを見た咲桜は、どっと駆け寄り、驚く男からマイクをもぎ取った。そして叫んだのだ。

「めぐみさん・・」

 声がマイクに拾われて会場に響くと、観客が静まり返った。

 リング下の恵が立ち止まり、周りを見回すので、咲桜はさらにマイクで呼びかけた。

「めぐみさん、ここだよ、リングの上だよ・・」

 そして二人の目と目が合うと、咲桜は目をそらさずに続けた。

「めぐみさん、あたしが初めてキックボクシングをした日、試合をしてくれて、ありがとう。あなたに負けたおかげで、あたし、たくさんがんばれて、こんなに強くなれた。そして、あたし、あなたのところまで、必ず駆け上がって行くからね。そして、あなたがどんな凄い天才だろうと、あたしだって、あなたに、絶対、絶対、負けない。なぜって、あたし、勝たなくちゃいけないから。拳が折れても、足が折れても、たとえ死んでも、勝たなくちゃいけないから。だから・・・うまく言えないけど、あたしと、もう一度試合してください」

 恵も目をそらさず咲桜の話を聞いていた。

 そして考えていた・・・満員の観衆の手前、ここで何か言い返さなくちゃいけないと。それがプロの格闘家に課せられたパフォーマンスだと。観客もしんとして、MEGUMIとしての返答を期待していると。しかも、いつの間にか、咲桜と恵にスポットライトが当てられているのだ。

 だから彼女はリングの上へ左手を差し出し、「マイクをちょうだい」と言った。

 そして咲桜がマイクを渡すと、恵はリング上の七つも年上のルーキーをバチバチ見つめ、言葉をかけた。

「わたしとやりたいのなら、わたしみたいに、全勝で昇って来な」

 そう告げると、恵はマイクを咲桜へ放り返し、背を向けて退場して行った。

 咲桜は遠ざかる背に呼びかけた。

「うん。あたし、絶対、全勝で昇って行く」

 大声援がMEGUMIを送り出していた。

 七色のライトがニューヒーローを照らし、会場に光と影が交錯した。
































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