第236話 友に感謝を

 別荘から出たレストであったが、そのまますぐ王都に帰宅することはなかった。

 もう日暮れの時間になっており、今から帰宅するのも憚られたのだ。

 そこで……近くの村にあった宿屋に宿泊していくことにした。


「それにしても……立派な宿屋だな。村と不釣り合い過ぎるだろ……」


 その宿屋は村の規模から見ると、かなり大きい物だった。

 建物は二階建て。部屋数は二十以上。どう考えても、観光地でもない小さな漁村には不相応である。


「村の皆さん、そうおっしゃっていますよ。この村にこんな大きな宿は必要ないとね」


 レストの疑問に答えたのは、部屋まで案内してくれた宿屋の女将である。

 ちなみに……当然であるが、この部屋にセレスティーヌはいない。

 彼女は女性の従者と一緒に別の部屋に泊まっている。


(これまでのパターンからして、もしかすると同室かもと思ったんだけど……ユーリ達に毒されまくっているな……)


「こちらの宿屋はサナダ夫人が建ててくださったものなんですよ。向こう数十年分の維持費まで支払ってくれています。まあ、たまにくる行商人くらいしか利用しませんから、普段は村役場として使っているんですけど」


「サナダ夫人……」


 翔子の……王太后のことである。

 彼女が何らかの意図をもって、わざわざ私財を投じて旅館を作ったらしい。


「夫人も生前はよくいらしてくれたんですよ。この宿屋にある温泉を楽しんでくれました」


「温泉? 温泉があるんですか?」


「ええ、ございますよ。露天風呂があって、村の人間も利用しています。今夜はお客様の貸し切りですから、遠慮なくご利用ください」


「…………!」


 レストは思わず息を呑んだ。

 温泉。露天風呂。それは日本人にとっては誰しも愛してやまないものである。


(俺は家族旅行とか行ったことないから、一度か二度しか入ったことはないけど……やっぱり、日本人は温泉だよな!)


 王太后がこの村に宿屋を建てた意図がわかった。

 彼女もまた温泉を楽しむために、ここに不必要なほど立派な宿屋を建設したのである。


(彼女もやはり日本人ということか……もしかすると、翔子が住んでたっていう田舎町にも温泉があったのかもしれないな……)


 日本はどこにだって温泉がある国だ。不思議はない。

 それに比べて、アイウッド王国には温泉はあまりなかった。

 代わりに地震もないのだが……やはり、日本人としては思う部分がある。


「食事を運んでまいりますので、お済みになったら入浴されては如何ですか?」


「そうさせてもらうよ……ちなみに、夕食は何かな?」


「村の名物の魚料理をお持ちいたします。すぐに用意しますね」


 女将はニッコリと笑顔を残して、部屋から出ていった。

 部屋に一人で残されたレストは「フウッ……」と溜息をついてから、ベッドに座った。


「温泉旅館か……だったら、畳の部屋の方が雰囲気が出るんだけどな」


 部屋は普通の洋間である。

 ベッドがあり、テーブルがあり、椅子だってあった。

 和室の方が温泉旅館としての雰囲気が出て良いと思うのだが……おそらく、畳の材料となるイグサがこの国では手に入らないからだろう。


(そのあたり、翔子としても苦々しいところだったんだろうな……たぶん)


 一度、会って話したおかげで、王太后に対して不思議な親しみを感じていた。

 ガスコインを例外として、この世界で初めて会った日本人だ。

 海外での長期滞在中に同郷の人間と会ったら、こんな気持ちになるのかもしれない。


「お待たせいたしました。こちら、お食事になります」


「お刺身だ……!」


 レストは思わず喝采の声を上げた。

 夕食のメインメニューは刺身だったのだ。


「こちらもサナダ夫人が好んで食べた料理で、『サシーミ』といいます。外から来た方は生魚を食することに抵抗があるので、御不快でしたら別の料理を……」


「それで! その料理をください……!」


「あ、はい……」


「いただきます……!」


 若干、引いた様子の女将がテーブルに料理を並べてくれる。

 レストはすぐさま、刺身を食べる。


「美味い……!」


 それは鯛と風味が似た魚だった。

 醤油が無いため、塩味のタレを付けた食べ方というのが不満だったが……それでも、懐かしい故郷の料理である。普通に美味かった。


「米が欲しくなるなあ……どうして、パンなんだ……」


「おや? サナダ夫人も同じことを仰っていましたよ?」


「そうだろうね……!」


 日本人であれば、誰もが思うことだろう。

 刺身が食べたい。米が欲しい。醤油と味噌をくれ……。

 きっと、王太后もまたそんな葛藤を抱えながら、少しでも日本での生活を再現しようとしてここで暮らしていたのだろう。


「こちら、魚の塩焼きと魚粉のスープになります。どうぞお召し上がりください」


「いただきます」


 他の料理も不完全ではあったが、どこか日本を思わせる味付けだった。

 レストは真田翔子という一人の友人に感謝しながら、夕食を堪能したのである。

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