第3話

 意識を取り戻してすぐに仰向けになった自分を認識する。寝室のベッドの上。タオルケットを足先から首元までかけていた。身体の真横に置いた両腕は指先までピンと伸びていて寝心地が悪そうな姿勢だと思う。

 脚も腰も腕も丸めて縮こまってしまいたかったが、肩を腹を腿を押さえ込まれているみたいに動かすことができない。首を回すことにも、手を握ることにも、それどころか、瞼を閉じることにすら、ひどく抵抗を感じる。

 視線は天井から動かせないのに、足元に女が立っているのがわかる。

 真っ白な着物をだらしなく着付けた彼女は、両手をだらりと下げ、俯き加減にこちらを窺う。背を覆うほどの黒髪は十分に櫛が通されていなく、陰鬱な印象を強めている。前髪に覆われて目元は見えないが、赤く塗られた唇の端から、つうっと血が伝った。赤黒いそれが顎の先から離れ、落ちていく。ぽたり、ぽたり、と一定の間隔で床を濡らすのに合わせて、女が一歩、また一歩と、近づいてきた。

 ベッドまで辿り着いてしまうと、今度は膝でにじり寄るように身体を前に進めてくる。足首に、脹脛に、女の重さが伸し掛かった。顔を突き出すような所作とともに、両の手が持ち上がる。長く伸びた爪の裏側には、何かを毟り取ったかのように褐色の塊が詰まっていた。

 女はもう、ベッドの真ん中辺りまで来ている。瞬きができず、瞳が乾燥して痛い。下から覗き込むような位置に来たためか、女の眼窩がぽっかりと開いていることに気づいてしまう。あと少しでも寄られたら、肌の出ている箇所に触れられる。眼球を抉り出されるのかもしれない。


 それだけは駄目だと思ったところで、上体が動いた。半身を起こして部屋を見渡すが、女など何処にもいない。シーツに触れると、汗でじっとりと湿っていた。


「っていう内容なんですが、買い取っていただけるんですか?」

 沙優がそう尋ねると、着流し姿の店主は帳面を手に頷いた。

「精度の高い悪夢は愛好者がおられますからね。良い値段で取引させていただいておりますよ」

 頁を捲っていた店主は、不意に手を止め、珍しく眉を顰めてみせる。

「けれども、お客様のご覧になられたのは“夢”ではないようですので……大変申し訳ないのですが、当店で取り扱うことは致しかねますね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る