第14話 やりたいこと

 俺たちは二日間かけてようやく菲針さんの実家である村瀬家に到着した。外壁が高く、木の門。「村瀬」と書かれた薄汚れた表札がいい味を出してその長い歴史を物語っている。敷居を跨ぐとThe和風なお庭が広がっており、玄関まで砂利道が繋がっている。庭には松の木が植えてあり、池には錦鯉が三匹。縁側の風鈴と池にある鹿威ししおどしが定期的に安らぐような落ち着いた音色を奏でる。

 玄関の引き戸を開くと、着物を着た女性が俺たちを迎えてくれた。


「ようこそお越し下さいました。菲針様、ご無沙汰しております」

「そうだな。じいちゃんの元へ通してくれ」

「かしこまりました。そちらのお二人は……」

「私の連れだ」

「承知致しました。ではこちらです」


 靴を脱ぐようアリスに言い聞かせ、薄暗い廊下を歩いて進む。何となくアリスの家よりこっちのほうが迷いそうだな。あらゆるところに襖があって同じような景色が連なる。そうしてたどり着いた一つの襖の前で着物の女性が声を出す。


蒼治あおじ様、志門様と菲針様がご帰宅になりました」

「入れ」

「失礼致します」


 志門さんより渋い低音の声が中から聞こえてきた。かなりのご年配の方のようだ。菲針さんのおじいさんらしいからな。

 中へ入るとどうやらここは書斎のようだ。本棚がズラッと連なっている。その奥にある机の奥の椅子に座っているご老人がいる。志門さんが前に群鳥の中でも結構怖い人って言ってたしなぁ。


「わざわざ呼び出して何の用だ」

「……菲針か。よく無事で帰ってきてくれた」

「さっさと本題を言え」

「相変わらずせっかちだなぁ。緋多喜が居なくなってお前は大丈夫なのか?」

「ノープロブレムだ」

「そうかそれは良かった。わしはお前が心配だったんだよ。突然遊徒を殲滅するとだけ言い残して出ていって。あれから緒美つぐみは悲しんでいるぞ」

「母さんが?」

「あいつは旦那と娘を失った。お前まで失ってしまった時のあいつのことも気にしてやってくれないか」


 そうか。菲針さんのお父さんももういないのか。それはお母さんもさぞかし辛いだろうな。つまり菲針さんにはもっと自分を大切にしろと言いたいのだろう。


「関係ないだろ。確かに母さんの気持ちも考えたいが、それよりも私は私の気持ちを優先するよ。目の前で緋多喜を殺されたんだ。遊徒を殲滅しなければこの気持ちは抑えられない」

「菲針!」

「そんなことを言うためにわざわざ呼んだのか。ここに来るまでどれほど時間をかけたと思う。じいちゃんこそ私や志門の気持ちを考えたまえよ!」

「お前わしに向かってどんな口を聞いとんだ!」

「知ったことか。行くぞ二人共」


 菲針さんは回れ右をすると部屋からスタスタと出ていこうとする。このままでいいのか? こんな悪化した関係のまま放置してもいいのか?


「菲針様! 私には家族を亡くす気持ちを味わって欲しくないって言ったじゃない! 菲針様はそんな大事な家族にそんなこと言うの!」


 菲針さんが振り返らず返答を困っていると。


「そういえば君たちは一体誰だ。何をズケズケと人の家に入って来ているのだね!」

「この二人は私の自慢の助手と弟子だ。罵声を飛ばすのなら誰であろうと許さんぞ」

「菲針が助手と弟子だと? 笑わせるな。生涯孤独なあの菲針がそんなもの作るわけが──」

「本当に優秀な助手さんとお弟子さんですよ」


 ずっと黙っていた志門さんが間を割って口を挟んだ。


「お前まで何を言っとるんだ志門!」

「俺と菲針だけでは勝てなかった遊徒を、この二人の協力によって倒せたんです。この二人が居なかったら、恐らく貴方のもう一人の孫も死んでいた」

「なっ!?」


 少し狼狽した蒼治さんは誰も信用出来ないような面持ちで声を荒らげた。


「もう良い! 全員出ていけ!」

「言われなくとも出ていくところさ。行くぞ志門、二人共」


 結局良い感じにはならなかったか。完全に俺とアリスも嫌われてそう。俺たちはとりあえず居間へと案内され、出されたお茶を飲みながら何もない時間を淡々と過ごしていた。なんとも言えない雰囲気。

 俺は御手洗に行くと言って立ち上がる。正直ちょっと茶を濁したかっただけだ。まぁついでにトイレも行っとくか。廊下に出てトイレがあるという方へ向かっていると、中庭で空を見上げている菲針さんがいた。何となくその表情はあの街を見つめている時の表情と似ている。俺は不意に菲針さんに話しかけていた。


「お母さんのことですか?」

「望兎。……まぁな」

「本当は気にしてるんでしょ。蒼治さんのことも」

「否定はしないな」

「素直じゃないな」


 やはりその表情には曇りが窺える。本音とやりたいことを天秤にかけてもどかしい気持ちの表情。緋多喜さんの報いために戦いたい気持ちと、母親のために戦いを辞めたい気持ち。そんな対極な気持ちが入り交じり混在し、一旦全てを忘れたいという現実逃避から遠くを眺めて黄昏ている。そんなところかな。

 あの頃の俺と同じだ。親の死を受け入れるか受け入れないか。大学を辞めるか辞めないか。生きるか死ぬか。俺はいつも悩んで生きてきた。この優柔不断な男はいつも悩んでしまうことに悩んできた。だからこそいろいろと割り切ることにしたんだ。その結果死を選ぼうとした。でもそんな俺を救ってくれたのは菲針さんだ。菲針さんのおかげで色んな人と出会って色んな経験を出来た。面倒くさいこととか呆れることなんて毎日のようにある今だけど、こんな今がとても楽しい。こんな今を生きてて良かったと思ってる。だからこそ、今の菲針さんは俺が救ってあげなければいけない。あの時のお返しをする時だ。


「本当にやりたいことをやればいいんじゃないですか」

「やりたいこと?」

「菲針さんがやりたいようにやればいいと思います。誰かのための人生じゃない。誰かに指示されて生き方を決めるような人生じゃない。誰かのために何かをするのは間違いではないです。でも、自分がやりたいことをできない人生なんて、生きててもつまんないですよ。経験者なんで」

「望兎……」

「俺の今やりたいことはみんなと旅をしていろんな経験をして、生きてることを実感すること。アリスのやりたいことはヒーローとして旅をすること。じゃあ菲針さんのやりたいことは何なんですか?」

「私のやりたいことは……まだ望兎とアリスと旅をしたい。いろんなところにみんなと行って、そんな何気ない毎日を送りたい!」


 そうだ。ただやらなければならないことをやるだけの人生なんてつまらない。自分が何かやりたいことを一つ、小さなことでもいいから何か一つ見つけることが、人生を彩る方法なんじゃないかとこの数ヶ月と今を生きてそう思った。


「その旅のついでに緋多喜の仇として遊徒を破壊する」

「じゃあそのついでに平和も取り戻しちゃいましょうか」

「ならば言わなければならないな。母さんとじいちゃんに」

「行きますか」


 菲針さんはアリスと志門さんを呼び、再び蒼治さんの書斎へと赴いた。そして。


「じいちゃん、私は決めた。このまま旅を続ける。母さんにはごめんけど、私は私のやりたいことをする」

「……本気なんだな?」

「勿論だ」

「……分かった。お前の活躍を期待しよう。緒美にもしっかり伝えておこう」

「いや、私から伝える。母さんはどこにいる」

「…………。お前の父親と緋多喜の墓だ。今朝墓参りに行くと言っていた」

「分かった。二人はここに居たまえ。すぐ戻るから」


 そう言って菲針さんは思い当たる場所があるのか軽い足取りで部屋から出ていった。取り残された俺とアリスと志門さんは微妙な空気に耐えかねていた。まるで友達の友達と二人っきりにされた気分。友達いないから経験無いと思ってたけど、思いも寄らないところで経験するとは予想外だったな。


「君たちは菲針の助手と弟子と言ったね」

「はい」

「どうして菲針に付いて行くことにしたんだい?」

「菲針さんが生きる意味をくれたからです。菲針さんが居なければ俺はとっくに死を選んでた。今こうして生きて、人を助けてここに立ててるのは菲針さんのおかげなんです」

「菲針が助けた、か……。あの菲針がねぇ。あの子は昔から人を全く寄せつけようとしない子でね。家族や友人を避けるような印象だった。そんな菲針を志門と緋多喜がどうにか人と関わるようにならないかといろいろ手を打ってくれたおかげであそこまでなれた。そんな菲針が人を助けて助手と弟子を作って、共に旅をして。ありがとう君たち。これから菲針が迷惑をかけるかもしれんが、どうかうちの孫を宜しくお願いします」

「蒼治さん、一つお伺いしたいのですが——」




「……母さん」


 そこには父と緋多喜の墓の前で拝んでいる母の村瀬緒美むらせつぐみが居た。


「あら菲針。帰ってたのね、おかえり」

「ただいま」

「あんたがお墓に来るなんて珍しいわね。拝んでく?」

「……いきなりだけどさ、母さんは、私にどうなってほしいんだ?」

「なにそれ急に。まぁ母さんは菲針に幸せに暮らしてほしいかな」

「そうだよな。それのことなんだが……」

「でも、菲針。あんたが生きたいように生きなさい」

「え?」

「あんたはどう生きたいの?」

「私は、仲間と旅をしながら遊徒を破壊したい」

「なら、そうしなさい」

「いいのか?」

「私だっておじいちゃんの言うこと無視して群鳥に入んなかったんだし。菲針が生きたいように生きてくれることが、親としての喜びなの。それにね、あんたの名前の由来は知ってる?」

「チクチクしてるってこと?」

「そんな意味を自分たちの愛娘に付けるわけないでしょう? 誰から何と言われても自分の意思を曲げない子になって欲しかったから。それにね、『非』っていう字はあんまり良い印象を与えないからって親戚や群鳥の人たちに猛反対されたの。でも私たちはあんたたちにそんな逆境に負けないような子になって欲しいって名付けたのよ。だからあんたはあんたがやりたいことを曲げずに、誰からの意見にも流されずに、生きたいように生きなさい」

「母さん……!」


 私は家族を失って辛いはずなのに私のことを尊重してくれる母さんには敵わなかった。いつの間にか何故だか涙が目から勝手に溢れており、私は無性に感情を抑えられなくなって母さんに抱き着いていた。


「はいはいよしよし。もう、いい大人の女性が何泣いてるのよ。綺麗な顔が台無しじゃないの」

「泣いてなどいない……!」

「大泣きじゃないの」


 母さんは微笑みながら優しく私を包み込んでくれた。




「前に菲針さんのお母さんは一人で暴力団を壊滅させたと聞いたんですが、何があったんですか?」

「緒美は天性の才能を持っていた。有り得ないほどの身体能力をしていてね、私の自慢の娘だった。だがあいつは人を傷つけることと仲間が傷つくことを嫌って私の反対を押し切って群鳥に入らなかった。そうしてあいつは恋をして旦那が婿入りしてくれた結果、菲針と緋多喜を産んだ。二人がまだ二歳の頃、緒美の旦那が友人に裏切られて借金を負わされて暴力団に殺された。それを知った緒美は一人で暴力団に乗り込んで数十万人の男たちを相手にして壊滅させたんだ。群鳥の連中は緒美は死ぬと予想していたが、あいつは傷を負いながらも軽い足取りで菲針たちの元へ帰ってきた。その後、私が菲針と緋多喜に戦闘術を教えた結果、二人は群鳥に入ったというわけだ」


 緒美さんの過去が卑劣な物だと同時にその破格的な強さがとても印象強い。そんな人の血を引くのなら菲針さんの強さも納得だ。


「そんな俺と菲針だが、俺たちは群鳥が遊徒の強奪に関与していると踏んで逃げ出したんだ。その上大量に遊徒を破壊している。結果俺たちは群鳥に追われてるってことだ」

「それ見つかったらどうなるの?」

「殺されるな」

「えええ!」


 流石の菲針さんと志門さんでも群鳥にはそんくらいの人たちがたくさんいるってことなんだもんな。見つかった場合厳しそうだな。


「そのためにも、あいつには君らが必要だ。俺からも菲針のことを宜しく頼む」


 深く頭を下げる志門さんにアリスが頭を上げてと言いながら肩に手を置いて起こす。俺たちは二人に菲針さんと一緒に旅をずっと続けることを約束した。




 数時間後。居間で菲針さんの帰宅を待っていると、玄関の引き戸が開く音がした。その後、ドタドタと走る音が近づいてきたかと思うと居間の襖が勢いよく開かれた。


「望兎、アリス! こんなところでグズグズしてられん。さぁ行くぞ!」

「ど、どうしたんですか」

「この隣街で事件が起きているようだ。一人の仮面を被った男が街を荒らしているらしい。遊徒を使ってな!」


 まさか遊徒強奪犯? もしくはその仲間か。とにかく急行して情報を聞き出す方が良さそうだな。あとこの感じは緒美さんに上手いこと伝えられたみたいだな。


「志門、お前も来たまえ。戦力は多いに越したことはない」

「了解」

「行くぞみんな!」


 俺たちは急いで荷物を整えて廊下を走る。その途中で私服を来た見知らぬ女性が居た。誰だろう。ただどことなく菲針さんに似ているような。それにその女性から謎のオーラを感じた。恐らく菲針さんの親戚で間違いないだろうな。女性は優しい眼差しで微笑むと、別の廊下の方へ歩いて行った。軽く会釈しておこう。


「どこに向かって礼してるんだ。急ぐぞ望兎」

「あ、はい」


 俺たち四人は村瀬家を飛び出すと隣街を目指して走り出した。

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