第279話 デートです?(セレスティーヌ編)③
入口のカギを開ける方法は、閃いてしまえば簡単だった。
アレは元素記号だ。いわゆる、『スイヘイリーベ」というやつである。
中学校の授業で習うものだったが、レストは前世で血尿が出るほど高校受験を頑張っていたため、記憶に残っていた。
(『水兵』と『クラーク』の組み合わせで、すぐにわかったよ……ベリーにちょっとだけ悩んだけど、『ベリリウム』のことね)
幸い、元素記号は十九番目まで知っていれば答えられる問題だった。
おそらくではあるが……真田翔子もまた、語呂合わせを覚えていたのだろう。
別荘の時と同じように、日本人にしか解けない暗号として、この問題を作ったのだ。
(こうやって隙あらば問題を出してくるあたり、もしかすると翔子は謎解きゲームが好きだったのかもしれないな……もっと上手い問題は作れなかったのかよとも思うけど)
「この暗号の解読方法も昔、本で読んだんだよ……たぶん」
「……そうですか」
レストの適当な言い訳を聞いて、セレスティーヌが気のない返事をした。
絶対に信じていないのだろうが……それでも、あえて追及をしてこないあたり、本当に良くできた御令嬢だと思う。
(まったく……こんなに良い女はそういないぞ。ローデル、お前ってばマジで惜しいことをしたな)
今は亡き好敵手にぼやきながら、レストは屋敷の扉を開く。
玄関の扉を開くと、途端にホコリ臭さが鼻を突く。
どれだけの間、閉じられていたのだろう。数年ぶりに外気が屋敷の内部に流れ込む。
屋敷の内部はごく一般的な内装である。荒らされているとか、散らかっているとか、そういうことはない。
不自然なことがあるとすれば……玄関から奥の廊下まで、何枚もの額縁が等間隔で掛けられていることだ。
「これは……絵画でしょうか?」
「……そう、見えるな」
セレスティーヌの問いに、レストが首肯する。
額縁に入っているのは絵だった。油絵もあれば水彩画もある。色が付いていない線画もある。
いくつもの絵画が廊下に並べられていた。
「もしかして、絵画のコレクションをしていたのでしょうか? 名前のサインは……『サナダ・ショーコ』?」
「たぶん、王太后陛下が自分で描いたものじゃないかな……」
サインもそうだが、描かれている景色にも覚えがあった。
そこに描かれている景色は、いずれも日本の風景だ。以前、彼女の心象世界で目にした景色と重なる物が多い。
海や森などの自然を描いた絵もあるが、所々に道路標識や自動車、飛行機など、この世界には存在しない物が入り込んでいる。
「王太后陛下にそのような趣味があるとは、知りませんでした……この不思議な町並み、どこのものでしょう?」
「さあ……見たことがないし、空想のイメージを描いた物じゃないかな?」
セレスティーヌの言葉に答えながら、レストは壁に掛かっている絵画の一枚一枚を鑑賞していく。
王太后が……真田翔子がどうして、このような絵画を残したのか。
理由はおそらく、例の日記帳と同じだろう。
(自分がかつて、暮らした世界について……思い出や記憶を残しておきたかったんだろうな……)
翔子はレストと同じく転生者であったが、大きく異なる部分があった。
それは、前世で幸福な人生を歩んでいたということである。
前世、レストは毒親によって辛い生活を強いられていた。
ギャンブル好きで酒飲み、子供の学費に手を出す父親。そんな父親を見かねて、子供を捨てて逃げ出した母親。
友人と呼べる人間は何人かいたものの……どう贔屓目で見ても、恵まれているとは言えない生活だった。
対して、翔子は田舎の町で刺激のない生活をしており、都会に対して強い憧憬を持っていた。
だが、家族にも友人にも恵まれていたようで、決して、不幸な人間というわけではない。
むしろ、彼女にとっての災難は生まれ変わってからだ。
暴君に見初められて無理やり妃にされ、その際に家族を殺されている。
復讐のために二度目の人生を捧げた王太后にとって、前世の幸福な日々こそ、思い描く理想的な世界だったのかもしれない。
(だから、隠れて前世の景色を絵にしていたのか。時々、この屋敷にやってきては日本を描いた絵画を眺めて、懐郷の心を慰めていたんだろうな……)
故郷を同じくしている友人を思い、レストは少しだけしんみりとした気持ちになった。
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