第11話 天童京子
昭和10年の1月天童京子は広島県三次市の豪農の娘として誕生した。
彼女は生まれた時から前世の記憶を持っていた。それは約1400年前のニライの妻の記憶である。
あの瞬間、身体中が灼熱の炎に包まれ、守るべき赤子とともに何本もの矢に刺されて呼吸も出来ないほど苦しみ抜いた最後の出来事がまるで昨日のように完全に覚えていて目の前に浮かぶ。
「許さない許さない許さない」
頭の中で激しい恨みがこだまする。
京子の見た目は可愛らしいというよりも、美しい容姿で端正な顔をしていた。
しかし、小さいころから殆ど笑うことがなかった。言葉が話せるようになっても滅多に親と会話しなかったし、周りの子供達とも話さなかった。
京子には二つ上の兄 一郎がいたが兄は普通の子供で大人の記憶を持つ京子にとって話し相手にはならない。
京子が何をするにもその落ち着き払った様子に両親は首を傾げ扱いに困っていた。
両親から愛されず、恨みの感情が生まれた時から常に存在する京子は孤独で内気な性格に染まっていく。
ーーーーー
京子が中学2年の時、それは起こった。長かった戦争が終わっても負けた日本の田舎は生きていくのが精一杯で食べ物や物資はいつまで経っても回ってこない。
苦しい生活が続く6月、朝から重苦しい雨雲でどんよりした木曜日のこと。
16時半に学校が終わり京子が学校からいつものように歩いて帰宅していると
"江の川"にかかる人専用の横幅3mのコンクリートで出来た橋の真ん中あたりに差し掛かったときクラスの女子2人川崎と神田が京子を待ち伏せしていた。
気づくと後ろからも2人のクラスメイトの女が鉄の棒を持って近づいてくる。薄暗く、蒸し暑い湿った空気が漂っていた。
川崎「あんたぁなんか良い服着とるのう、それで少しええ気になってるじゃろうが」
広島弁でいちゃもんをつけてくる。
神田「ちょっと可愛いいけぇ言うて、生意気なんよ」「あんた見とったらなんか
京子は立ち止まりどう対応するか考えていた。
後ろの2人は棒で橋の
そこへ先週転校してきたばかりの澤田博彦が後ろから小走りに走ってきて京子のまえで二人に向かって仁王立ちになり口を開いた。
「事情は知らんが、この人数は卑怯ではないか」
「お前らの相手は柔道2段の俺が相手になっても良いんだぜ」 「どうなんだ」
まさかの助っ人に川崎も神田も後ろの二人も驚いた。因みに京子も突然の出来事になんて言えばいいのか分からず突っ立ったまま目を見開いている。
川崎は「なんだお前」
「京子運が良かったな」
「転校生てめぇ覚えてろ」
と言って他の連中に「いくぞ」と言うと京子の行く方向と反対の方に去って行った。
京子は初めて受ける男性からの親切に硬直したまま
「ありがとう」
「どうして私なんか助けたの」と問うた。
すると澤田は「俺はあんな卑怯なやり口が一番嫌いなんや、見過ごせるか」
と男らしい返答をすると共に初めて京子の美しい顔に気付き、はっとした表情を浮かべた後、顔を真っ赤に紅潮させ「またなっ」と広島ではありえない標準語で話すと走り去ってしまった。
一人橋の上に残された京子は久しぶりに「ふふふ」と笑って家に向かってまた歩き出した。全く予期せぬ親切に生まれて初めて心から喜びを感じていた。
それから二人は毎日並んで歩いて帰った。
京子は一度断ったが澤田は「またあいつらが来ないか心配だから」と護衛のように後ろを歩いたり、たまにキョロキョロしながらついて来た。
京子は相変わらず口数は少なかったがずっと笑顔で帰り道澤田と歩いた。
これは恋なのかと自問自答するくらい自惚れ学校でもずっと澤田を見るようになった。そんな毎日が約半年続いた。
しかし、学校での澤田はその男らしい発言や東京出身のさわやかな標準語、またスポーツマンらしい均整のとれた体躯と端正な顔立ちに女子からの告白が後を絶たなかった。
"実際は少しゴリラに似た顔つきだが未知なる都会 東京から来ているだけでよく見える"
常に下駄箱や机の中にさまざまな女性からの恋文が入っている。次第に澤田は京子と帰る日が減ってきて他の女性と話している姿が目につくようになった。
雪の降り始める年末になる頃には、もう全く澤田は京子によりつくことは無くなっていた。
京子は毎日澤田を盗み見ていたが、澤田はまるで見せつけるかのごとく取り巻きの女性達と鼻の下を伸ばして話し続ける。
よりによって川崎や神田とも澤田は楽しそうに話す。澤田は調子に乗って腕の太さを自慢しているのかシャツの上から二人に触らせてはくすぐられたように笑っている。
京子は他の女性にころっと騙されている澤田に絶望しつつ、澤田のことは忘れようと何度も思い直し、また1人寂しく歩いて帰宅するようになった。
ーーーーー
そして年が明け、新学期の学校からの帰り道、昼から降り始めた牡丹雪がしんしんと音もなく重なり、あっという間にあたりは10cmを超える雪が積もっていた。
その歩きにくい雪の中を傘を差しながら革靴を履いた京子は滑らないようゆっくり歩いて"江の川"の橋の真ん中あたりに差し掛かったとき、またあの時と同じように川崎と神田が橋の向こうから薄ら笑いを浮かべながら歩いて来た。
川崎「京子、あんたぁ捨てられてやんの」
「バカじゃのう、あんなんに惚れとったんじゃろ」
降りしきる雪に左手に持っている傘は重みを増してくる。後ろを振り返るとまたしても2人の女性が傘を閉じて少しづつ近づいてくる。
川崎が
「観念せぇ、持っとる金全部出せや」
顔に張り付いた薄笑いを浮かべたまま川崎と神田は京子の目の前まで来ていた。
その時橋の隅をたまたま誰か後ろから歩いて来る。
京子や川崎達は一瞬そっちに視線を移したが、降りしきる雪で近くまで来ないと顔が見えない。
真横まで来た時、よく見ると2人並んでいてこっち側は他のクラスの女子生徒で反対側は澤田だった。
一つの傘に入り笑ってふざけ合いながら歩いていた。
京子は
「澤田くん」とすがる様な眼差しで澤田に声をかける。
澤田は顔を上げ、京子を一瞥した後
「川崎よ~、俺の見てないとこでやれって言ったじゃんか」
と笑いながら言って
「京子お前ちょっと暗いんだよ、皆んなと仲良くしろよ」
と言い放ってとなりの女の肩に手を回して転がりそうになりながら笑って去っていった。
川崎は「ごめん、ごめん澤田くん、見なかったことにしといて」と笑って返した。
京子は澤田が何を言ってるのか一瞬分からなかった。
まるで時間が止まったように澤田の言葉を頭の中で繰り返す。そして徐々に言葉の意味を理解しはじめると自然に涙が頬を伝わった。
火のついた矢で身体を貫かれた上に生きたまま体を焼かれても涙は出なかったが澤田に裏切られた悔しさは他に例えようもない程の怒りと悲しみを覚えた。
すぐさま後ろの女が凄まじい勢いで傘の先端を京子の腰に突き刺した。
京子は前のめりになり持っていた傘と鞄を橋に落とす。すかさず目の前の神田が持っていた鞄で京子の左頬を思いっきり叩いた。
京子は反動で右後ろ向きにグルっと吹き飛んだ。
鼻が折れたのか左の鼻から血が噴き出る。そして川崎が京子の腹を力一杯蹴り上げると京子は
4人の女性に追い込まれると欄干を背に背筋を伸ばして女達に言った。
「あんた達よくもやってくれたね、絶対後悔させてやる。この怨み必ず果たしに帰ってくるから」
京子は女達を物凄い目で睨みつけながら雪の積もった欄干を軸に後方回転して降りしきる牡丹雪の中、"江の川"に頭から飛び込んだ。
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