第2章 生きねばならぬ 其の5

 地球立狂人病研究所ちきゅうりつきょうじんびょうけんきゅうじょには全ての支部に【ラボ】と呼ばれる施設がある。

 そこではバーサーカーの遺体のいわゆる【司法解剖】が行われている。

 ただ、昔のように遺体にメスを入れて文字通りの解剖をするわけではなく、200年ほど前に開発された【X線メス】という道具……というか、遺体をカプセルに入れ、さらに外からそのメスを操作する大きな機械で、遺体を損壊させず、しかも通常の解剖よりもはるかに高い精度で死因の究明を行えるようになった。

 しかし、そこまで高度な技術が発達していても、狂人病きょうきんびょうの死因が未だにわかっていない。

 いや、正確に言うと、狂人病きょうじんびょうの根源となる要因、たとえば病原体やウイルスといったものが全く発見されていない。

 当然、私も今までにかなりの件数の司法解剖を行ってきたが、見つけられていない。

「……しかも、子供は今までに全く前例がなかったと……。さすがに骨が折れそう……。」

 つい弱音を吐いてしまう。

「だけど、この子のため、未来のために……やらなきゃ。」

 狂人病きょうじんびょうに冒された人々は一切の例外なく無惨にも亡くなっていった。

 だけど、私たちは亡くなった人々の無念を背負って生きていかなければならない。

 ここで私が踏ん張らないと、フィンやストロ、そしてこの子や家族の気持ちはどうなてしまうのか。

「……よし、やってやりますか……!」

 私は覚悟決め、ハンガーに掛けてある黒いマントを手に取った。

 何かに集中したい時、私は必ずこのマントを羽織る。いわばお守りのようなものだ。

 静寂に包まれたラボの中に、マントが翻る音が響く。

 そして、私は作業用の椅子に腰かけ……

「司法解剖……開始!」

 機械の電源をオンにする。起動音とともに、カプセルの中の照明がともる。

 まずは頭から。1ミリのズレも生じぬしょう、慎重に、少しずつメスを入れていく。

「さすがに、今までとは勝手が違う……。」

 そう、子供を司法解剖することはこれが初めての経験。今までよりもさらに慎重に行わなければならない。

「次は胴体……。」

 肩から胸、胸から腹へとメスを入れ、そこから1センチほど右へずらし、再び肩から胸、胸から腹へ……気が遠くなる作業だ。

「……ここまでは特に異常なしか。」

 既にかなりの時間をかけ、頭と胴体の解剖を終えた。しかし、ここで休んでいる場合ではない。次は右腕だ。再び肩からメスを入れる。

「……右腕異常なし。」

 次に左腕、右脚、そして左脚……少しずつではあるが、着実に作業を進め……

「司法解剖……終了……。」

 ようやく私の仕事が終わった。フィンやストロの仕事が瞬間的に大きな集中力を要するものであれば、私の仕事は長時間の集中力を要するものだ。時刻という概念がなくなってしまった今、どれほどの時間が経過したのかもわからない。

 そして、その長時間の作業の結果であるが……

「……異常なし……か……。」

【異常なし】……その言葉の意味するところは、つまり【成果なし】である。

「……ごめんなさい。」

 私は遺体の入ったカプセルに向かって涙を流しながら謝罪の言葉を述べる。

 悔しい……いや、そんな言葉では足りない。

 ましてや今回は子供だ。亡くなったこの子の無念や、フィンとストロの現場での勇気を想うと、本当に自分が情けなくて……消えてなくなってしまいたくなる。

「こんなに長くやってきているのに……今まで全く成果を得られないなんて……。」

 大粒の涙が滝のように溢れ出て、止めたくても止められない。

 ……しかし、独白した言葉で私はある共通点に気付く。

「全て……異常なし……?」

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