第227話 海へ行きます
西から冷えた海風が吹き抜け、潮の香りを残して吹き抜けていく。
遠くから聞こえてくる潮騒の音色が耳朶をくすぐり、頭上では海鳥が飛んでいる。
「海だ……!」
丘の上からどこまでも広がっている海を見下ろし、レストは簡単の声を漏らした。
青い、そして大きい。
レストにとって、生まれて初めてとなる海である。
「こんなに大きいんだね……驚いたよ」
「そうでしょう? 私も初めて見た時はとても驚きましたわ」
レストの言葉に応えるのはセレスティーヌ・クロッカス公爵令嬢である。
セレスティーヌは薄紫色のドレスの上に毛皮の上着をまとっており、首にはモコモコのマフラーを巻いている。
「夏場には、浜辺で水遊びをしたり泳いだりする方もいらっしゃるそうですわ。まあ、貴族は泳ぎを嗜まない方が多いですけど」
「惜しいな……もう冬なのが悔やまれるよ。俺もできるのなら、水遊びというのがしてみたかった……」
レストが悔しそうに言う。
前世では海無し県民の生まれであり、両親も海水浴に連れて行ってくれるような甲斐性がなかったため、海を見たことがなかった。
中学の修学旅行は沖縄だったのだが……貧しくて旅費を払うことができず、泣く泣く断念したのは辛い思い出である。
転生して、ようやく海を見ることが叶った。喜びもひとしおである。
レストとセレスティーヌは現在、アイウッド王国西部にある臨海地域を訪れていた。
目的は婚約者を出し抜いての浮気旅行…………などでは、もちろんない。
この場所にやってきた目的は王太后であるフレデリカ・アイウッドが晩年を過ごしたという別荘を訪れるためだ。
ローデルの遺産を継承したことにより、その別荘もまたレストの物になっているのだが……気になることがあり、自分の目で確かめるためにやってきたのである。
(確実ではない……むしろ、的外れの可能性も高い。だけど……もしも俺の予想が正しければ、王太后は俺と同じ転生者だ。そして、その別荘にはそのことを裏打ちする証拠があるかもしれない……)
遺産整理を任せていたセレスティーヌから、報告を受けたことだが……この別荘地の周りでは、王太后は偽名を使っていたらしい。
その偽名が完全な和名であり、それが彼女が転生者であるという状況証拠になっていた。
賢人議会のレオナルド・ガスコインとの邂逅により、他にも転生者がいるということはわかっている。
王太后が予想通り、転生者であるならば、できるだけ情報収集をしておきたかった。
「それにしても……本当に良かったのかい、案内までしてもらって?」
「ええ、構いませんわ」
レストが海に背を向けて、セレスティーヌに問いかける。
セレスティーヌは淑女を絵に描いたような穏やかな笑顔で頷いた。
少し離れた場所では、セレスティーヌの護衛と執事がいて、会話の邪魔にならないように控えている。
「私も王太后陛下の遺産については気になっていましたし、最近は仕事ばかりで息抜きがしたかったのです。行楽シーズンではありませんけど……束の間の旅行を楽しませていただきたいと思います」
「そうか……そう言ってくれると、助かるよ」
ちなみに……ここに来ているのはレストとセレスティーヌ、そしてクロッカス公爵家の兵士や従者だけである。
レストの婚約者であるヴィオラとプリムラはここにはいない。
二人はレストに代わって、諸々の雑事を引き受けてくれていた。
魔境であるサブノック平原の開拓。
その初期段階である魔物の掃討と結界の構築は完了した。
しかし、むしろ開拓の本番はここからである。
ここから、本格的な開拓の始まり。街道の整備と町の建造を行わなくてはいけないのだから。
レストが治めることになるクローバー伯爵領。最初の町の建設予定地はすでに決まっている。
義父であり、貴族としての寄親でもあるローズマリー侯爵が良い場所を選んでくれた。
すでに物資の搬送などの手配もしてくれているらしく……ローズマリー姉妹はそれらの雑事を代わりに引き受けてくれたのだ。
『まあ、夫の仕事を代行するのも妻の仕事よね』
『お役に立てて、とても嬉しいです……』
ヴィオラとプリムラには本当に世話になっている。
必ず、この埋め合わせはしようとレストは心に決めた。
「それでは、レストさん。王太后陛下の別荘に案内いたします。私について来てください」
「ああ、よろしく頼む」
レストは名残惜しそうにもう一度、海に目を向けた。
(この辺りは俺の土地になるわけだし……夏になったら、二人を連れて避暑に来るのも悪くないな……)
そんなことを考えてから、セレスティーヌの後を追って丘を歩いていくのであった。
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