第226話 第二次カトレイア侯爵家の乱②
「クッ……!」
振るわれた拳をカトレイア侯爵が慌てて回避する。
迷いのない鋭い拳だった。本気で父親を殴るつもりだったとわかってしまう。
「待て! ユーリ!」
「待たない!」
「グウッ……!」
ユーリが反対の手でカトレイア侯爵の脇腹を殴る。
ユーリの拳は小さく、体重も軽かったが……その拳は体格から考えられないほどに重くて鋭い。
(これが鬼人病か……!)
カトレイア侯爵が強靭な意思とフィジカルによって、その一撃を耐える。
並の戦士や武術家であれば、あの一撃で意識を持っていかれたに違いない。
「どうした、父上? そのまま無抵抗でやられるつもりか?」
「この……!」
カトレイア侯爵の闘争本能に火が付いた。
ここまで言われて何もしなければ、父親としても戦士としても面目が丸つぶれである。
(殺さないまでも、しばらく身動きができない身体になってもらう……!)
「フンヌッ!」
カトレイア侯爵がユーリの身体に向けてボディブローを放った。
ユーリは咄嗟に両手を構えて、その一撃を受け止める。
「ムッ……!」
しかし、痛烈な打撃を受け止めきれることができず、後方に吹き飛ばされてしまう。
墓地にあった墓石の一つに背中から叩きつけられる。
「さすがは王国最強と呼ばれている武人だ……すさまじい一撃だ」
「ユーリ……いい加減にしなさい!」
「ここで拳を引く理由はないだろう。私はまだやられていないぞ」
ユーリが両手をプラプラと振る。
カトレイア侯爵の打撃を受けたにもかかわらず、そこにはアザもできていない。
頑強な肉体である。純粋な肉体強度だけを比べたら、カトレイア侯爵を上回っているかもしれない。
「鬼人か……本当に厄介極まりないな……」
カトレイア侯爵は大きく深呼吸をして、改めて、娘を無傷で捕らえることができないと悟った。
鬼人と呼ばれる亜人種族が存在する。
彼らは魔法を使うことができない代わりに、人間をはるかに超えた身体能力を持っていた。
アイウッド王国の北方にある森林に棲んでいる彼らと、カトレイア侯爵は何度となく戦っている。
その厄介さは嫌というほど思い知っていた。
「行くぞ! 父上!」
ユーリが地面を蹴って、カトレイア侯爵に飛びかかる。
左右の手から繰り出される拳。拳。拳。
雨のような打撃がカトレイア侯爵に浴びせられた。
「ヌウ……!」
カトレイア侯爵が娘の拳を両腕で捌いていく。
最小限の動きで打撃を防ぎ、回避して……そして、カウンターの一撃を放つ。
「フンッ!」
「クッ……!」
浴びせられる無数の攻撃の合間を縫い、鋭い一撃が放たれる。
ユーリの腹部に父親の拳がめり込んだ。
先ほどよりもさらに強い勢いでユーリが吹き飛ばされ、地面を何度もバウンドしていく。
「オオオオオオオオオオオオッ!」
しかし、カトレイア侯爵は追撃の手を止めない。
これくらいで娘が止まらないことはわかっている。だからこそ、転がっていく娘を追いかけて、腕を掴む。
「ヌウン!」
「このっ……!」
ユーリが父親を殴ろうとするが、カトレイア侯爵は首を傾けてその一撃を回避した。
そして……そのまま、腕を引っ張ってユーリの身体を投げ飛ばす。
「うわあああああああああ……!」
投げ飛ばされたユーリの身体が、いくつもの墓石を薙ぎ倒していく。
やがてユーリが墓石の残骸に埋もれて、動かなくなった。
「…………ハア、ハア」
カトレイア侯爵が表情を歪めて立ちつくし……そして、娘に駆け寄る。
「ユーリ、大丈夫か!」
自分でやっておいて「大丈夫か」などと間抜けな発言だろうが、別に娘が憎くてやったわけではない。
カトレイア侯爵の愛情は歪んではいても本物だし、娘を心配する気持ちにも偽りはなかった。
「しっかりしろ! ユーリ……!」
墓石の残骸に埋もれているユーリを掘り起こそうとするが……直後、その残骸がカトレイア侯爵めがけて吹き飛んできた。
「エイッ!」
「ヌウッ!?」
カトレイア侯爵が飛んできた残骸を慌てて受け止める。
「隙ありだ!」
飛び出してきたユーリが頭から血を流しながら、右手の拳を引いた。
また、拳撃が来る……そう悟ったカトレイア侯爵が咄嗟に両手を構えて、防御しようとする。
「ヤアッ!」
「グフッ……!?」
しかし……待っていた衝撃は来なかった。
別方向からの一撃を受けて、カトレイア侯爵の身体が横に吹き飛んだ。
今度はカトレイア侯爵が転がる番だった。
いくつもの墓石を撥ね飛ばし、地面をバウンドしてから石畳の上に倒れる。
「なに、が……」
言いながら、カトレイア侯爵は脇腹にジンジンと痛みを感じていた。
「ああ、良かった……上手くいったようだな」
倒れている父親にユーリが歩み寄る。
美しく整った顔に浮かんでいるのは、悪戯が成功した子供のような笑みだった。
「失敗したらどうしようかと思ったぞ! 持つべきものは鍛え抜かれた健脚だな!」
「けんきゃく……脚?」
カトレイア侯爵はそこで自分が何をされたのか気がついた。
ユーリは拳を構えてパンチを繰り出してくるものと思わせて、フェイントで蹴りを放ってきたのだ。
思えば……この戦いが始まってから、ユーリは一度としてキックを使っていない。
カトレイア侯爵の意識を脚から逸らすための作戦だったのだろう。
「とっておきのキックだ。いくら父上といえども、もう立ち上がれまい! 約束通り、私は侯爵家から出るからな!」
「ま、待て……!」
「それじゃあ……行ってきます!」
ユーリが満面の笑顔で言って、倒れたカトレイア侯爵に向けてブンブンと手を振った。
「あ……」
その笑顔を見た途端……起き上がろうとした動きを止める。
正直、まだやられてはいない。
脇腹は痛む。おそらく、肋骨も何本か折れている。
だが……まだまだ戦える。その気になれば、起き上がって戦闘を継続することができる。
「ああ……」
しかし……ユーリの笑顔を見ると、そんな気も失せてしまった。
(いつからだ……あの子が笑わなくなってしまったのは……)
屋敷に閉じこめて、過保護に囲われた生活をされて……そんな日々の中で、いつしかユーリの顔からは笑みが失われていた。
「……妻よ、私は間違っていたのか」
蹴りつけられた脇腹以上に、胸が激しく痛んだ。
カトレイア侯爵は脱力して地面に横たわったまま、ウキウキとスキップするような足取りで去っていく娘の背中を見送ったのであった。
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