第31話 愛というのは

 菲針さんが勢いよく飛び出すと同時にニヤけたヴィルが右手を突き出す。


「アハハッ!」


 その一瞬で放たれた衝撃波は大地を抉り、宮殿の壁を粉々にする。そんな攻撃を回避していた菲針さんは凄まじいスピードで横から接近し、近接戦闘へと持ち掛ける。しかし、直前でヴィルが両手を地に付けると、ヴィルの指先から菲針さんまでの地面に亀裂が入る。咄嗟に跳躍して空中へと逃げた菲針さんに向けてヴィルは両手の平を菲針さんへ向けると。


「死~ねっ!」


 目には見えない複数の斬撃が菲針さんを襲う。露出していた色白の肌には切り傷から滴る鮮血が目立ち、少ない布面積の衣類からは赤く染まった素肌が見えている。よく見れば頭部からも血が流れており、足はフラフラとおぼつかない様子だ。……マズい。このままだと菲針さんが……!


『ローズ・ブレイズ……!』


 すると突然、俺の横に居たローズが魔術をヴィルに向かって放つ。不意打ちに驚いたのかヴィルが一瞬の隙を見せたところを狙って、菲針さんが重い蹴りを入れる。態勢を整え直したヴィルは、眼を紅く光らせながらローズを睨みつけて言う。


「なに手ぇ出してきてんだよクソババアがよぉ……。アタシを誰だか知ってやってんのか? アタシらの真剣勝負に首突っ込んできてんじゃねぇよ……」


 ガラリと雰囲気を変えたヴィルは爪を尖らせて血管が浮き出た右腕をローズに向ける。


逢魔おうま安らぎティータイム


 その瞬間。顔を青ざめながら怯えるローズの周囲に黒いオーラを纏ったティーポットやティーカップやらが浮遊し始める。そしてその陶器たちはそのままローズに襲い掛かった。まともに食らったローズはそのまま屋根の上から落下してしまう。


「ローズさん!」

「ローズ!」


 俺は慎重に下りると、ローズへと駆け寄る。容態はそこまで悪くはない。しかし意識がない。少し影の方で寝かせておこう。その間に菲針さんはヴィルとの戦いに専念する。お互いが高速で移動しながらの攻防戦。大地は抉られ、壁は壊され。まさに「破壊のヴィル」という二つ名が似合うその戦術に、菲針さんも中々苦戦しているようだ。

 仕方ない……。こいつを使うとしようか。

 菲針さんは彼女たちと戦う時に決して手に取ることはなかったショットガンの引き金に指を掛ける。


「安心したまえ。無駄な殺生はしないさ」


 菲針さんは俺を安心させるためかヴィルからは目を離さずに声を張る。そして真っ直ぐヴィルに突き進んでいく。ヴィルは焦るような素振りも見せずに両手を前に構えて衝撃波を繰り出す。しかしそんな攻撃は菲針さんには通用しなかった。目にも見えないその攻撃があたかもすべて見えているかのように華麗に躱しながら進んでいく。流石のヴィルも動揺したのか、一度引こうとしたその時だった。ヴィルの視界から一瞬姿を消した菲針さんがヴィルの背後に現れる。


「遅いぞ」

「なっ!?」


 咄嗟に背後に手の平を向けたヴィルだったが、もうそこに菲針さんは居らず。そして次の瞬間、ヴィルの背中に強烈な蹴りが入れられる。地面に叩きつけられたヴィルは急いで手の平を向けようと振り返るが、もうヴィルの目の前には銃口が突き付けられていた。


「観念したまえヴィル。君はまだ若い。いくらでもやり直せる」

「ふざけんな! アタシは本気なんだ! アタシの人生設計のためにこんなところであっさり負けてたまるものか!」


 ヴィルは躊躇することもなくそのまま衝撃波を放つ。なんとか回避した菲針さんだったが、菲針さんのショットガンの先端は粉々となってしまった。


「しまったな……。これではもう使い物にならん」

「うああああああああ!」


 立ち上がったヴィルは喉が張り裂けそうなドスの効いた大声を上げる。


「宿れ……アダムッ……!」


 ヴィルがそう叫ぶと、黒いオーラを纏い出す。そしてすぐそこで菲針さんとヴィルの戦いを傍観していた怪物も同じオーラを纏い始めると、その巨体が宙に浮く。


「なっ……! なんなんだ、これは! 嫌だ、オレはイヤだあああ!」


 拒む怪物を気にすることもなく、ヴィルはその身に怪物を取り込む。するとヴィルの頭から二本の角が生え、瞳は真っ赤に光る。黒いモヤを纏ったかと思うと、彩やかな黄色だったドレスは暗黒色へと変貌していた。呼吸は肩を使って深々としており、拳は握りすぎて爪が食い込み、血が滴っている。まだ力の扱いが儘なっていないようだ。


「まさか無理矢理怪物を取り込んだって言うのか!?」

「オ前は、このアタシが、確ジツに、殺す……!」

「止せ! 君の身体には負担が大きすぎる。そのままだと君の命が危ういぞ!」

「シッタことか! オマエは、オマエダケはこのアタシガァアア!」


 もうそこに俺たちの知っているヴィルは居なかった。荒れ狂う彼女は殺意剥き出しで我を忘れて菲針さんに襲い掛かる。


「チッ……!」


 菲針さんは破損したショットガンで応戦する。

 これはどうするべきなんだ……。コイツはもうヴィルではないのか。だが、殺すのは違う気も……。

 菲針さんは悩んでいるようだ。我を忘れてしまった彼女はヴィルではないかもしれないが、ついさっきまではヴィルであり、今もどこかで苦しんでいるかもしれない。そんなことを考えていると。


『リストレイント・ソーンズ……!』


 俺の背後からローズの声が聞こえてきた。真っ直ぐ飛んでいった棘のある蔓は見事にヴィルに巻き付く。


「何を迷っているんだ! このままではお主も死ぬぞ!」

「しかし……」

「ヴィルを取り戻すためにはソイツからあの怪物を取り出せばいい。我に策がある。手を貸したまえ!」

「……了解した。望兎はアリスを頼む!」

「分かった!」


 俺は意識を失っているアリスの元へ駆け寄って抱えると、宮殿の陰へと避難する。


「タイミングを合わせろ。我が気を引いている隙にお主のその力で中の怪物を押し出すんだ」

「そんなことが出来るのか?」

「不安定な物は大抵叩けば直ると相場が決まっているだろう」


 いやいつの時代の考えしてんだよ。ブラウン管のテレビじゃないんだぞ?


「なるほど。試す価値はありそうだ」


 うん無いよ? ダメだあの二人ポンコツだ。


「行くぞ!」

「あぁ!」


 俺が止める間も無く、二人は走り出す。


『ローズ・ブレイズ!』


 華やかな薔薇状の炎がヴィルに向かって飛んでいく。その炎はヴィルが片手で放った衝撃波によって一瞬でかき消されてしまう。しかしその横から突撃して来た菲針さんの正拳突きがヴィルの脇腹に炸裂する。勢いよく転がったヴィルはそのまま痛そうな顔を見せずに立ち上がる。


「もう少し強めか……」


 このままだとヴィルの身体がヤバそうだ。ローズさんのあの魔術と菲針さんのフィジカル。その二つさえあればヴィルを抑えつつ怪物を取り出せるはず。だが肝心の取り出す方法が明確ではない。そもそも取り出すことは可能なのか?


「何あれ。あの子を殺す気なのかしらぁ?」

「お前は……マルガレータ」

「年上の女性を呼び捨てなんて生意気な坊やだこと」

「さっきはありがとう」

「お礼を言われるまでもないわ。それより中々手こずってるみたいねぇ」

「脳筋二人をどう制御しようか悩んでるんだが、そもそもヴィルから怪物を取り出すことが可能なのかが不明なんだよ」

「出来ないことはないわね」

「ほんとか!」

「えぇ、簡単な話よ。あの子と怪物の繋がりを壊してしまえばいい。ただそれだけ」

「……?」

「まぁでも出来るかどうかは別の話ね。あの二人の関係は科学的には証明の出来ない強い繋がりで繋がっているもの。言わば呪いの類いねぇ。即ち呪縛。自分たちを含めて誰にも引き裂かせないっていう確固たる意志をヒシヒシと感じるわぁ。まさに愛だなんていう気色の悪い呪いね。口に出しただけで反吐が出るわ……」

「それをどうやって引き裂けばいいんだ?」

「こういうところだけ物分りが悪いのね。愛というのは最も強い繋がりだけれど、ほんの少しの綻びであっという間に切れてしまう繊細な物。どんなに深い愛で繋がっていても、小さな疑いが大炎上の火種になりかねない」


 ……そうか。ヴィルと怪物の間に少しの綻び、つまり蟠りを作ればいい。ヴィルが怪物を必要としなくなればいいということだ。


「流石は頭の回る坊や。それじゃあ私はここでお暇させてもらうわ」

「どこに行くんだ?」

「こんなところにもう用はないわ。それにこれ以上長居するとちょっと面倒なことになりそうだし。こんなご時世だからこそ、エンジョイしなきゃでしょう? ちょっくら温泉巡りでもしてみようかしら。効能なんていう興味深い物もあるし」


 こういう人は伸び伸びと人生を謳歌していて羨ましい。見習いたいところだ。

 マルガレータはスタスタと軽い足取りで去っていった。しかし彼女から教えてもらった情報は大きい。ヴィルに怪物のことを失望させ、自らの意思で取り除いて貰えば良いのだ。つまり怪物だけの弱点を付けばいい。

 考えろ……。菲針さんが赤い布をヒラヒラさせても効果は無かった。確か怪物はアダムと言っていた。見た目は人型の牛、ミノタウロスのようだった。これらの点から考えられる弱点は、火とか水みたいな本能的に恐れる物?


「ローズさ……」


 炎の技を打つよう声を掛けようとした時にふと思い出す。ローズさんは躊躇いなくヴィルに攻撃していたじゃないか。つまり……違う?


憤恨ふんこん揺ラメキワルツ


 突然耳に飛び込んできたその言葉と同時に周囲に怪奇な四分の三拍子の不協和音が流れ出す。耳障りの悪い音色に合わせてヴィルと背後に現れた黒い影は不気味な社交ダンスを踊る。菲針さんとローズさんはそのダンスに魅せられたせいか、身体がどんどん沈んでいく。


「くっ……! 思うように身体が動かないぞ!」

「なんなんだ一体!」


 不敵な笑みを浮かべたヴィルが口を開く。


「オ前たちはココで終ワリ、ダ……!」


 すると、ヴィルの両手に黒い渦が立ち込める。


落弁らくべん終幕フィナーレ!』


 ヴィルが力強く黒い渦を放つと爆風が起こると、その勢いでヴィルの髪に付いていた真っ赤な薔薇の髪飾りが外れて落ちる。ヴィルの攻撃で身動きが取れない二人は黒い渦を真正面から受けてしまう。

 どうすればヴィルと怪物を引き剥がせるだろうか。怪物を弱らせてヴィルの方から離れてもらう方法。いくら考えても得策が思いつかない。頭を抱えている時に、ふと視界に一面緑の庭の上で小さく目立つ赤い物が飛び込んでくる。


「……薔薇」


 バラ……? 一輪のバラには「私にはあなただけ」という意味がある。……そうか! 俺はヴィルに怪物のことを失望してもらうことばかり考えていた。愛というのは最も強い繋がりだけど、ほんの少しの綻びであっという間に切れてしまう繊細な物。マルガレータの言葉の後者にばかり気を取られていたが、本質なのは前者。最も強い繋がりということなんだ。即ち今正気を失っているヴィルの中に居る怪物の意識を取り戻し、二人の愛の力であの黒い繋がりをかき消してもらえばいい。それが出来るのは──。


「ローズさん! ヴィルにローズ・ブレイズを当ててください! 菲針さんはローズさんを援護して!」


 何か妙案を思いついたのだな? ならば任せるぞ望兎。この窮地を君の頭脳で脱却してみたまえ!

 ローズは真紅の薔薇状の炎をヴィルに飛ばす。しかし先程と同様ヴィルの放つ衝撃波によってその炎は消されてしまう。

 理解した。つまり私がこの火を途絶えさせることなく彼女に当てられればよいのだろ? 容易いことだ!

 菲針さんは宮殿の方へと走っていくと、こちらを唖然と見ていた衛兵たちの元へ駆け寄る。


「すまないが、少し借りるぞ」


 すると菲針さんは衛兵の剣を奪い取り、再び戦場へと戻っていく。


「お、おい貴様っ!」

「安心したまえ、ちゃんと返すさ。そんなにムキになるな」


 あの人はやっぱりどんな時でも変わらない。剣を構えた菲針さんは一直線に走り出すと、ヴィルは距離を取りながら技を放つ。


『逢魔ノ安らぎティータイム!』


 菲針さんは周囲を囲んでくる浮遊する陶器を剣で薙ぎ払いながら開く距離を詰めていく。標的を捉えた菲針さんが切っ先を大きく回して横振りすると、ヴィルは空中へと回避する。逃がさんと直ぐ様菲針さんが空中へと飛び立ち剣を振るうと、ヴィルは片手で刃を受け止めた。


「今だ!」


 菲針さんが大声で合図を送ると、影を潜めて近づいてきていたローズが二人の真下へと滑り込みながら真上へと技を繰り出す。


「純愛よ、咲き誇れ。『ローズ・ブレイズ』!」


 浄火の薔薇が一輪、天へ向かって放たれる。菲針さんは剣から手を離して回避するが、ヴィルは躱すことは出来そうにない。上手く行ってくれ、頼む!




「──ヴィルッ!!!」


 どこからともなく聞こえてきた野太い声は危険を察知して意識を取り戻した怪物、アダムだった。アダムはヴィルとの強い繋がりを自ら引き離し、ヴィルの呪いをヴィルのことを想う純愛で振り払って姿を現した。アダムは身を呈してローズ・ブレイズを受け止めると、ヴィルへと声を掛ける。


「ヴィルにオレが取リ込メルと思ったか? 舐メルでナイ……。ヴィルのコトを護ルのは、このオレだぁああ!」


 アダムはローズ・ブレイズを受け止めながら別の場所へと投げ返した。


「ローズはその牛くんを頼む。ヴィル、ようやく正々堂々勝負が出来るな」

「全く……どいつもこいつもアタシの言うことを聞かない分からず屋ばっかりっ! いいわ、アタシの気が済むまで壊してあげる。そしてここをアンタの地獄にしてあげるわよ。村瀬菲針!」

「待ちたまえ。君が先程言っていたのだが、私のの中に地獄に行くという予定は無いぞ」

「そういうところが分からず屋なのよ! このバカ女がァ!」


 菲針の煽り文句を合図にローズ対アダム、菲針対ヴィルの戦いのゴングが鳴ったのである。

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