14、わたしまで殺人犯にしようと言うの?

 玲奈のスマホの表示には【竹村孫吾】と出ている。

 そんご、って読むのかな? 変わった名だな。くう、をつけたらサルじゃない・・・

 と思いながら、咲桜はランニングを歩きに変え、スマホに応答した。

「はい、もしもし」

「ほーい、やっと出たね。こんばんわあ」

 脳天気な男の声だ。

「どちら様ですか?」

 と咲桜は問う。

「おれ、その携帯電話を失くした者でして、あなたが拾われた方ですね?」

 なんて言う。

「はあ? その携帯って、あたしが今話してる、このスマホのことですか?」

「オー、イエス、まさに、そのスマホです」

 咲桜は、足を止め、近くを歩いていた女性をビクッとさせるほど強く言った。

「このスマホは、あたしの妹の物です。そんな軽いノリで、なぜ、嘘をつくんです?」

「えっ? あなた、みくるちゃんのお姉さんですか?」

 と男は聞く。

 みくる? ああ、そうか、妹は、みくるって名で、男たちと関わっているんだ・・

 と咲桜は考え、

「ええ、そうです。あなたは、妹とどういう関係ですか?」

 と聞き返した。

「実は、あなたが今話してる携帯は、おれがみくるちゃんに貸してあげてるものなんです」

 本当だろうか?

 と咲桜は疑い、こう問いかけてみた。

「あなたは、もしかして、今日、病院で、妹の父親のフリをして、病院代を払った人ですか?」

「ええ、ええ、そうです。どうして分かったんです?」

 咲桜はその質問は無視して、さらに問う。

「だったら、妹の、本当の名前を聞いたんじゃないんですか?」

「ええ、ええ、そうだ、確か、安藤れな、だった。今日、初めて知りました。だけど、おれたちの世界では、ニックネームで呼び合うことは、よくあることなんです。おれは、名刺も渡してるし、真面目に本名で付き合ってるんですけど」

 おれたちの世界って、どういう世界だよ・・・

 と咲桜は心で叫んでいた。

 それに、父親と偽るくらい年の離れた十六歳のれなと、真面目に付き合ってるって・・・

 咲桜が黙り込んでいると、

「あの、それでですね、今、みくるちゃんに、失くしたスマホを、取って来てくれないかと、頼まれてるんです。今から取りに行くんで、場所を教えてください」

 と男は要件を言った。

 咲桜はブルブル首を振っていた。

 冗談じゃないわ・・・このスマホは、あたしとれなとを繋ぐ命綱なんだ・・・

「れなに、伝えてください。あたしは、れな本人にしか、絶対このスマホを渡さないと。あたしの住む借家に、取りに来るようにと。あたしの新しい住所は・・・あの、メモって下さいね・・・笹島町1352の5の3です」

「ささじままち、1352の5の3」

 と男は復唱した。

「あの、れなに代わってくれませんか。そこにいるんでしょう?」

 と頼んだが、電話は数秒後に切られてしまった。


 家に帰る前に、誰もいない公園を見つけると、空手の攻防の三分間シャドウトレーニングを、十ラウンドこなした。

 仮想の対戦相手は、十六歳の天才キックボクサー、MEGUMIだ。

 MEGUMIのサウスポースタイルからの速すぎるローキック、鋭く伸びてくる右ジャブ、強烈な左のレバーブロー、そして恐怖の回転バックハンドブロー・・・それらすべてを、咲桜の身体が鮮烈に覚えている。それらすべてを確実に防御し、反撃に繋げなければならない。

「もう二度と負けるもんかあ」

 と叫びながら振り上げた足先の刃が、星空高く突き刺した。

 薄ら笑いを浮かべながらも異様な眼の光で睨んでくる美少女の顔やボディへ、咲桜は拳や蹴りをぶち込み続けた。シュッシュッシュシュシュと腕や足で切り裂いた闇はひずみ、切り裂いても切り裂いても、牙を剥いて咲桜に襲いかかって来た。


 それから全力ダッシュを交えながら走って帰った。


 借家に帰って、あることに気づいた。風呂がないのだ。汗だくの彼女は、流しの水でタオルを濡らし、身体を拭いた。髪も流しで洗った。

「安い家賃だもの、これで充分幸せだよ・・」

 そうつぶやきながら、布団に入った。

「こんな素敵なところで、一人で寝られるんだもの・・・あたし、今日も、なんて素敵な人生だったの・・」

 涙がポロポロ溢れ出し、思わず枕を抱きしめていたが、ズーンと深い海に沈んでいくようなような疲れに絞めつけられ、すぐに眠りに落ちていた。


 次の日は、咲桜はちょうど夕方五時に終わるように、仕事を丁寧にこなした。

 昼休み、咲桜を、彼女の指導係の泉京子が誘った。

「ねえ、浜岡さん、今日、あんたの歓迎会をしようと思うの。夕方、付き合いなさいよ」

「ありがとうございます。当然、付き合うべきだと分かっていますけど・・」

 と咲桜は真剣なまなざしを京子にぶつけて言った。

「ですけど、あたし、そういうのは全部、断っているんです。本当に申し訳ないとしか、言えないんですけど、理解してください」

「浜岡さん、あんた、もしかして・・」

「え?」

 京子があまりに強く見つめ返すので、咲桜は息が詰まって胸が痛くなった。

「オタク?」

「え? いえ、あたしは、ただの、ひきこもり、です。引き籠り何とか、っていう病気なんです・・・ごめんなさい」

 と今日も嘘を言った。

「何だか、気を使わせてしまって、わたしこそ、ごめんなさいね」

 京子には嘘の方が真実に聞こえるようだ。

 昼休みに嘘の会話をするのも辛いのに、もし一緒に飲み会などに行ったとしたら、咲桜は嘘に嘘を重ねてがんじがらめになるだろう。

 これからも、引き籠り何とか、という病気でいよう・・・ 

 と咲桜は思った。


 仕事を終えた咲桜が帰ると、ソウルレッドに輝くロードスターが彼女の住む借家の前に駐車してあった。

 車内に人はいない。

 玄関の鍵を開けようとすると、すでに開いていた。

 やだ、あたし鍵をかけずに家を出たの? 

 と咲桜は考えた。

 いいえ、ちゃんと鍵をかけたはず・・・じゃあ、何で?

 家に入ると、人が二人、部屋の中に立っている。玲奈と銀髪の男だ。

「ほーい、こんばんわ」

 と四十歳代くらいの男が片手を上げて挨拶した。

「竹村そんご、さん?」

 と咲桜は聞いた。

 銀髪の男は、驚いたように眉を吊り上げた。

「あれっ? おれ、名のったっけ?」

「れなのスマホに、名前が出てたんです。そんごって、珍しい名だから、印象に残ってて・・・てか、この家に、どうやって入ったの? 鍵かけてたはずなのに」

「この家の安い鍵なんて、簡単に開いちゃいますよ」

 と孫吾は即答する。

「え? もしかして、あんた、プロの泥棒?」

 と咲桜は聞く。

 孫吾が変顔をして笑うので、咲桜は眉をひそめた。

「昔、一年ほど、鍵のトラブルの営業マンをしてたんですよ。でも、泥棒だったとしても、この狭い二部屋に、盗むものなんかないじゃないの」

「あるわ。れなのスマホ。それを盗みに入ったんでしょ?」

 と問う咲桜の胸先を、孫吾はブザーを押すように指差した。

「ピンポーン。大正解。でも、どこを捜してもなかったんだな」

 孫吾の言葉を、玲奈がフォローした。

「だから、わたしら、あんたが帰るのを待ってたんだ。今まで、どこに行ってた?」

 咲桜は玲奈の身体を舐め回すように見た。

「れな、からだ、大丈夫なの? あっちっこっち、痛むんじゃないの? 病院の先生は、意識が戻っても全治三か月以上って、言ったのよ」 

「ちっ、あんたこそ、自分の顔のアザ、どう思ってるんだよ? それだって、全治一か月以上って言われるんだよ。また、ケンカ、したんだね?」

 咲桜は自分の顔に手を当てた。

「こんなの、かすり傷よ。それより、れな・・」

 と言って、妹の黒い瞳の奥を覗き込んだ。

「あたし、保護司の紹介でね、就職したの。だから、あたしがお金を稼いで、れなを高校に行かせるから、ね、一緒に住もう。だって、れなは、あたしの、たった一人の妹なんだよ。だから、れなが成人するまでは、あたしがれなの保護者なんだ。あたしが必ず、れなが幸せな高校生活や大学生活を過ごせるように、してみせるから。ね、ここで、一緒に暮らそう」

 玲奈の目に角が立った。

「ばっかじゃない。わたしが、人殺しの妹というだけで、小中学でどんなひどい扱いを受けてたか、想像もできないの? 高校にも入ったけど、生活のために大人の男性と付き合ってたら、もう高校には来るなって言われた。あんたのせいで、わたしに普通の学校生活なんて、逆立ちしたってムリなんだよ。それに、高校だけじゃなく大学って言ったけど、あんたの給料で、授業料、払えないでしょう?」

 咲桜は玲奈に一歩近づいた。

「あたし、格闘技も始めるの。キックボクシングよ。ほら、この顔のアザも、リングの上でできたの。あたし、世界チャンピオンに必ずなってみせる。だって、あたしね、元チャンピオンの男性だってKOしたのよ。だからね、それで、お金を稼いで、れなを大学へ行かせるの。あたしの空手の実力、れながよく知ってるでしょ?」

 玲奈は咲桜から目をそらし、四畳半二間の古すぎる部屋を見まわした。シミだらけの天井板は、長年の雨のせいなのか、数か所たわんでいる。

「あんたの夢物語を信じて、こんな家に一緒に住めと言うの? あんたがひと月に稼ぐお金を、今のわたしは一日で得られるっていうのに・・・わたし、ここより千倍快適な二つのマンションに住んでるのに・・・こんな貧乏臭い部屋で、殺したいほど憎いあんたと住めと?」

 そう問いながら、玲奈はあざ笑いの目を咲桜にぶつけた。

 咲桜は悲しい目でそれを受け止めた。

「それで、れなは、幸せなの? ほんとうに、幸せなの?」

「はあ? 何だよ、幸せって? そんなもの、生きるためには、邪魔なだけじゃないか」

 玲奈の大きな瞳には、咲桜の悲しみが深く映っていた。

「ごめんね、れな。あたしが、れなの幸せを奪っちゃったんだよね。ほんとうに、ごめんなさい」

「何だよ、あやまるくらいなら、死んでくれよ。あんたがこの世にいるだけで、わたしは、まともに息さえできないんだ」

 怒気が高じる玲奈の声に、咲桜は目を丸く見開いていた。そして燃えるように玲奈を見つめた。

 あたしだって、死にたいよ・・・けど、ごめん、あたし、死ねないんだ・・・れなに、幸せな青春を送らせるまでは・・・

 そう心では叫んでいたが、咲桜の口から出たのは、逆の言葉だった。

「だったら、れな・・・ほんうに、死んで欲しいのなら・・・れなが、あたしを殺して。それで、れなの心が晴れるのなら・・・そうして」

 玲奈の眉間に縦じわが寄った。

「何だって? まじで・・・殺していいのか?」

 スローモーションのようにゆっくり、桜はうなずいた。

「うん・・いい」

 玲奈は唇をゆがめながら告げる。

「言っとくけど、この男、あんたの死体を山奥に埋めるくらい、あさめしまえだからね。ほんとに殺すよ」

 咲桜は身じろぎもせず、一音一音噛みしめるように言う。

「れなが、殺して。それが、運命、なら、あたし、受け入れるから」

「はあ? この女、わたしまで殺人犯にしようと言うの? もう、絶対、許さないからね」

 そう唸る玲奈の顔は、鬼の形相に豹変していた。どんな過酷な現実の積み重ねが、妹をこんな性格に変えたのだろう。咲桜が知っている小三までの無邪気だった玲奈からは、想像できない変貌ぶりだ。彼女は咲桜に詰め寄ると、震える両手で姉の細い首を鷲掴みした。そして怒涛の勢いで壁まで押したのだ。

 ゴンッと後頭部を壁にぶつけられても、咲桜はわずかにほほ笑んだだけだった。大きく見開いた目に、涙がにじんだが、少しも抵抗しなかった。玲奈の指は、人体の急所を熟知してるかのように的確に頸動脈を圧し潰していた。咲桜の脳への動脈血が遮断され、脳内細胞の生きる灯が消えていくのに、そう時間は要さなかった。心臓が死に抵抗するかのように劇痛を伴って急収縮し、胸あたりがビクンビクン動いていた。頭がジーンと痺れ、見つめる玲奈の顔が白い濃霧の奥へ隠れていく。やがてブレーカーが落ちたように、目の前が真っ暗になった。身体が硬直して、二度三度震え、失禁とともに地獄に堕ち行く自分を感じた。

「わたしまで殺人犯にしようと言うの?」

 と地獄の底まで玲奈の声が追って来る。

「ごめんね、れな」

 と咲桜は消えゆく命の限り叫んだが、妹はもう遥か彼方みたいだし、誰にも届かないかすれ声しか出ないのだった。


 













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