第166話 ウルラ・ラベンダーは悶絶する

 時間はわずかに遡り、レスト達が一日を終えて就寝していた時。

 開拓団のテントの一つにて、一人の少女が地面にうずくまっていた。


「ハア……ハア……ハア……」


 少女が荒い息を吐きながら、地面に敷いた絨毯を握りしめている。

 テントの中には彼女以外に誰もいない。

 レスト達が寝泊まりしているのと同じくらい大きさのテントの中、少女はたった一人で小さな身体を震わせている。


「……た……たまらない……」


 少女が悶えながら、息も絶え絶えにつぶやいた。

 人形じみた端正な顔を鼻血が伝い、カーペットを赤黒く汚す。

 苦しそうに吐息を漏らしている少女であったが……その顔に浮かんでいるのは歓喜の表情である。


「……レスト……クローバー……ほんものの……レスト……!」


 鼻から出血しながら悶絶しているのはウルラ・ラベンダー。

 東方辺境の雄であるラベンダー辺境伯家の令嬢だった。

 レストに挨拶をして、自分に与えられたテントに戻ってきたウルラであったが……部下に人払いをさせてテントに入るや、うずくまって苦しみ出した。


「なま……うごいている……レスト・クローバーが……おなじくうき、すっちゃった……!」


 ウルラが悶絶している理由……それは現代日本風に表現するのであれば、『推しの過剰摂取』が原因である。

 ウルラは会ったこともない頃から、レストに対して強い感情を抱いていた。

 恋慕すら通り越したその思いは『推し』。恋愛感情と憧れと崇拝を混ぜ合わせて狂気のスパイスを一つまみだけ足したような感情である。


 辺境貴族の子女であるウルラがこの地に送り込まれたのは、祖父からの命令。

 中央にいる有力者に対して、隣国であるガイゼル帝国の危険性を訴えて戦意を焚きつけることが目的である。

 しかし、そんな主目的はすでにウルラの中から失われている。

 ウルラがこの場所にやってきた個人的な目的……それはレストに会うためだった。


「そ、そうぞう……してた……千倍、きれい……!」


 望んでレストに会いに来たウルラであったが……実際に顔を合わせたレストは、水晶玉ごしに見たよりも遥かに素敵だった。

 カーペットに両手をついたウルラの瞳が虹色に明滅している。

『妖精眼』と呼ばれるその瞳は占い師だった母親から受け継いだもので、この世ならざるものを視認する能力を持っていた。

 妖精眼によって見たレストの姿……それはウルラにとって、それまでの人生観を吹き飛ばすようなものだった。


 無限に湧き出る魔力の泉。

 天を覆いつくさんばかりに広がる可能性の枝葉。

 あまりにも圧倒的に雄大で、言葉では表現しきれないような壮大な景色。

 それをたとえるならば……グランドキャニオンを空から見下ろしているような、ナイアガラの滝を下から見上げているような、巨大に成長した縄文杉に囲まれているような、アルプスの山頂から朝日を目にしたような……世界の創造、星の誕生を目の当たりにしたような。

 価値観や人生観を根底から覆すような、圧倒的なパワーを持った景色。


「はふう……」


 そんな奇跡の光景を直に目にして、ウルラはカーペットの上をゴロゴロと転がった。

 もしも「誰も入るな」と厳命していなければ、異常を聞きつけてラベンダー辺境伯家の家臣が飛び込んできたことだろう。


「レスト……レスト……レスト……レスト……!」


 壊れた玩具のように一人の男性の名前を口にするウルラ。

 ウルラは幼い頃から、ラベンダー辺境伯家の宿敵であるガイゼル帝国との戦いに役立つため、それだけのために英才教育を受けていた。

 感情を殺し、自分の意思を抑え込み、祖父の言うとおりに動く人形として育てられてきたはずなのだが。

 そんなウルラはレストという規格外の存在を知ったことにより、命の火を吹きこまれたかのように自我が生じていた。


 自我を手にした人形少女……ウルラ・ラベンダーの変化はレストに対して、何をもたらすのだろうか。

 それはまだ、誰も知らぬことである。

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