第8話 ドナ

景子は2人目の海外に住む末裔の気配を感じ始めていた。


 名前はドナ。しかし、彼女には危険が迫ってるのを日増しに感じる。この胸騒ぎはただごとじゃない。


     "一刻を争うわね"


景子は直ぐに行動に移した。


 12月14日景子はフランス行きのチケットを購入しJAL045便 8時25分発のシャルル・ド・ゴール国際空港に向かった。


 かなり差し迫った気配を感じる。


 12月14日深夜11時30分、景子はド・ゴール空港で予約済みだったレンタカーの最高峰、日産スカイラインGTRをピックアップするとそのままサン=ドニ地区に向かった。


 サン=ドニ大聖堂から50m程度離れた7階建ての廃ビルの前で景子は車から降りて上を見上げる。


 子供の悲鳴がした後、屋上から人が落ちてくる。


 背中を下にして何かを抱えたまま、髪の長い女性だ。景子は反射的に最大限の力を前頭葉に集中した。


ーーーーー


ドナは景子の妹の礼子の孫にあたる。


礼子の娘、千春はフランスから日本にパラグライダーのインストラクターとして来ていた黒人のルイス・ウィンストンと恋に落ちフランスに帰国するタイミングで結婚しフランスのサン=ドニ地区に移住した。


 ルイスは表向きスポーツインストラクターとして活動しているが裏では麻薬や大麻など薬物の密売を糧にしている。彼はフランスで2番目に大きいシンジケートに属し、既に自身も薬物に染まっていた。


そのせいでルイスはキレやすく、何をするのか分からない状態になることもあり、千春も愛想を尽かし始めていた


 そんな矢先千春は娘を授かった。そのことで彼女はこのフランスで生きていく決心を固めた。


 また、意外だったのは娘が出来たことにルイスは意外なほど喜び、薬から足を洗い何年かは穏やかな生活が続いた。


 そんな折、町の3番街の十字路にある白いビルの2階に柔道の道場があることを知り礼子は娘のドナを通わせることにした。

 

 ドナは父に似て体格が良く、6才で既に150cmの身長があった。千春はドナの心を鍛えて優しく強い女の子になって欲しかったのである。


 そんなドナの父ルイスは所属するシンジケートで大きなミスをしてしまう。


 No.2への昇進をかけて大量の薬物を日本に密輸しようとしたところ全て日本のヤクザに騙し取られてしまったのだった。


 末端価格で3億を超える量である。


ルイスは部下共々責任を取らされボスからパリ市内の薬物販売をこれまでの3倍にしろと命令された。


 ルイスは日々のストレスと部下からの突き上げもあり、薬物を自分に使い始める。日に日に落ち着きを無くして冷静さを失っていく。


 しかし、販売量は一向に増えない。


 ルイスは母 千春の見てない所でドナに暴力を振るうようになった。


 言いようのない苦しさと、幻覚による追跡から精神が病み始めていた。


 何も罪の無いドナを訳もなく殴った。


 ルイスはその内ドナに男の服を着させ、帽子を被らせると薬物を売ってくるよう指示し始めた。


 ルイスは千春に言ったら殺すと脅してくる。


 ドナは学校から帰ると指定された場所へ行き薬物を渡して金を受け取るようになった。


 そんな生活が1年以上続き学校では女性として、夜は男性の姿で行動したが、柔道だけは休まず練習を続けていた。


ーーーーー


 ある蒸し暑い8月、母の千春が家で1人夕食の支度をしている最中に倒れた。


 ドナが発見するも数時間が経過していて彼女は身体の左半分が麻痺してしまう。


 検査の結果、脳腫瘍が見つかり2回の手術を受けるも寝たきりの状態になってしまった。


 ドナもお金を稼ぐ必要から大学をあきらめ、このころから本格的に父の手伝いで危険な仕事に染まっていく。


 すると、その内仲間も増え、何度かシンジケート同士の争いに徒党を組み、心が不安定だったドナは相手を病院送りにしたり半殺しにしてしまうこともあった。

 

 しかし、仲間のひとりアルゼンチン出身のアランは10才年下のドナが実際は美しく輝く黒い肌を持ち、ハーフ特有の整った顔、切れ長で宝石のような瞳を持っていることを知り好意を抱く。と同時に彼女がこの世界で苦しみながら奮闘しているのを影で助けていた。


  "彼女はこんな世界にいるべきでないのに"


と密かに心配していた。


ーーーーー


 ドナは常に葛藤していた。男の服を着て男のように振る舞っていたが、本当はそんなことをしたくなかった。


 誰にも言えないが昔の真面目だった頃の自分にもどり普通の生活に戻ることを夢見ている。


 小さい頃から教えられた柔道の精神を守りたい。そんな心を押し殺し、粗暴に振る舞う毎日や部下の手前自分を悪人に見せるように振る舞う日々。


 しかし、そんな日々を吹き飛ばすかのように柔道の練習だけは時間を割いて参加し、なんとか心のバランスを保っていた。


 そして、ドナが20才になった誕生日、柔道の練習中コーチが語りかけてきた。


「ドナ、今度フランス代表として大会に出ないか」


「グランドスラムの70kg級」


「お前なら誰にも負けないぞ」


「これから身体を絞れば間に合う」


ドナは嬉しかった。初めて人に認められ、期待されることに。


ドナ「やります。」


 「やらせてください」


コーチ「分かった。半年後の試合に向けてこれからは特別メニューとする」


 「厳しい日々になるがついて来れるな」


ドナ「ハイ」


コーチ「柔道の返事はオッスだ」と笑った。


その日からドナに生きる希望が湧いた。


 グレーな街並みが色鮮やかに見える。何をしても楽しいし昼に始めていたカフェのバイトでも周りから明るくなったと言われる。


 病床の母にも試合の事を伝え2人で喜びあった。


ーーーーー


 夜の薬物の受け渡しについてドナは自分なりの最低限のケジメをつけていた。


 薬物が子供達に渡らないよう近所の子供達を集めては薬物の恐ろしさを教え、絶対近づかない、手を出さないこと。


 また、教会の薬物防止のボランティアにも積極的に参加して子供達には広がることが無いよう活動していた。


 ドナの優しい心や振舞いが同じアパートに住む子供達は皆大好きだったし、ドナも一緒に遊んだりお菓子やドリンクを与えて子供達を見守っていた。


 その中に同じアパートの1階に住むアランの息子で7才のシリルもいた。


 シリルは大好きなドナの柔道の練習試合は必ず観に来ていた。


 彼は柔道の練習中でも街中でもドナを見つけるといつも走ってきて飛びついてくる。


 "私もこんな子供が欲しいわ"


天使のように可愛い笑顔にほんのひと時気が休まる。


ーーーーー


 柔道のグランドスラムは日本人選手 小島瑠美が3連覇中である。


 連続する大外刈りを得意としている。


 相手に不足はない。


 ドナは夜も柔道の練習を追加して練習後はコーチと夜遅くまで小島瑠美の過去の試合をビデオで確認し様々な戦略を練り上げる。


 次第に夜の闇の仕事割合が減っていくが仲間には正直に半年だけ柔道に専念することを伝え、仲間からも理解を得た。


 アランを始め仲間達もフランス代表で試合をするドナを誇りに感じてくれている。


 しかし、一方で仲間達は次第に勢力を拡大してくるロシア系マフィアとの抗争が増え、何度か銃撃戦になったことを知り日々危険に晒されている皆が気がかりだった。


 だが応援してくれる母やアラン、仲間達、子供達皆んなの期待にも応えたいドナは柔道に集中する日々を重ねる。


 体重を7kg絞り厳しい特訓を乗り越えてグランドスラムは12月14日スタートした。


 初日カナダと韓国の選手にあっさり得意の内股返しで1本勝ちの2連勝すると予想通り決勝は小島瑠美が勝ち上がり明日朝10時に対戦することになった。


コーチ「明日はこれまでの練習を思い出して全力で行け」


   「今日は早く休めよ」


 と言われてタクシーで家に向かった。


 夜11時就寝しようと柔道雑誌を閉じた瞬間、スマホが光り電話に気づく。


 アランからの電話だった。嫌な予感がするのを振り切り電話に出る。


ドナ「どうしたの」


アラン「ドナごめん、明日は大事な日だってのに」


ドナ「良いのよ、何かあったの」


アラン「シリルの姿が見えないんだ。ドナの所に行ってないかと思って」アランの声がうわずっている。


ドナ「ここには来てないわ」


 ドナは息が苦しいような胸騒ぎがする。


 「どういうこと、いつからいないの」


アラン「実は学校から帰ってないようなんだ。それに今日の受け渡し場所に行った仲間3人からも連絡が来ない、、、」


ドナ「待ってて直ぐそっちに行くわ」


  「今どこにいるの」


アラン「今は事務所なんだ。家では祖母がシリルを待ってるんだか、、、」


 ドナは嫌な予感を振り払うようにアパート専用駐輪場にあるヤマハの250ccバイクのロックを解除しフルスロットルで走り出し、暗闇に鎮まる大聖堂を一瞥して事務所に向かった。


 事務所に着くとアランとその仲間たち3人がいた。


 皆んな他の仲間を町中探してみたが見当たらないと言う。焦る男達を見つめながらシリルの事を考えるとドナも気が変になりそうだ。


 その時、アランのスマホが鳴り響き電話がかかってきた。探していた仲間からだ。


アラン「どうした、大丈夫か、今どこにいる」


仲間「すまないアラン、捕まっちまった。」


すると電話の相手が代わり


「おぅ、アランお前の仲間達はここにいるぜ、それからお前の子供もな。助けたかったら今から言う場所に100万ユーロ持ってこい。知ってるんだぜお前がこの町で結構稼いでるの、金庫に1ヶ月分の売り上げがあるらしいじゃねえか」


「お前の仲間の指3本折ったら直ぐに教えてくれたぜ」


「お前だけ必ず1人で来いよ、さもないとこいつらの命はないからな」


 彼らの指定してきたのは大聖堂の裏の廃ビルだった。


 時間は1時間後の深夜1時だ。


 アランは拳銃を2丁を脇のホルダーに刺し、ズボンにも1丁刺して防弾服を身につけた。


 次に現金を金庫から出すとスーツケース3つに詰め込み黒いプジョー506のトランクに放り込んだ。


ドナ「絶対罠じゃない」


  「1人で行くなんて無茶よ」


アラン「しかし、シリルまで捕まってるのに他に方法がないだろ」


仲間達「アラン俺たち近くで隠れてるから合図してくれたら飛び込むぜ」


アラン「ありがとう、じゃあ行ってくる」


ドナ「私も行くよ」


アラン「ドナ、君は家に帰ってくれ、お願いだ。君に何かあったら、、、」


 「そして、明日の試合に出るんだ」


 そう言うとアランはプジョーに乗り込みエンジンをかけた。


 仲間も銃を手に取りズボンに刺して、指定されたビルにバイクで向かう。


誰もいなくなった事務所でドナは


「私も行くわ」


と呟き、バイクに跨ったまたがった


 時計は深夜1時3分前、廃ビルの屋上にプジョーが辿り着く。


 アランは運転席から降りると眩しい程のヘッドライトを浴びる。相手は5台の車をハイビームにしてアランを照らす。


ロシアマフィア「よく来たな」


 「車から金の入ったスーツケースを降ろせ」


アランはトランクを開ける。


次にスーツケースを一つ地面に下ろした。


ロシアマフィア「スーツケースを開けてこっちに中を見せろ」


アランはスーツケースを開いて現金を示した。


「他のスーツケースも降ろせ」


アラン「仲間と俺の子供は無事か教えろ」


ロシアマフィア「ここにいる」


「あの世には先に行ったがな」 


と言うなりロシアマフィアから一斉射撃が始まった。


 アランは頬と右足に一発喰らうも身体に当たる弾丸は防弾チョッキのお陰で致命傷にはならない。


 転げながらドアを開け放していた車に飛び込む。

エンジンはかけたままだったので割れたフロントガラスに身をかがめシリルの名を叫びながら目の前の車に突進した。


ーーーーー


 アランの仲間3人とドナは全員バイクのエンジンを切り静かに押しながら屋上に上がるループ状の道路を屋上手前まで運んでいた。


 銃の音が聞こえた瞬間バイクのエンジンをスタートさせ、屋上目指して突っ走る。


 ロシアマフィアに突進したアランは周りを10人近い男達に囲まれ一斉に銃弾を浴びて絶命した。


 そしてロシアマフィアの男達はスーツケースを確認し、ぶつけられなかった車に放り込んだ。


 次にまだ殺していなかったシリルは目隠ししたままその場に下ろし、男が1人シリルに向けて拳銃を構えた。


 その瞬間1台の誰も乗っていないバイクが銃を構えた男に突っ込んできた。


 男は慌てて横に転がり銃弾はシリルの髪をかすめる。


 同時にアランの仲間たちの乗るバイクが屋上で猛スピードで走り回りながら銃を乱射する。


 シリルは目隠しをしたまま泣きながら走る。


 手は前でガムテープで縛られたままだ。


 ドナはシリルを見て叫んだ。


 「シリル走って!」


シリルが走りながら叫ぶ


「ドナーーーーーーーーー」


 ドナは無人バイクの後ろから腰を屈めかがめながら猛獣のように俊敏な動きでシリルに向かって全力疾走する。


 双方の銃弾が狂ったように発射されドナの仲間はことごとく蜂の巣のごとく弾丸を浴びて穴だらけになり、バイクはブレーキもかけれず壁や車に突っ込む。


 ドナは銃弾を左肩に受けながら正面から走ってくるシリルを抱きしめる。


 しかし、無情にもシリルの背中に銃弾が当たり、シリルが絶叫を上げドナも突き抜けた弾丸を腹に受ける。


 ドナは覚悟を決めシリルを力一杯抱きしめると90度向きを変え全力で走って屋上から身を投げた。


 落ちる瞬間ドナは体を捻りひねり抱きしめたシリルを上にし、自分の体から地面に落ちる事でシリルを守ろうとした。


「コーチすみません。試合に出られない」


「お母さんごめんね」


「皆んなごめん」


ーーーーー


 気がつくとドナは病院のベットの上にいた。横には見たことのない日本人の女性が座っている。

体や肩には包帯が巻かれ応急処置はされている。


ドナ「ここは、どこ」


景子「ここはHOPITAL ST. LOUISの救急病室よ」


ドナ「貴方は誰なの」

  「えっ」

  「なんで私生きてるの」

  「そうだ、シリル、シリルは大丈夫」


景子「シリルは集中治療室よ」

  「貴方よく頑張ったわね」

  「私は景子、貴方を迎えに来たわ」


ドナ「今何時ですか」


景子「朝の8時よ、試合は10時でしょ、まだ間に合うわ、どうする?」


ドナ「行かせてください」

  「今日行かなきゃ一生後悔すると思います」


景子「貴方まだ銃弾が身体に残ってて手術は1時間後よ」


  「でも、、、分かった、行きましょう」


  「試合まで今からGTRで飛ばせばまだ間に合うわ」


  「さぁ、寝てる暇わないわよ」


ドナ「ありがとうございます」


ーーーーー


 光り輝くグランドスラムの表彰台でドナは疲れ切った身体に最後の力を振り絞り大きく手を振り観客の声援に応えた。


ーーーーー


 シリルが無事退院しアランの祖母と手を繋ぎアパートに帰った日、それを見届けたドナは景子とド、ゴール空港に向かう。


 途中アランの眠るモンパルナス墓地に寄りマゼンタピンクのランの小さな花束を供えて祈りを捧げ、待ってくれている車に乗り込む。


 人で溢れかえるド、ゴール空港のカウンターで手続きを終えると初期化したスマホをダストボックスに放り込み、過去と決別してからドナは誰かに呼び止められた気がして一度後ろを振り返り、


  「気のせいね」と呟くつぶやく

 

 景子と日本行きのエールフランス搭乗口に向かった。

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