第196話 子犬みたいです

 食事を終えたレストはユーリと一緒に宿屋を出る。

 すると……宿屋の前にウルラと従者の女性、他に武装した兵士達が待っていた。


「おはよう……です」


「もしかして、ずっと待っていたのか?」


「今、来たとこ」


 ウルラが短く、答える。

 うっすらと頬が紅潮しているが……やはり、長い間待っていたのではないか。


(だんだん、寒くなってきたからな。こんな中で待ちぼうけでは、そりゃあ赤くもなる……のか?)


 冬に顔が赤くなるのは、寒い場所から暖かい場所に入った後ではなかったか。

 そんな気もしたが……それはともかく、待たせてしまったのならば申し訳ない。


「悪かったな。それじゃあ、行こうか」


「……はい、です」


 レストの言葉にウルラが頷く。

 これから、さっそく平原の湿地帯に行くことになっていた。


「えっと……そっちの人達は……?」


「ラベンダー辺境伯家、領軍のオストレーと申します」


 ウルラの後ろに立っている兵士が厳めしい顔で自己紹介をする。

 四十代ほどの年齢の大柄な男だった。

 顔には深い傷があり、いかにも熟練の兵士といった佇まいである。


「クローバー伯爵におかれましては、我らの不出来によりお越しいただき申し訳ございません」


「いえ……それよりも、状況を教えてもらえるだろうか?」


「……移動の道中、お話いたします」


 領軍の兵士の案内を受けて、レスト達は東側からサブノック平原に入った。

 何度となく平原に足を踏み入れているレストであったが……実のところ、東側に来るのは初めてのことである。

 これまで、西側や北側から中央にかけて開拓に着手しており、東側の湿地帯は初めてだったのだ。


「東側は水捌けの悪い土地が多いと聞いたが……それほどでもないんだな」


 群生している植物の植生には違いがあるものの、『湿地』というほど水捌けの悪い土地には見えなかった。


「東側全域がそうというわけではありません。湿地帯はもっと奥にあります」


 レストの問いにオストレーが説明する。


「平原東側は乾地と湿地に分かれており、乾地の開拓はほぼ完了しています。ただ、湿地にいるワームを相手に手こずっておりまして……特に巨大な一匹が手をつけられないのです」


「来ない、から……被害はほどほど」


 ウルラがさらに言葉を重ねる。

 短い言葉にかえって疑問が深まってしまったが、すぐさま従者の女性が補足した。


「ワームは湿地から出てくることはないので、そこまで被害は大きくありません。ただし、結界の影響で凶暴化しているようなので注意が必要です」


「なるほど……」


 実にわかりやすい説明である。

 最初から、ウルラではなく従者の女性が話せばよいと思う。


「そういえば……今さらではあるけれど、ウルラ達も付いてくるんだな」


 すでに平原に足を踏み入れているのだが……ウルラも従者の女性も当たり前のようについてきていた。

 どう見ても、戦闘員のようには見えないのだが……大丈夫なのだろうか?


「問題、ない……です」


「お嬢様はこう見えましても、弓術の達人です。足手まといにはならないでしょう」


「きた……やる……!」


「おや、さっそく前方に魔物が出てきました……ここは私に任せて欲しいとお嬢様が仰っています」


「……わかった」


 前方から仔牛ほどの大きさの黒いトカゲがのっしのっしと現れた。

 トカゲとはいったものの、そのフォルムは全体的にもっさりとしている。

 どちらかといえば、オオサンショウウオに近いのかもしれない。


「やる」


 ウルラが素早く、弓矢を取り出した。

 短弓に矢をつがえて、音も無く矢を放った。


「ギョッ……!」


 撃ち放たれた弓矢が真っすぐにトカゲの頭部に吸い込まれる。

 トカゲが地面に倒れてピクピクと痙攣して、やがて動かなくなった。


「すごい腕前だな……」


 レストが素直に感嘆する。

 単純な腕前もそうだが、発射までの速度がとんでもない。

 そして、弓を取り出して撃つまでに一切の音がしなかった。


(狩人……あるいは、暗殺者みたいな弓だったな……)


 レストは常に【気配察知】の魔法を発動させているが、それがない状態でウルラに狙われたら回避する自信がない。

 戦いが始まっていることにすら気がつかないまま、撃ち抜かれて絶命してしまうかもしれない。


「……エヘン」


 ウルラが誇らしそうに小さな胸を張った。

 気のせいだろうか……芸を覚えたての子犬が「褒めて、褒めて」と言っているように見える。


「すごいよ。大したものだ」


 思わず、ウルラの頭に手を伸ばしかけるが……レストはすんでのところで思いとどまった。

 いかに良好な関係を築きつつあるからといって、他家の貴族のお嬢さんに対して失礼だろう。


「…………ガッカリ」


 気のせいだろうか……ウルラは少しだけ肩を落として、唇を尖らせたのである。

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