第164話 ラベンダー辺境伯家の令嬢が現れました

 目の前に一人の少女がいる。

 年齢は中学生くらい。紫の髪をボブカットにしており、背が低くて細身、見ようによっては小学生にも見えるような外見だ。

 初対面だ……断言できる。

 地味めの顔立ちであるが不思議と印象的で、一度会ったら忘れないような雰囲気を持っていた。


「…………」


「ラベンダー辺境伯って……」


 飛び出してきた予想外の名前にフリーズしてしまったレストであったが……すぐに「ハッ!」と目を見開いて胸に手を当てる。


「ああ……失礼いたしました。私はレスト・クローバー。若輩ではありますが伯爵位を賜っております」


 優雅な所作でお辞儀をした。

 何度となく、身体に染みつくほどに繰り返し練習してきた貴族の礼である。


「ラベンダー辺境伯家のご令嬢にお会いすることができて光栄です」


「…………」


「なにとぞ、今後ともよろしくお付き合いいただけますようによろしくお願いします」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………あの、ラベンダー嬢?」


 定型文の挨拶を終えたはずなのだが……相手から、挨拶が返ってこない。

 本来であれば、あちらからも挨拶の言葉を贈ってくるのが貴族の礼儀なのだが……。


「もしかして、体調でも……」


「…………綺麗」


「へ……?」


「綺麗……ああ、綺麗……」


 ラベンダー辺境伯家の令嬢は下からレストを見上げて、ぼんやりとした目になっている。

 まるで酒に酔っているようなフワフワとした目つきだったが……その瞳が虹色に煌めいているのに気がついた。


(虹色の虹彩……何だ、あの色合いは……?)


 焚き火による光の加減ではない。

 ウルラと名乗った令嬢の瞳は、見るたびに色味を変えるような不思議な色彩をしている。

 その瞳に見つめられると、まるで心の奥底を見通されている気分になってきた。


(しかも、綺麗って言ったか……俺が?)


 レストは不細工ではないが、飛び抜けて美形というわけではない。

 それなりに修羅場はくぐってきているので、経験に裏打ちされた精悍さはあるが……美貌というものとは無縁だった。


「はふう……」


「ちょ……!?」


 おまけに……唐突に、ウルラの身体が後ろに倒れていく。

 慌てるレストであったが、背後に控えていた従者らしき女性がウルラを支えた。


「失礼いたしました。お嬢様は貧血を起こしてしまったようです」


 ウルラのことを支えながら、従者の女性が淡々と言う。


「ご無礼をお許しください。ローズマリー家の令嬢方も」


「え、あ……はい」


「それは良いですけど……」


 急に話の水を向けられて、いまだ紹介もできていないヴィオラとプリムラが困惑した表情になる。

 ちなみに……ユーリの方には気がついていないらしい。

 箱入り娘のため、カトレイア侯爵家の令嬢であると認識されていないのだろう。


「それでは、失礼いたします。後日、改めてご挨拶に伺いますので……」


 一方的に言い残して、従者の女性がウルラを抱えて去っていく。


「…………」


「お、おおう?」


 しかし……荷物のように運搬されながら、ウルラがしっかりとレストのことを凝視していた。

 視線で穴を開けようとしているのかと思わんばかりに、強い視線である。

 睨まれているというふうではないのだが……妙に居心地の悪くなる目つきだった。


「な……何だったんだ?」


 二人の姿が見えなくなって、レストは素直な感想を口にした。

 あちらから話しかけてきたというのに、最後まで用件すらわからなかった。

 一つだけわかったことといえば……ラベンダー辺境伯家の御令嬢の名前が『ウルラ』ということ。

 そして……理由は全くの不明だったが、レストに対して興味津々ということだけである。


「不思議と敵意や害意は感じなかったけど……何を考えているのか、よくわからない子だったな……」


「そ、そうですね……ラベンダー辺境伯家にあれくらいの年の女の子がいるなんて、初耳です」


 プリムラが不思議そうに細い首を傾げた。

 ユーリのように箱入り娘なのだろうか……ヴィオラやプリムラが知らないとなると、他の貴族に存在を明かされていないのだろう。


「その箱入り娘がどうしてここにいるのかしら? ここにいるということは……開拓団に参加しているということよね?」


 ヴィオラもまた、怪訝そうに眉根を寄せる。


「普通だったら……ご令嬢のデビュタントというと、どこかパーティーになるわよね? 王立学園への入学が切っ掛けになる人もいるけれど……?」


「少なくとも、魔境の開拓などという殺伐とした場ではないな。まあ、私もデビュタントはしていないが」


 ユーリがのほほんとした様子で焚き火に砂をかけ、後始末をする。


「まあ、また挨拶に来てくれると言っていたことだし、その時に聞けば良いのではないか? そんなことよりも……みんなでお泊まり会だ」


 細かいことはどうでも良いらしく、ユーリが「ニコーッ」とあどけない表情で笑いかけてくる。


「パジャマパーティーはローズマリー家の屋敷でやったが、友達と同じテントで眠るのは初めてだ! しかもレストと一緒だなんて感激だな! せっかくだから、隣り合わせで眠ろうか?」


「……ユーリ、それはアウトよ。友達でも見逃せないわ」


「……レスト様の隣は私とお姉様です。ユーリさんにはまだ早いです」


 無邪気な笑顔で爆弾を投げてくるユーリに、ローズマリー姉妹がそろって頬を膨らませたのであった。

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