第150話 馬鹿王子の母親は涙する②
「キャッ……!」
馬車が大きく揺れて、外から聞こえてくる怒号と争いの声。
まさか、何者かに襲撃を受けているというのだろうか。
この馬車には王家のエンブレムが付けられているはずなのに、王国の騎士によって守られているはずなのに。
(ただの盗賊がそんな馬車を襲うわけがない……となれば、まさか……!)
仄暗い陰謀の気配を感じ取ったエメラルドであったが……直後、馬車の扉が外から開かれて血塗れの男が現れた。
「ヒッ……!」
「ああ、失敬。怖がらせてしまいましたな」
返り血で汚れた鎧を身につけた青年が、ニカッと人好きのする笑みを向けてくる。
こんな親しげで裏表のない笑顔を向けられたのは、いったい何年ぶりだろうか。
「あ、貴方は……?」
「申し遅れました。私は王国騎士をしておりますブラッド・カトレイアと申します」
青年が名乗る。
カトレイア……その名はエメラルドも聞いたことがある、王国でも指折りの部門の名家だった。
ブラッドと名乗った騎士は布で鎧に付いた血を拭い、馬車の外に捨てる。
「先ほど、何者かがこの馬車を襲撃してきたのですが……問題なく撃退いたしましたので、ご心配なく。このまま国境までお連れいたします」
「そ、そうですか……ありがとうございます?」
こういう場合、御礼を言うことが正しい対応なのだろうか?
エメラルドが顔をひきつらせた。
「えっと……襲撃者は何者だったのでしょう?」
「さて、帝国人かもしれませんな。貴女を殺して、我ら王国がやったことにするつもりだったのかもしれません」
「…………!」
「あ、失礼。今の発言は無しということで」
憶測で許されないことを言ってしまったと気がついたのだろう。
ブラッドが慌てて両手を振った。
「えっと……ただの盗賊か、我が国の貴族の仕業かもしれませぬな。王国にも帝国と戦争をしたがっている人間がおりますので!」
「そ、その誤魔化しもどうかと思いますけど……」
「あー……そうですな。これまた失敬を」
ブラッドが咳払いをする。
どうやら、腹芸ができないタイプの人間のようだ。
エメラルドはこんな状況であるにもかかわらず、吹き出しそうになってしまあった。
「先ほどの言葉は聞かなかったことにいたします」
「いやあ、そうしていただけると助かります! 父に怒られてしまいますのでな!」
ブラッドが笑いながら、鎧の胸元をドンッと叩く。
「国境を越えるまで、エメラルド様には傷一つ負わせることはないと保証いたします! 帝国にさえ入ってしまえば、主戦派の……ではなく、襲撃者が貴女を狙う理由もなくなるでしょう。どうぞご安心を!」
「安心……ですか。私が帝国に戻る意味があるのでしょうか?」
「ム……? どういう意味ですかな?」
「帰りを待っている人間もいないのに、役立たずの厄介者が帰っても良いものでしょうか?」
エメラルドが思わず、内心を吐露してしまう。
ブラッドは驚いた様子で目を瞬かせたが……「フム」と唸った。
「エメラルド様には兄弟姉妹はおられないのかな?」
「は……?」
何の話だろう。
エメラルドは困惑しつつ、ブラッドの問いに答える。
「兄が二人いますけど……手紙のやりとりだけで、二十年間、顔を合わせていませんが?」
「ああ、ならば大丈夫だ」
ブラッドは自信満々に胸を張った。
「兄とは妹を守るものです。きっと、祖国で貴女の帰りを待っていることでしょう」
「……そうでしょうか?」
「そうです。兄はいくつになっても兄。どんな時でも妹を思っているものです。食べている時も寝ている時も風呂に入っている時も書類仕事をしている時も戦場で敵を殺している時も。どんな時も頭の中は妹のことしかなく、常に妹に刺繍してもらったハンカチなどを携帯しているものなのです。それが『お兄ちゃん』という生き物なのです」
「そ、そうなのですか……」
「ですから、胸を張って大手を振って帰郷すれば良いのですよ」
「…………」
エメラルドは黙り込む。
死んだ息子のことを思えば、そこまで楽観的にはなれないが……ほんの少し、水鳥の羽一枚分くらいは心が軽くなった気がする。
「……お気遣い、ありがとうございます」
「ええ、構いません。それでは……改めて、出発いたしましょうか!」
その後……二度目の襲撃を受けることなく、エメラルドは帝国に帰国した。自分を襲った人間が何者だったのかは知らず終いである。
エメラルドは皇族の身分を剥奪されることになり、家族や友人と二十年ぶりに再会。
旧縁を温めた後に修道院に入り、息子や息子が起こした反乱で命を落とした人間の魂を弔うのであった。
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