第10話 一向にやってこない黒幕

 ソフィアはアビスが王都に来る報せを受けてすぐに行動を開始した。


 自分が動員可能な衛兵を連れて、アビスが泊まりそうなホテルで待ち伏せしていた。

 一番可能性が高いユメシスグループのホテルを選んだわけだ。


 案の定、アビスはやってきた。

 しかも、スイートルームに泊まっているじゃないか。


 いくら侯爵家の長男とはいえ、スイートルームに泊まるお金があるとは考えられない。

 その上、メイド全員にセミスイートルームを用意したときた。


 ソフィアの中での疑惑は確信に変わりつつあった。


 彼女はアビスをつけて、その行動を観察していた。

 その時だった。


「お前らは下がれ」


 アビスはそう言ったのだ。

 ソフィアは雷に打たれたような衝撃を受けた。


 かなり距離を保っていたし、物音も立てていないつもりだったが、自分の存在がアビスにバレてしまった。

 まずいと思ったソフィアはすぐにその場から離れて、自分の部屋に戻る。


 アビスは只者ではない。


 その思いが胸を満たしていく。

 それが分かっただけでも、計画は実行すべきだと判断した。


 ソフィアは田舎娘に扮していた。

 その護衛も商人のふりをしていた。


 ソフィアは作戦の開始を宣言した。


 すると商人のふりをした護衛たちはすぐにホテルをジャックして自分を人質に取った。

 もちろんフリである。


 もし、アビスがこの国を裏で支配する真の支配者ならば、ここで何もしないわけがないと踏んでのこと。


「このホテルはジャックしたぁッ!! こいつらは人質として連れていくッ!!」

「「「きゃーッ!!」」」


 ソフィアも周りに合わせて悲鳴を上げてみる。

 できるだけ怯えた感じで叫んでみた。


 ここで自分が王女だとバレることはリスクがある。

 そのためにも、自分は役に徹しようと思った。


 なのに、アビスは一向に現れなかった……。


 ◆


 ふむふむ、風呂上がりの牛乳は悪くないね。


「きゃーーーッ!!」


 俺は今風呂から上がって裸で牛乳を飲んでいた。

 もちろん、自販機にコインを入れて買ったものだ。


 日本で生活していたら、自販機の便利さは忘れられない。

 なので、ユメシスグループにも色んなところに自販機を設置させた。


 おかげで俺はこうやって前世の銭湯で飲める牛乳を貪っていた。


「くはぁッ! 悪くない!」


 これぞ庶民。


 我ながら名演技である。


「きゃーーーッ!!」


 よし、牛乳も飲んだし、体を拭こうか。


 バスタオルを持って体をふきふきする。


 気持ちぃい!


 やはり日本人はお風呂だな。


「きゃーーーーーッ!!」


 さっきからしつこく悲鳴が聞こえてくるな。

 まるで俺を催促しているようだ。


 ……まあ、そんなことはありえないか。


 俺としたことが、神経質になっていた。

 さて、髪の保湿もしておこう。


「きゃーーーーーーーッ!!」


 うーん、そろそろうるさくなってきたな。


 確かにホテルジャック犯を制圧して正体を明かすのも楽しいけど、それでお風呂タイムが台無しになったら本末転倒だ。

 俺は騒音に強い男だ。決してやかましい悲鳴には屈しないぞ。


 トリートメントをつけて、髪に馴染ませたあと、軽く水で流す。

 そして濡れた髪をタオルで拭いて、乾くのを待つ。


「きゃーーーーーーーーーッ!!」


 いくら叫んでもいかないぞ?


 どこに髪が濡れたまま登場する黒幕がいる?

 俺はかっこよく決めたいのだ。


 だいたい、アーシャ達もいるから、人的被害が出るのは考えられないしね。

 俺のホテルにももちろん警備員がいるから、そう簡単に人質が害されることはない。


 まあ、でも、怖かっただろうから、あとでユメシスグループのカウンセラーたちに来てもらおうか。

 心的外傷の治療は大切だからね。


「髪もそろそろ乾いたね。さて、服はどうしようか」


 思いきり観光気分だったから、パジャマしか更衣室に持ってきてないぞ?


 ……部屋に戻って着替えようか。


「【隠蔽ステルス】」


 スキルを発動させて、自分の姿を消す。


 このスキルを手に入れた時は天啓かと思った。

 女風呂を覗け、と。


 でも、よくよく考えたら屋敷のメイドたちにバレて嫌われたほうがメンタルやられるから辞めといた。


 大浴場を出る。


 うーん、人に見えていないと分かっていてもやはり恥ずかしいな。

 なにせこっちはすっぽんぽんだからね。


 あそこか。


 一人の女の子を囲むように屈強そうな男達が陣取っているから、おそらくあいらがホテルジャック犯なのだろう。


「きゃーーーーーーーーーーーッ!!」


 女の子はやけに悲鳴を上げてくるね。

 

 そんなに怖かったのかな。

 あとで特別に部屋に連れて安心させよう。


 だが、今は無視だ。

 アーシャたちが俺の指示を待つように立っているから、危険はないはず。


 そうと来れば、俺が今一番しなければならないことはなにか。

 そう、まず服を着ることだ。


 どこの世界にすっぽんぽんで登場する黒幕がいる。

 俺はカッコ良さマシマシで登場したいのだ。


 えっと、エレベーター、エレベーター。


 エレベーターに入って、20階のボタンを押す。


「ふーっ、寒いな」


 だが、この解放感がたまらない。

 空気との摩擦で股間が心もとないが、これもまた一興。


 やはり非日常的な体験ができるのは旅行の醍醐味だ。

 誰にも見えていないのはこんなに気持ちいいことだとは知らなかったな。


 今度またやってみよう。




―――――――――――――――――――――

お読み頂きありがとうございます!


少しでも面白いと思って頂けたら、ぜひ作品のフォローと☆評価して頂ければ執筆のモチベーションに繋がります!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る