第238話 温泉と公爵令嬢

 露天風呂での入浴中に起こった不慮の事故。

 まさかの……それでいて、ある意味ではお約束ともいえる展開。

 セレスティーヌ・クロッカスと遭遇してしまった。


「ちょ……ここは男湯で……いや、もしかして俺が女湯に……!?」


「落ち着いてくださいませ、レストさん。この宿には露天風呂は一つしかありませんよ? 男女が共用で使っているとのことです」


「ええっ!? こ、混浴だとっ!?」


 まさか、そこまで男の夢を実現した露天風呂だったというのか。

 月が見えて星が見えて海が見えて女の子の裸まで見えるだなんて、あまりにも見え過ぎではないか。もうちょっと遠慮してくれありがとう。


「お、落ち着け……混乱しているぞ、落ち着け。落ち着くんだ……!」


 レストが思考を散乱させながら、バクバクと破裂しそうなほど高鳴っている心臓を抑えた。

 もしも、ここで現れたのがヴィオラやプリムラであったのならば、ここまで驚かなかっただろう。二人とはわりと日常的に入浴している。

 あるいは……ユーリであっても、ここまで混乱はしなかっただろう。あの奔放な少女が一緒に宿に泊まっていたら、露天風呂に乗り込んできたに違いない。


(だけど……まさか、セレスティーヌ嬢がやってくるだなんて……!)


 淑女の中の淑女であるセレスティーヌが男と一緒に風呂に入るなんて、想像だにしない。

 あるとすれば、肉親か結婚相手くらいのものだろう。


「い、いや……逆にセレスティーヌ嬢クラスになると、下賤の男に肌を見られても気にならないとか、そういう理屈か? 俺のことは動物と同じと認定しているのか……?」


「いえ……レストさんは普通に伯爵ですし、下賤などと思っていませんけど……?」


「口に出してた!」


 いつからだ。

 いつから、馬鹿なことを口に出していたというのだろう。

 レストは愕然としつつ、どうにか、心を落ち着けようと奮起する。


「えっと……もしかして、俺がいることに気がつかずに入ってきてしまったんですか? だったら、俺が出ていきますけど……?」


「いいえ、不慮の事故などではありません。レストさんとゆっくりと話がしたくて、入ってきたのです……そろそろ、お湯を分けていただいてもよろしいでしょうか?」


 セレスティーヌがブルリと肩を震わせる。

 寒空の下に立たせてしまったせいで、かなり体を冷やしてしまったようだ。


「あ……すまない! 入ってくれ!」


 レストが慌てて場所を空ける。

 もちろん、どくまでもなくスペースは十分過ぎるほどに空いていたのだが。


「それでは、失礼いたします」


 セレスティーヌが木桶を手に取って、バスタオルを巻いた身体にゆっくりと湯をかけた。

 ただ桶で湯を浴びるだけの仕草すらも洗練されており、レストとは改めて別世界で生まれ育った人間であるとわかる。


(何というか……本当に綺麗だな。いや、容姿じゃなくて仕草がね?)


 ヴィオラとプリムラも礼儀作法は問題なくできているが、それでもセレスティーヌほどには洗練されていない。

 侯爵家と公爵家。どちらも国を支える上位貴族であったが、その差は決して小さくはないようだ。


「……あまり見つめられると照れてしまいますわ」


「わっ! ごめんっ!」


 セレスティーヌが困ったように言って、レストは慌てて顔を背けた。

 湯を浴びたセレスティーヌはタオルが身体に貼りついて、豊満なスタイルが浮き彫りになっている。

 そんな彼女の姿を目に焼けつけるように見つめてしまった。流石に無礼にもほどがある行動である。


「失礼いたします……」


 セレスティーヌがつま先からゆっくりと湯に入ってくる。

 レストから少し離れた場所に腰を下ろし、深く細い溜息を吐いた。


「温泉は久しぶりですわ。まさか、こんなところで入れるだなんて」


「……温泉に入ったことがあるんだな」


「はい。王国南部の視察中に何度か」


 アイウッド王国南部は山脈が連なっており、温泉も多いそうだ。

 レストは行ったことはないが……いつか、ヴィオラ達と一緒に旅行したいものである。


「えっと……俺に話があるんだったっけ? 何のことかな?」


 レストは気まずい空気に耐えながら、本題に入る。

 さっきから頭が沸騰しそうなのは、温泉の熱のせいか、目の前の半裸の美女のせいか。


「はい……本日はレストさんにお話したいことがあります」


 セレスティーヌがレストを真っすぐに見つめて、話を切り出す。


「事前に断っておきますが……今から話す内容は国王陛下と王太子殿下、ローズマリー侯爵、我が父であるクロッカス公爵、そしてヴィオラさんとプリムラさんにも許諾を得ている内容です」


「…………?」


 ローズマリー侯爵と姉妹はすでに聞いているということか。

 国王や王太子にまで話を通しているなど、よほど重大な話なのか。


(いや……そんな重大な話を風呂場でするの? それはそれでおかしくない?)


「レストさん」


「はい……」


「貴方には私と結婚していただくことになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします……」


「……はい?」


 セレスティーヌの口から飛び出した言葉に、レストはパチクリと瞬きを繰り返す。

 聞き間違いかと思ったが……すぐに、ダメ押しが入れられる。


「私とレストさんは結婚することになりました。これからは婚約者になりますので、改めてよろしくお願いいたします」


「はいいっ!?」

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