第9話 大浴場
「さすがはアビス様……優秀な人材を一瞬で見抜き、重用するとはなんと懐の深いお方なのかしら……」
「私も感動したよ……ますますアビス様に惚れちゃった♡」
「ココナ、抜け駆けしないで……」
食堂を出ると、ずっと黙って俺の後ろに控えていたメイド三人衆はぶつぶつと会話を始めた。
うちの職場は私語厳禁じゃないから、特に問題はないのだけど、なぜか背筋がぞっとした。
さて、腹も膨らんだことだし、デザートと行こうか。
スイートルームに設置されている浴室ではなく、敢えて大浴場で汗を流す。
そして浴槽につかり、「ふふっ……誰もこの国の真の支配者が大浴場で寛いでいるなんて思わないだろう」と静かに呟くのだ。
やばっ、想像しただけで全身を風が吹き抜けたような感覚がした。
もはや誰も俺を止めることは出来ない。
俺は浴槽で人知れずに呟くぞ!!
「お前らは下がれ」
「「「―――ッ!?」」」
なぜだろう。
下がれって言ったのに、メイド三人衆は俺の前に出て構えたのだ。
「さすがはアビス様、私達でも敵の接近に気が付きませんでした……でも、いくらアビス様でもご自身を危険に晒すようなことは許せません」
は?
アーシャは何を言ってるの?
女の子は男湯に入れないから下がれって言ったわけだが、なんで敵に遭遇したことになってるんだよ。
しかも、『お前らではあいつに叶わない、俺が出る』のような意味にとらえられているみたいだし、ほんと勘弁してくれ。
いや、待ってよ。
これはチャンスなのではないだろうか?
普通に風呂に入るって言っても、メイド三人衆は屋敷にいる時みたいに付いてこようとするだろうから、ここはその勘違いに乗っておこうか。
「思い上がるな! ―――お前らは自分の力を過信しすぎだ! 今はこの俺を頼れ! それこそ主たる俺の使命だ!」
「アビス様……! なんと慈悲深きお方……この私たちのことを心配してくださっているのですわね」
「アビス様……私はアビス様に見捨てられないようにもっと強くなります……!」
「アビス様かっこいい……」
「うむ!」
よし、なんとかメイド三人衆を騙せたみたいだし、このまま敵に接近するふりして大浴場に向かおうか。
◇
「うひょー! 気持ちぃ!」
石けんを含んだタオルで体をゴシゴシしたあと、湯桶で頭からお湯を被る。
すると、全身が歓喜に震えていた。
これぞ『黒幕が大衆浴場を楽しむ』作戦なのだ!
我ながらよく出来たと思う。
周りからしたらいかにも庶民みたいに見えるのだろう。
だが、それは世間を欺くための演技。
ほんとの俺はこの国を裏で支配している黒幕。
ここを貸し切れるだけの金を持っているのだ。
ふふっ、気持ちいい……気持ちいいぞ!!
これぞ「料理長を呼べ!!」にふさわしいデザートだ!
「パパ、頭洗って!」
「はいよ」
おっと、隣に人がいるの忘れていた。
今のアヘ顔を見られていないといいのだが。
さて、俺もそろそろ頭を洗おうか。
子供に遅れを取っちゃいけないしね。
ユメシス印のシャンプーを手につけて―――頭をガシャガシャする!
うわー! これぞ庶民!
黒幕なのに、庶民らしい雑な洗い方を俺はやってやったぞ!!
ここで、すかさずお湯で流す!
「うひょー! 気持ちぃ!」
「パパ、この人さっきからうるさいよ」
「しーッ! あっ、すみません、子供の戯言なんで」
隣に座っている男性が申し訳なさそうに言ってくる。
これだ!!
これを待っていた!!
俺の正体を知っている人なら土下座で命乞いしているところを、今はただの謝罪で終わった!!
ふふっ、黒幕は正体を隠すのも仕事だからね。
◇
「ふはぁー、生き返るぅ」
体を洗い終わって、大きめの湯船に浸かってみる。
すると、全身の血液が歓喜の悲鳴を上げていた。
その矛盾に包まれた表現こそ、俺の気持ちをよく表している。
うーん、そろそろかな。
今隣に人がいないし……。
よし、言うぞ?
「ふふっ……誰もこの国の真の支配者が大浴場で寛いでいるなんて思わないだろう」
やばっ、鼻血出る……。
ここは我慢だ。
せっかくのお湯を汚してしまう。
耐えるんだ!! 俺!!
誰もこの国の真の支配者の本当の敵が鼻血だとは思わない。
すべての事件の裏にある黒幕が毎日鼻血と戦っているなんて誰も思わないだろう。
「このホテルはジャックしたぁッ!! こいつらは人質として連れていくッ!!」
「「「きゃーッ!!」」」
外が騒々しいな。
もっとのんびりさせてくれてもよくないか。
あれ?
今ホテルジャックって言わなかった?
「うひょーッ!!」
ホテルジャックだと!?
なんだそのテンションが激上げのイベント!
ここがユメシスグループのホテルだと知った上でジャックしたのか。
しかもそのオーナーであるメフェシア王国の真の支配者がいるとも知らずに……。
やばい、興奮してきた……。
これならやりたかったあれが出来る。
ホテルジャック犯を制圧した後、全員の前で正体を告げて、あいつらの恐怖に歪む顔を見てみたい!
そのためにも、全員生け捕りにして、「なんだッ!? こいつめっちゃくちゃ強いぞッ!!」と言わせておく必要がある。
ほんとに、国王に感謝しなければね。
今回の旅行は中々楽しいものになりそうだ。
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