第225話 第二次カトレイア侯爵家の乱①

 アイウッド王国北部にあるカトレイア侯爵領。

 大陸北方にいる異民族の支配域にも近いその土地を治めているのは、王の両翼の片割れであるイルジャス・カトレイア侯爵。

 騎士団長にして、王国最強の武人と呼ばれている人物。

 そんな彼を慕って、剣士や騎士を志している人間は自然とカトレイア侯爵領に集まってくる。

 そのため、カトレイア侯爵家が保有している家臣団は、近衛騎士団やローズマリー侯爵家の魔術師団にも匹敵しうる戦闘力を持っているのである。


「……久しぶりだな、妻よ」


 そんな王国最強の一角……カトレイア侯爵はとある場所を訪れていた。

 空からは深々しんしんと雪が降っており、地面を踏むたびにサクサクと音がする。

 本格的な冬は間近となり、北方のカトレイア侯爵領には一足早い雪が降り始めたようだ。


「お前が虹の橋を渡ったのも、こんな雪の日だったな……」


 懐かしそうにつぶやくカトレイア侯爵。彼がいるのはとある墓地だった。

 石畳の地面。周りには無数の墓石が立っていた。

 カトレイア侯爵の前には一つの霊廟があり、雪を浴びながらひっそりと立っている。

 そこはカトレイア侯爵家の代々の墓だった。

 彼の父母や祖父母、そして最愛の妻が眠っている。

 その日はカトレイア侯爵の妻が旅立って行った命日だった。

 カトレイア侯爵はどれほど忙しくても、その日になると必ず侯爵領に帰ってきて、妻の墓参りをしているのだ。


「長男は良くやってくれている。私の後継者として育っており、今日も留守役として王都を守ってくれている。たぶん、近いうちに休暇を取って来てくれるだろう。楽しみにしていてくれ」


 誰もいない霊廟の前で、カトレイア侯爵は頭と肩に積もる雪を気にすることなく言葉を紡ぐ。


「次男はあまり武術が得意でないようでな。昔から他の兄弟と比べて身体が弱かったが、やはり剣や槍の才能はないようだ。代わりに軍学を勉強していて、軍師として頑張ってくれている。アレもカトレイアだ。親の欲目を抜きにしても才能がある。三男は……最近はすっかり色気づいてしまってな。女の尻ばかり追いかけるようになってしまった。まったく、頭が痛いことだ。今度、ゆっくりと説教をしてやらねばならぬな」


 普段は無口で巌のような人間と思われているカトレイア侯爵であったが……墓参りの際、妻の報告だけはやたらと饒舌になるらしい。

 子供達の成長ぶりについて、愚痴も交えて長々と話している。


「それと……お前がもっとも気にしていることだろうが、ユーリのことだ」


 カトレイア侯爵が表情を曇らせ、深々と溜息を吐く。


「あの子は鬼人病を患っているため、できるだけ屋敷から出さぬように大切に育てていたのだが……最近、家出をしてしまったのだ。どうやら、窮屈な生活に嫌気がさしたようでな。おまけに……」


 カトレイア侯爵がさらに苦悶の表情になる。


「……最近では、とある男と親しくしているらしい。その男には婚約者もいるというのに、本当に困ったものだ。ああ、まったく……一刻も早く連れ戻さねばな」


「それは断るよ」


「ウウム、断るか。それは困る……!?」


 カトレイア侯爵が慌てて顔を上げた。

 妻の声がした……霊廟の妻が答えてくれた。

 そんなふうに思ったのは数秒のことで、すぐに背後にいる人間に気がついて振り返る。


「お前は……!」


 そして……息を呑んだ。

 そこに立っていたのは妻である女性……それによく似た顔立ちの少女だった。

 ユーリ・カトレイア。カトレイア侯爵の愛娘が雪の中で傘をさして、立っていたのである。


「ユーリ……帰ってきてくれたのか!?」



「帰ってきたのではなく、母の墓参りに来ただけだ……私はもう、あの檻の中には戻らない」


「わからないことを言うんじゃない! 自分の生まれた家を『檻』などとは何事か!」


 カトレイア侯爵はわずかに眉尻を吊り上げるが……すぐに動物を宥めるような、優しい顔つきになった。


「もう十分、外の世界は堪能しただろう? 帰ってきなさい、私達の……家族の屋敷に」


「帰らない」


 ユーリは断言した。

 妻に似た顔が確固たる意思を込めて、拒絶の意思を示した。


「ユーリ……!」


「実を言うと……ここには、母を弔うだけではなく、父上に会いに来たのだ。話をつけるために」


「話、だと……?」


 言いながら、ユーリは脚を開いて両手の拳を構える。


「逃げてばかりでは始まらないからな……父上、私はカトレイア侯爵家から出ることにした」


「…………!」


 家から出る。

 それは家出という意味ではなく、カトレイア侯爵家の籍から抜けるという宣言だろう。


「ユーリ……!」


「私は決めたよ。やはり、彼が私の運命の相手だったらしい……初めて会った時からもしかしたらと思っていたが、確信に変わった」


「何? 運命の相手だと……?」


 聞き捨てならないセリフである。

 下手をすると……先ほどの侯爵家を出るという発言以上に。


「どういうことだ! やはり、あのローズマリー侯爵家の小僧が……!」


「だから、認めてもらいたい。認めてくれないのなら殴り合いだ」


「なっ……!」


 父親の問いに答えることなく、ユーリがその場でシャドーボクシングをする。


「強い者が正しい。勝った方が正義……それがカトレイア侯爵家の信念なのだろう?」


「ユーリ……お前……!」


「だから、戦って決めよう。私が勝ったら侯爵家から出る。そして……惚れた男のところに行くことにしよう」


「~~~~!」


 カトレイア侯爵が言葉にならない奇声を上げて、百面相に表情を変える。


「フッ……」


 ユーリはそんな父親に驚くほど艶のある笑みを浮かべて、握りしめた拳を振るった。

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