第5話

 八月も終わろうかという頃に“獏屋”の扉を開けたのは、野球帽をかぶった少年だった。

「妹にね、海を見せてあげたいんだ」

 子供と呼べる年齢の客を店長は苦手としているようで、無言で店の奥へと下がってしまう。こういうためのバイトではあるが、私が休みのときなんか、どうしているんだろう?

 夏休みの小学生のテンプレみたいに真っ黒に日焼けした男の子は、デフォルメされたウサギの描かれたポチ袋を両手で握りしめている。

「こないだ行ったんだけど、妹は来れなかったから。写真だけだと『いきたかった』って泣いちゃったの。でも、ちゃんと僕、夢で見たんだ。だから、あげれるんでしょ?」

 説明は拙いながらも、この店で売買される品のことはわかっているようだ。私はしゃがみ込んで、彼と目線を合わせる。

「夢をあげちゃうと、もう見れなくなるけど、大丈夫ですか?」

「うん、カヅキ先生からね、ユウくんの思い出はなくならないから、大丈夫だよって教えてもらったんだ。それに、僕はお兄ちゃんだから、ひーちゃんによろこんでもらわなきゃなんだ」

 少年の名はユウくん(ユウスケくん?それともユウタとか?)で、その妹は“ひーちゃん”、この店を教えたらしいカヅキ先生とやらは学校の教員だろうか。

 店員相手とはいえ、次々と個人情報を披露してくれる少年の様子を、お節介ながら心配に思う。

「ひーちゃんのために夢を買うなら、お金がいるでしょ。僕、ちゃんとお年玉をとっておいてるんだよ」

 差し出されたポチ袋を受け取ると、彼は「中も見てみて」と弾んだ声で言う。口を開け、ひっくり返すと五百円玉が三枚、転がり落ちてきた。

「じゃあ、それ、一枚分をいただきましょうか」

 いつの間に近づいてきたのか、私の横に立った店長が、私の手のひらから硬貨を一枚つまみ取る。

「あなたの夢の買取額が千五百円、妹さんにお売りする金額は二千円、その差額分をいただきます」

 伝えるべき内容だけを淡々と述べると、店長はすぐに背中を向ける。ユウくんと名乗る少年は、黒づくめの後ろ姿に「ありがとうございます」と叫んだ。


 次に少年が店を訪れたのは、十月初旬だ。私と目が合うなり駆け寄ってきて、ぺこりと頭を下げる。

「こないだの海ね、妹がすっごくよろこんでた。ありがとうございます。それでね、カヅキ先生から聞いたんだけど、他の夢もあげられるって」

 Tシャツの上に羽織った上着の裾を、ぱたぱたと広げながら、ユウくんはそう口にした。

「ひーちゃんはお母さんにあったことないし、ずっと入院してるから、もっとプレゼントをあげたいんだ。お年玉はまだ二枚のこってるから、あと二つ。何がいいかな?」

 何気なく発せられた言葉の意味を読み切りたくなってしまうのは、私の癖だ。それで、つい尋ねてしまう。

「カヅキ先生っていうのは、もしかして病院の先生?」

「うん、妹のお医者さんで、すっごく怖い顔してる。けど、お話はいっぱいしてくれるんだって。ここもね、さいしょはひーちゃんが、カヅキ先生から聞いたんだよ」

 少年がまるで友だちを自慢するみたいな話し方をするものだから、えらいねとも大変だねとも言えず、私はただ頭をなでる。

「五百円硬貨二枚なら、四つまで夢を移しかえますよ。常連さんですからね」

 レジ前からわざわざ寄ってきた店長がこんなことを言ったのも、きっと同じような気持ちだったのだろう。


 動物園、小学校の運動会、スケート。

 ユウくんが夢を通じて、妹を案内するうちに、秋は過ぎていった。出勤までに嫌というほどクリスマスソングを耳にする時期が、今年もやってきた。

 最後の夢を何にするか迷う様子をたびたび見せていた少年は、それでも決意を決めたようで、店へと飛び込んできた。

「あの、今日は、僕のお母さんの夢を、お願いします」

 紺色の毛糸の帽子をかぶったユウくんは、頬を真っ赤にして、そう述べる。

「お母さんの夢、みられなくなっちゃうのに……」

 子供とはいえ客の選択に口を挟むのは野暮だ。それでも、確認せずにはいられなかった。少年はううんと首を振る。

「もうすぐクリスマスだから。とっておきをプレゼントしなきゃ。それに、僕はお母さんに会ったことあるもん」

 止める言葉を重ねて口にして良いものか迷ううちに、店主がレジでの操作を終えてしまう。

「それでは、妹さんに良い夢と目覚めを」


 それっきり、彼と会うことはないかと思っていた。けれども、真新しいジャンパーを着たユウくんがクリスマスの朝早くに店にやってきたのだった。

「あのね、夢はあげちゃったけど、また見たんだ。今度のは、お母さんとお父さんとひーちゃんと一緒に遊ぶ夢!ひーちゃんも見たんだって!

 まだお店に来てないのにへんだねって聞いたら、カヅキ先生が『本当にお母さんが来てくれたのかもよ』だって。そんなことあるのかな?」

 私はまた頭をなでることしか浮かばなかった。

 店長はというと、手袋をした両手を振りまわす少年から距離をとりながらも、こう述べた。

「もしかしたら、ユウくんがいい子だったのでもらえた、サンタさんからのプレゼントかもしれませんよ」

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