第239話 温泉と新たなる婚約

「結婚って……え? 何で?」


 そんな話題が出たことは一度もなかったはず。

 セレスティーヌとは友人としてそれなりに親しく付き合っていたが、ユーリのように過度な接触はなかった。


「いや……国王陛下とかクロッカス公爵も同意しているってことは、これはいわゆる政略結婚的な……?」


「はい、その通りです」


 セレスティーヌが頷いた。

 そもそも、公爵令嬢という立場であるセレスティーヌが、好き嫌いという個人の感情で結婚相手を決めるわけがない。

 レストと婚約するというのならば、政治的な理由があって然るべきだ。


「レストさんはあまり自覚がないようですが……貴方の存在はこの国において、とても重大になりつつあります」


「それは……やっぱり、サブノック討伐が原因かな?」


「はい。サブノック討伐、それにローデル殿下を倒したこともです。貴方の魔術師としての圧倒的な実力は、もはや王家も無視できないものとなっているのです」


 百年以上も誰も倒せなかった魔獣サブノックを撃破して、ローデルを倒して内乱を終結させて。

 間違いなく、レストは次世代を担う重要な戦力。もはやローズマリー侯爵家の次期当主という地位以上の立場となっていた。


「あまり声を大にしては言えませんが……実のところ、我が国はいくつもの問題を抱えています」


 セレスティーヌが濡れた髪を直しながら、澄んだ声で説明する。


「ローデル殿下、アイガー侯爵という内憂は取り除かれたものの、外患は今もなお立ちふさがっています。北方にいる異民族は長年の宿敵。何年かごとに襲撃を仕掛けており、そう遠くない未来にまた攻めてくるのではないかと考えられています」


「異民族……亜人とか呼ばれている人達だよな?」


「はい、その通りです」


 レストが確認すると、セレスティーヌが首肯する。

 北方にいる異民族、あるいは蛮族などと呼ばれているのは『亜人』という人間と似て非なる種族。

 鬼人や翼人などいくつもの種族が棲んでおり、アイウッド王国やガイゼル帝国に攻め込んでくるのだ。


「共に異民族と戦っている盟友であるはずのガイゼル帝国もまた、近年では怪しい動きを見せています。主戦派の者達が勢いを増しており、穏健派を押しているとか」


「主戦派が主流になってしまったら、この国にも攻め込んでくるか……」


「はい。そのため、アイウッド王国では水面下で軍拡が進められているのです。レストさんはいずれ起こるであろう戦いの主戦力になると期待されているのです」


 レストは強い。

 宮廷魔術師であるアルバート・ローズマリー、その妻であるアイリーシュ・ローズマリー、騎士団長であるイルジャス・カトレイア。

 現時点においてレストよりも強い人間はいるかもしれないが、将来性を考えるとレストの方が上だろう。

 将来的に起こるかもしれない戦争のため、レストを王家につなぎ止めておこうというのは自然な流れである。


「現在、王家にはレストさんと年齢の合う王女はいません。王家の血縁者でレストさんともっとも釣り合っているのが私ということですね」


「だから、俺とセレスティーヌ嬢が……」


「はい。レストさんには王家の都合で振り回すようなことをしてしまい、申し訳ない限りなのですが……」


「いや……それは別に良いけど……」


 レストの視線が自然と降りていき、湯の中にある極上のプロポーションへと向けられる。

 結婚するということは……つまり、あの肉体を好きにできるということである。


(胸のサイズだけならわからないけど、肌のきめ細やかさとか腰の細さとかはヴィオラ達よりも……)


「レストさん?」


「い、いえ! すみませんっ!」


 思わず、謝ってしまった。

 婚約者がいるというのに、他の女性を邪な目で見てしまうなんて最低だ。


(い、いや……セレスティーヌ嬢も婚約者になるのなら、別に良いのか……?)


「あー、いやいや……むしろ、苦労するのはセレスティーヌ嬢なのでは?」


 レストは軽く首を横に振って、大事なことを訊ねる。


「セレスティーヌ嬢と俺が結婚するのを王家が望んでいるのはわかりましたけど、ヴィオラやプリムラとの婚約が破棄されるわけではないのでしょう? むしろ、二人も婚約者がいる男で良いんですか?」


「別に構いませんけど?」


「構わないって……」


「レストさんは優しくて思いやりもありますし、ローデル殿下に比べれば遥かにマシです」


「ローデル……」


 馬鹿王子のおかげで、男に対するハードルが著しく下がっていた。

 確かに、あのロクデナシに比べると複数の妻がいる男性でも、優良物件に見えることだろう。


「いずれ、王家から正式発表されるでしょうが……おそらく、私がレストさんの婚約者になるのは揺るがないと思います」


「…………そうか」


 色々と思うところがあるし、いまだに錯乱もしているのだが……ヴィオラとプリムラが了承しているのであれば、レストから言えることはない。


「すぐに『はい』とは答えられないけど……心の整理はしておくよ」


「そうしてください……もしも本気で嫌でしたら、言ってください。国王陛下を説得させていただきますので」


「…………」


 レストはセレスティーヌの顔を見て、そのまま身体に視線を落として、またしても視線を背けて赤面するのであった。

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