リベリオン・イン・ザ・ダークネス

第32話 後悔のその先へ

「砕け散れぇええ！」

　ヴィルの叫びと強い衝撃波と共に幕を開けた菲針とヴィルの戦いは開幕から熱を帯びている。ヴィルは片手に持っている剣を投げ捨てると、手の平から血が流れていることなど気にも止めずに衝撃波を繰り出し続けていた。

　戦場と化した宮殿の周りの芝生はものの数分前で一面緑だった光景とは乖離している。地面は抉れ、草は燃え、その被害は建物自体にも及んでいた。菲針はヴィルの衝撃波を敏捷に回避しながら形成を覆す好機を虎視眈々と狙う。その時、ヴィルの攻撃の手がわずかに緩んだ隙を見て、その戦況を翻しに出る。

「私のターンと行こうか」

　勢い良く駆け出した菲針は初速を殺さないように衝撃波を躱しながら更に拍車を掛ける。加速する菲針に狼狽えたのか、ヴィルは苦い顔を浮かべて小さく舌を打つと足元に向かって衝撃波を放ち、その反動で菲針と同じくらいの速度で後退する。

「この剣は拾っておかなければだな」

　菲針はヴィルが投げ捨てた血の付いた剣の上を通過するついでに拾い上げると、ヴィルからは目を離さずにウエストポーチに手を掛ける。取り出したグレープ味の棒付きキャンディのパッケージを器用に片手で外し、そのまま咥える。

「ハァム」

　その瞬間、見違えるほどのパワーアップを果たした菲針がその速度を更に上げる。流石に後退し続けるのは困難と判断したのか、ヴィルは迎撃態勢を取る。

『憤恨の揺らめき（ワルツ）！』

　ヴィルがそう叫ぶと、菲針の周囲に奇怪な三拍子が流れ始めた。

　一方。ローズはヴィルが召喚したミノタウロスの怪物、アダムと対峙していた。アダムの大振りな肉弾戦に対してローズは魔法を使って近づけないようにしていた。まさに有利な対面である。

「このまま遠距離から仕掛けていれば倒せるはずだ。しかし一瞬の気の緩みが命取り。一度でも近づかれてしまえば勝機が薄れてしまう」

　距離がある今のうちに出来るだけ弱らせておこうと考えたローズはアダムに向かって魔術を唱える。

『ブライア・バースト！』

　するとアダムの足元からまるで燃えている茂みのような爆風が吹き上がる。巨体のアダムでさえ宙を舞うほどの威力であったが、タフなアダムには効いていないようにも見える。軽く土を払ったアダムが口を開いた。

「イツまでもオマエが有利だなんて思うナヨ？」

　そう言いながら亜空間から黒いオーラを纏ったラブリュスと呼ばれる両刃斧を取り出すと、ドシンドシンと地を揺らしながら近づいてくる。徐々にそのスピードを早めながらアダムは咆哮を放つ。

「……っ！」

　必死に魔法を放って対抗するが、アダムの強靱な身体には効いていないようで。あっという間に接近したアダムは斧と角を振り回しながらローズにダメージを与えていく。

『オーロラ・スタッフッ……！』

　咄嗟に防御魔法を使うも、それさえもアダムの攻撃には耐え切れない。

『テイル・ウィンド！』

　なんとか強風で押し返すも、アダムは再び近づいてくる。

『……ブレイズ・フラメンコ！』

　迎え撃とうとしても敵う訳もなく。

『スリーピング・ビューティ……』

　最終手段で魔法を放つが、屈強なアダムには麻酔針の効果は無かった。出来ることはした。最善は尽くしたのだ。それでもアダムには敵わなかった。迫り来る斧を持った怪物を前に燃え尽きたローズは崩れるように座り込んでしまう。人は死に際に走馬灯が走り、過去の思い出が一瞬で駆け巡ると言われているが、ローズの記憶の中には後悔しか蘇らなかった。

「哀れな人生だったな……」

　──私は幼い頃から魔術の能力があった。それは才能と引き換えに、周りの人間が離れていくということでもあった。この世界は超人も住まう摩訶不思議な世界。世界の征服を企む存在も居れば、それを拒む存在も居たという世界。だがそんな御伽噺は遠い過去の物語。現代は平凡なごく普通の世界だった。そんな時代に現実離れした能力を持って生まれた私は、政府の管理下での生活を余儀なくされてしまったのだ。

「次は炎魔術の実験だ。そこに立ちなさい」

　一面真っ白な広々とした建物に、白衣を来た大人たちが幼い私を囲う。物珍しいような眼でジロジロと私を眺める群衆は私の魔術を解剖しようと興味津々に私を振り回す。そんな隔離された生活にはうんざりしていた。そんな何でもないとある日のことだった。

「今日は君の身体について人体実験をするから、第三実験室に来てくれ。大丈夫、ちょっと強めの刺激を与えるだけだからね。沙良（さら）ちゃん」

　その日は今まで生きてきた15年間で最悪な日になった。暇なく浴びせ続けられる電撃。打ち込まれる血清。暴行での反動魔法の確認。火傷の治癒速度の確認など。それまで感情を殺して耐えてきていた私の何かが切れた気がした。

　気づくと辺りは一面火の海。真っ白だった建物や白衣は黒く焦げてしまっていた。何が起きたのか理解するのは簡単だった。私がやったんだ。でも、不思議と罪悪感は無かった。当然の報いだと思っていたから。その後私はとある探偵の指示の下、政府の目から逃れるために「伊原（いはら）沙良（さら）」という名前を捨て、「伊原（いはら）咲希（さき）」として生きることにしたのだ。

　それから10年。秘かに暮らしてきた私に最初で最後のチャンスが訪れた。

「君が魔術が使えるというのは本当かい？」

「……あぁ。それがどうした」

「何もそんなに警戒することはないさ。君のその腕を買いたい。私の身を護ってくれないかい？」

「命を狙われているのか？」

「まぁそんなとこさ。それに君の素行が良ければ、私の妃として迎え入れよう」

　今まで苦痛で貧相な暮らしをしてきた。あの時の私は内心飛び上がるほど嬉しかった。

「そうだなぁ。君はその薔薇の髪飾りが特徴的だね」

「昔、母が私に唯一くれた物なんだ。もう顔も覚えちゃいないが……」

「ならば君のコードネームは『ローズ』だ。魔術のローズ。君の過去は相当辛いものだっただろう。これからは私と共に歩もうじゃないか」

　自然と笑みが零れた。これで食いっぱぐれることもない。そんな明るい未来を想像していたのに。

「ありがとう。君のおかげで私は生きているよローズ」

「あの、妃にはしてくれるのだろうか」

「妃？　あぁ、そんな話もしたっけなぁ。すまないがあれは君を引き入れるための口実だ。軽い冗談だよ。まさか真に受けてたのかい？　あはは！　君も良い歳だろう。夢を見るのもいいが大概にしたまえ」

　結局あの男は妃にするつもりなんて最初から無かった。利用されてただけ。それでも行き場の無い私は食事だけはくれるあの男の下で戦ってきた。あの日から2年。あの男は世界を機械で征服しようなんてバカなことを考えた。無謀だと思っていたのに、この今の現実だ。私はつくづく思い知った。あの男には敵わないのだと。そうして今、私に向かって怪物の斧が振り下ろされそうになっている。本当に哀れな人生だったなぁ。でもこんな人生に幕を下ろせるなら、それも良いのかもしれない。

『──ジャスティスビームッ！！』

　突然目の前に光の直線が通り、怪物を吹き飛ばした。

「まだ諦めるな！　私たちはまだ負けてない！」

　そう叫んでいるのは青いスーツを着た金髪の少女。目を覚ましたんだな。よかった。

「ローズさん！　俺たちも協力します。みんなで勝ちましょう！」

「……熱いな、君たちは」

　ローズさんの全てを諦めたような寂しげな声。彼女の闘志は燃え尽きてしまったのだろうか。立ち上がろうともしない、死を受け入れるようなその様はまるで、半年前の俺を見ているようだった。

「私のことなんてどうでもいい。君たちは逃げたまえ。そして、明るい未来を過ごすんだ……」

　俺も経験したから分かる。あの状態ではどんな言葉も刺さらない。なんて呼びかけたら良いかも今の俺には分からない。ただ、ローズさんの一人称や二人称が変わっている、本音が出ているのだ。

「君たちには分からないだろうけれど、私はもう疲れたんだ……。この世界で生きるのはもう飽きたんだよ……」

　前に出会った少年、蓮（れん）くんも同じような理由で飛び下りようとしていた。みんなそれぞれの悩みを抱えて生きている。しかしそれを話す相手が居なければ、その苦痛は大きくなっていく。ならば俺が相談相手に──。

「シャキッとしなさい！　伊原沙良！」

「……！」

「貴様がどれだけ辛い人生を送ってきたのかは私には分からない！　だがな、人はみんな戦って生きているんだ。どんな人間も悩み、もがき苦しみ、泥臭い人生を送っているんだ！　貴様だけが特別だなんて思うなよ！」

「どうして……私の本当の名を知っている……？」

「10年程前に私の家に訪ねてきた夫婦が居てな。11年前に生き別れた実の娘をずっと探していると言ってきたんだ。私の家は名家でな。その力を借りたいと言っていた。まだ私たちも日本に来たばかりでそれどころではなく、申し訳ないが断った。しかしその時に娘の名前だけ聞いたんだ。それが『伊原沙良』。薔薇の髪飾りを付けた優れた子だと」

　10年前ということはアリスはまだ7歳。よく覚えてたな。

「私は貴様がその、伊原沙良なのではないかと思ったんだ」

「確証はいつだ？」

「貴様が私の名と言ったからだ」

　当てずっぽうすぎないか？　でも当ててるなら結果オーライか。

「貴様の親はまだ貴様のことを探している。もちろんそれは貴様を連れていった連中も例外ではないかもしれない。それでも貴様は、ここで死ぬ訳にはいかないんじゃないのか？」

「…………何故そんなにも肩入れするんだ。私は君たちを襲ったんだぞ？」

「私がお父さんとお母さんが好きだからだ。そして父上と母上も私のことがきっと好きなはずだ。そして、貴様の両親は11年経ったあの頃も貴様のことを探していた。それは貴様のことを愛しているからなんじゃないのか？」

　両親、か。レビリアご夫妻はとても優しかったし、アリスやルーカスさんのことを確かに大事に思っていた。それはおそらく、俺の親も……。

「ふはは……そんなのズルいよ……そんな話聞いちゃったらさ、簡単に死んでいられないじゃないか……！」

　ゆっくりと立ち上がったローズの瞳は再び闘志を燃やしていた。

「再燃と行くぞ。今度こそお主を我の地獄の業火で葬ってみせる」

「今度は私たちも付いている。後詰は任せろ」

「しっかり付いて来いよ、ヒーロー！」

　アダムの咆哮と同時に全員が走り出した。アダムは重たい斧を縦横無尽に振り回す。アリスはアダムの周りを飛び回り、ローズは少し離れたところから魔法を放つ。

『デイブレイクセイバー！』

「オ前たちノ手の内ハお見通しダゾ！」

「ハッ！　お喋りが達者な牛さんだな。そういってられるのも今のうちだぞ！」

「オレはオ前の戦いをヴィルと一緒ニ見てイタ。ハッタリは通用しナイ」

「何もハッタリじゃない。こちらには天才的な閃きを持った男が居るんでな」

　アリスが離れた一瞬にローズが魔法を唱える。

『リストレイント・ソーンズ！』

　茨の蔓が勢いよく飛んでいき、アダムを捕縛する。しかしすぐにアダムはその拘束を力ずくで解いてしまった。高く飛び上がったアダムを追いかけるようにアリスが飛びながら技を繰り出す。

『ジャスティスビーム！』

　アリスの攻撃はアダムに直撃した。しかし、アダムは表情ひとつ変えずに立ち上がる。強靱にも程がある。コイツを菲針さんは軽々しく投げ飛ばしたのか。相変わらず超人すぎるな。あの屈強な怪物を仕留めるには、何か強い衝撃が必要だ。

　──爆発。爆発なら多少はダメージを与えられて、尚且つ攻撃の隙も作れる。はず。しかし爆発と言っても、アリスの「ブラスト」とかさっきのローズさんの「ブライア・バースト」では威力が足りない。何か爆発に使えそうなものは無いか？

　望兎がリュックの中を漁ると、一つの案が思い浮かぶ。

「片栗粉……」

　なんか料理で使ったり、あとダイラタンシー現象で遊んでみようと思ってホームセンターでパクってた大容量片栗粉。これを使えば粉塵爆発が起こせる。俺は空き瓶に入るだけ移してアリスを通信機で呼ぶ。

「何か思い付いたのか？」

「あぁ。粉塵爆発を起こして隙を作る」

「ふんじん？　なんだそれ」

「粉が空中に舞ってる時に火が着いたら爆発する現象だ。いろいろ条件とかあるんだけど諸々話してる暇はない。とりあえずお前はなんとかしてアダムの周りにこの粉を振り撒いてくれ」

「なるほど。それでローズが着火するんだな？」

「その通り。理解が早くて助かる」

「任せろ」

　ヒーローは片栗粉の袋を片手に飛び立つと、ローズの横を通り過ぎる際に囁く。

「目を閉じろ……」

　怪訝な顔をしたローズだったが、大人しく瞼を下ろす。ヒーローはアダムの真正面から突進すると、直前で態勢を変えて右手を突き出す。

『ジャッジメント・フラッシュ！』

　眩いライトオレンジの光が煌めく。目を閉じているローズの視界も瞼越しに明るくなった。見事に怯んだアダムの真上へと上昇したヒーローは左手に持っていた袋を引き裂いた。年末の真昼間。アダムの頭上にだけ粉雪のような白い粉末が舞い始める。

「ローズさん！　炎の技をお願いします！」

　突然の望兎の指示に戸惑いながらも言われた通りローズはアダムに向かって魔術を唱える。

『ローズ・ブレイズ……！』

　薔薇状の炎がアダムに近づいた瞬間。

　──ボーン！！

　アダムの周囲が大爆発し、爆風が望兎たちを襲う。砂煙が立ち、近くの宮殿の壁さえ吹き飛んだ。一部始終を見ていた衛兵たちも悲鳴を上げている。

「今だローズ！　畳み掛けるぞ！」

　ヒーローの呼び声に呼応したローズは煙の方へと入っていく。視界の悪い煙の中に膝を付いている影が微かに見えた。影は咄嗟に動き出すと、こちらへと向かって走る。

「よくモ……！　許サァァァアアン！！」

　煙の中から現れた血だらけの怪物は今にも飛び出してきそうなほど眼を開き、顔中の血管を浮き上がらせたおぞましい姿となっており、慄いたローズの目の前で大きく振り被った斧を力いっぱいに振り下ろす。

『デイブレイクセイバー！』

　颯爽と間に入ったヒーローは高熱の刃でアダムの斧を切断した。

「ウアアアアアアアアア！」

　地が揺れるほどの雄叫びを上げたアダムは、五里霧中に暴れ出す。その巨体をこれでもかと振り回し、アダムの周辺には土埃が漂う。その中でアダムの右手が空中のヒーローの片足を捕らえた。ニヤリと笑みを浮かべたアダムは、そのままヒーローを地面に叩きつけようと腕を振ったその時だった。

『スリーピング・ビューティ！』

　その声が聞こえたと同時に飛んできた小さな針がアダムの肘へと刺さる。すると何故か手に力が入らなくなり、手からヒーローがスルリと抜けてしまう。

「関節部分は筋肉が付きづらいから麻酔が効きやすいのさ。君は牛の怪物だが、幸い体の構造は人間と同じようだからね」

　それでも異常だわ。この麻酔は一瞬で全身に回るはずなのに、あの馬鹿みたいな筋肉のせいで麻酔が全身に行き届いていない。

　右腕が言うことを聞かなくなったことに気を取られていると、抜け出したヒーローが一瞬で態勢を整えて放射口を脇腹に当てる。

『ブラストッ！』

　ゼロ距離で放たれた爆発はアダムのその巨体を少しだけ持ち上げる。アダムが距離を取って着地しようとした瞬間、その声は聞こえた。

『ブライア・バースト！』

　真下の地面が爆発し、アダムを思いっきり吹き飛ばした。度重なる猛攻撃のせいか流石のアダムも空中で気を失い、そのまま受け身も取らずに落下した。

「ヴィ…………ル」

　ようやくこの怪物を仕留めることが出来た。アダムは最期にヴィルの名前を呟き、目を閉じると黒煙となってきえていった。アリスとローズさんは疲れたのか寄り添って座り込んでいる。俺はリュックからペットボトルと紙コップを取り出して二人に渡す。

「お疲れ。ナイスコンビだったな」

「正直ローズが居なかったら大怪我してたわ。ありがとね」

「それはお互い様さ。君が居なければ今頃我は真っ二つだったよ。そして、少年。君の奇想天外な発想が無ければ奴をここまで追い込めなかった。感謝してるよ」

　言うて今回俺はほぼ何もしてないんだけど。

「とにかく、あんたは帰る場所があるんだろ？」

「そうだな。21年ぶりの再会か。さて、白髪は何本増えているんだろうな……」

　そんな冗談混じりの言葉を吐くローズさん。いや、伊原沙良さんは涙を堪えながらも、その喜びに胸を躍らせている様だった。

「改めて二人には礼を言う。こんな私に救いの手を差し伸べてくれてありがとう。何だかこれからはどんな困難も乗り越えられる気がするよ」

「えぇ。なんか変に作ってるキャラよりそっちの方が自然でいいわよ？」

「ああいうキャラは菲針さんみたいなクールな変人しか似合わないからな」

「あ。それ報告対象で〜す。後で菲針様のショットガン一発の刑確定ね」

「普通に死ぬわ」

　そんな会話をしている場合ではない。まだ戦いは終わっていないのだ。菲針さんは未だヴィルと戦っている。しかしその戦いは、人知を超えた超人同士の戦いへと成り果てていた。

　菲針が剣で攻め、ヴィルが衝撃波で距離を保ちつつ牽制する。どちらかの攻撃が一度でも当たれば一気に戦況が動く状態を保ったまま、時間だけが過ぎていく。

「消耗戦なら負けはしないが、このままヴィルが大人しく負ける訳がない。何か手を打ってくるはずだ」

　二人の攻防戦の行末を暗示するかのように上空には黒い雲が漂い始めた。