第237話 温泉と不慮の事故

 和風の食事に舌鼓を打ったら、次は温泉である。

 室内風呂もあるようだが……ここはやはり、露天風呂を堪能させていただきたい。

 脱衣所で服を脱いで、タオルで下を隠しながら露天風呂に繋がっている扉をくぐる。


「オオッ……すごい和風だ……!」


 外に出た途端、ヒンヤリと冷たい空気が襲ってくる。

 だが……それ以上に心を震わせてきたのは、和テイストの露天風呂の光景である。

 ブワリと立ち昇る白い湯気。浴槽の周りは石で囲まれており、十人以上が入ってもまだ余裕があるほどに大きい。

 その露天風呂は明らかに日本を意識していると思われるデザインで、ある種の感動がレストの胸に湧き上がってくる。


 この露天風呂には王太后……サナダ・ショーコが日常的に訪れており、湯を楽しんでいたとのこと。

 旅館を建てるにあたって、露天風呂は特にこだわりを口にしていたと、旅館の従業員が話していた。


「これも翔子のデザインか……やっぱり、日本を再現しようとしてたんだな……」


 やはり、日本が恋しかったのだろう。

 せめて、晩年を故郷の風景に似た場所で過ごしたかったのか。

 ちょっとだけ、しんみりとした気持ちになりながら……レストは檜の木桶で湯を掬って、身体を流す。


「オオッ……寒いから湯が熱い……」


 ローズマリー侯爵家にも浴室はあったが、流石に露天風呂はなかった。

 こうして外気に触れながら湯に入るのは独特の感覚である。


「クウッ……熱いが、効くう……!」


 レストが足からゆっくりと浴槽に入る。

 浴槽の奥ではボコボコと泡が上がっており、あそこから天然の温泉が湧き出ているのだとわかった。


「源泉かけ流しの天然温泉を貸し切りか……すごい、贅沢だな……!」


 熱に耐えて湯船に浸かっていると……やがて、熱さにも慣れてきた。

 冷たい外気が気にならなくなり、代わりに心地好さが身体を芯まで満たしていく。


 この温泉は普段は村人にも開放されているとのことだが、今日は貴族が泊まりに来ているということで貸し切りになっていた。

 村人には申し訳ないが……その分、大量の宿泊費用をセレスティーヌが払ってくれている。

 むしろ、村が潤うと従業員がホクホク顔になっていた。


「空には月と星。そして……視線の先には海の景色。本当に贅沢な場所だよな」


 レストが湯の中で寛ぎながら、まったりとつぶやく。

 夜空には雲一つなく、煌々と月が照っている。

 無数の星々が瞬いている光景は、電気の明かりに支配された日本の夜ではまず見られないものだった。

 露天風呂の周りは木の柵によって覆われているものの、一部分だけは柵があえて作られていない。柵のない場所はなだらかな崖になっており、向こう側に海が見えるようになっているのだ。


「アッチは西側か……もっと早く、入れば良かったな……」


 レストが残念そうに溜息を吐く。

 夕食の前に入浴していれば、ここから美しい西日を眺めることができただろう。

 海に日が沈むところを見ながら露天風呂に浸かるなど、最高の贅沢ではないか。


「うーん……もう二、三日滞在しても良いかもな。セレスティーヌ嬢は王都に帰るだろうけど、俺はもうちょっとだけ泊まって……」


「あら……それでしたら、私もお付き合いいたしますよ?」


「ああ、付き合ってくれるのか。それはそれは…………うん?」


 独り言に自然と割って入ってきた言葉に、レストは思わず答えかけて……異変に気がついた。


「は……?」


 入浴でリラックスしていたせいで、【気配察知】の魔法が切れていた。

 振り返ると……そこには、この場にいないはずの、射手はいけないはずの女性の姿があった。


「御一緒してもよろしいでしょうか。レストさん?」


「ブオッ!?」


 そこにいたのはセレスティーヌ・クロッカス。

 筆頭貴族であるクロッカス公爵家の令嬢。淑女の中の淑女。

 この国でもっとも尊い血筋を継いだ女性が裸にタオルを巻きつけた格好で立っていたのである。

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