第一章:魔性の娘

第1話:幼馴染の義務


  小さな背中が、一年一組の教室にすいこまれていった。


 大きな金色の瞳をうるませて何度もこちらを振り返りながら、いやいや教室に入っていくその姿を見送り、日高ひだか直輝なおきはようやく自分に大きなため息をつくことを許した。


 ききわけの悪い一年生を教室に送り届けるという使命を終えた直輝は、六年生の教室のある校舎へ移動する。そして、いつものようにおはよう、とクラスメイト達に声をかけながら、自分の席についた。すると仲の良い少年達が直輝の席に集まってくる。直輝はクラスで一番頭が良く、運動もできた。しかしそれを一切鼻にかけない朗らかさからなのか、学校にいけば、いつも友達達に周りを囲まれていた。


「はよ、日高。なぁ、見たぜ~? 今朝も大変だったみたいだな。俺、感心するよ。俺だったらあんなの妹じゃなかったとしても『うるせぇ!!』って遠慮なく怒鳴ってるかも」


 つい先ほどの昇降口での一幕を言っているのだろう。同じマンションに住んでいる、氷上ひがみりつの学校にいきたくない病は、最近とくにひどい。


 直輝の住んでいるマンションは、直輝の父の勤務先が一棟まるごと所有している社宅で、律の父親と直輝の父親は同じ会社の社員ということになる。


 ただ、氷上は三年前に次期役員候補として移動してきたエリートで、事業部長という肩書であるらしい。ただの係長である直輝の父親との接点は何もない。


 直輝は氷上が引っ越してきた当日に、迷子になった律をたまたま見つけたという経緯から、氷上家と親しくさせてもらっていた。


 律の父親である氷上は、こんな日本の片隅にいるのが不思議なくらいの美貌の男だった。半分はドイツ人の血をひいているらしく、痩せているのに骨格が太いせいかたくましく見え、背も高くて、初めて会った時はあまりにも際立つ存在感に直輝も唖然としたものだ。


 だが容姿よりも、まだ小学生の直輝を子供ではなく一人の人間として対等に扱ってくれるところが格好いいと、好感を持った。彼の頼みならば答えてやりたいという気になるのだ。


 しかし氷上の頼みは、娘の律のことに限られた。


 早くに妻を亡くした氷上は、父娘の二人暮らしだ。律が小学校に上がるまでも、よく遊んでやっていたのだが、律が小学校に上がると、その送り迎えは直輝の役目となった。


「まぁね。俺もちょっと疲れたけど、律は俺の妹みたいなものだから。学校に行きたくないのは誰でもあることだし、連れてくるのは俺の義務みたいなものさ」


 氷上曰く夏休みは直輝が比較的毎日一緒に遊んでやっていたせいかそれに慣れ、学校に行ってしまうとどうしても直輝と離ればなれになってしまうのでそれが嫌らしい。駄々をこねられて迷惑なのに、理由が愛らしくて心から憎めないことに、だが最近の直輝はほんの少し苛立ちを覚え始めていた。


 クラスメイト達に、すらすらと口をついて出てくるのは優等生の答え。だが、それに異を唱えるかのように輪の中にいた一人の少年が「でもさぁ」と意味ありげに口を出してきた。


「日高もあんだけつきまとわれてもまんざらじゃなさそうじゃん? 妹みたいって言っても本当に妹なわけじゃないしさ。でも相手は一年のガキだぜ? なんつーんだっけ、そういうの。ロリコン?」


 からかうように言われた瞬間、直輝は頭の奥がカーっと熱くなった。そして気がつけば立ち上がって、からかってきた少年を見下ろしていた。


 急に立ち上がった直輝に、怒りのオーラを感じ取ったのか、周りの生徒たちに緊張が走る。いつもは温和な直輝の剣呑さに、直輝をからかった少年は青ざめた。


「お、おおおい直輝? 立木も、ほらしょうもない冗談とばしてんじゃねぇよ。直輝も好きであの子の面倒みてるわけじゃねぇもんな? まぁでもあの子人形みたいで可愛いし、絶対将来はすっげー美人になるだろうけどさぁ、今はなついててもそのうちどうなるかわかんないぜ? 女は気まぐれすぎてまったくわかんないもんだってとーちゃんが言ってたもん」


 直輝が普段遊んでいる中でも一番仲の良い村瀬が、張り詰めた空気をとりなすように言った。直輝は彼のおちゃらけたフォローをありがたく思い、軽く目配せすると再び席につく。


「まぁなつかなくなったらそれはそれでいいよ。俺だってあんなに年下の子供、一生そういう対象にはならないよ」


 そう答えるのが普通だし、直輝も心からその通りだと思う。ただ、なんだか胸がもやもやするだけで。


「だな。俺らが一年のガキを好きですーとか、犯罪にはならねぇけど、ぜったい頭がおかしいよな」


 村瀬の言葉は当然納得できるものだ。あと半年で中学生になる直輝達と、まだ一年生になって半年の少女とでは、感覚的には十歳以上の年の隔たりがあるように感じられるものだ。


 頭がおかしい。彼の言葉に同意するようにうなずく自分の胸に、どうしてそんなに深くその言葉が刺さるのか。


 本当は答えがわかりかけている。しかし直輝にできることは、ただそれほどまでに年の離れた子供の相手をすることが鬱陶しいと思うようになってきただけのことだと、複雑な気持ちをただ相手への苛立ちへ変換することだけだった。



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