第151話 ラベンダー辺境伯家は暗躍する①

 東の隣国であるガイゼル帝国は長年の同盟国である。

 帝国はかつては外征に力を入れて、大陸制覇という果てなき野望を燃やしていた。

 しかし、百年ほど前に当時の宰相が広大過ぎる領土をまとめることのリスクを皇帝に説き、協調路線へと外交方針を転換させた。

 現在の皇帝も温厚な人物であり、アイウッド王国とも良好な同盟関係を保っていたはずである。


「やはり、連中は信用ならない奴らだったようじゃな……先の内乱では、奴らが陰で暗躍していたらしい」


 アイウッド王国東端。国境地域。

 帝国との境目にあたる土地を治める大貴族……ラベンダー辺境伯家の屋敷にて、その男が厳かに言い放つ。


 ルーザー・ラベンダー六世。御年六十歳。

 屋敷の一室で椅子に腰かけたその男は枯れ木のように痩せており、歩くときには杖をついている。

 しかし、瞳は驚くほど鋭く険があって、まるで抜き身の刃のよう。

 まとった闘志に少しも衰えを感じさせることなく、手にした杖に爪を立てて握りしめている。


「だから、我らは言ったのだ! 同盟などいつ破られるかわかったものではないと! 帝国は決して信用ならぬと……やはり、正しかった! 我が一族は正しかったのじゃ!」


 しわがれた声でルーザーが怒鳴り散らす。

 その声音には怒りの感情が強いが、狂気的な愉悦の色も混じっている。


 ラベンダー辺境伯家は古くから、東の国境を守っている盾だった。

 まだ帝国との間に同盟が結ばれる以前には、攻め込んでくる帝国軍と何度となく刃を交えている。

 両国の間で和睦が結ばれることになった際、誰よりも強く反対したのもラベンダー辺境伯だった。

 帝国との戦争が無くなり、北方の蛮族に立ち向かうための協力者となってからも……ラベンダー辺境伯だけは帝国の危険性を訴え続けている。


「ああ、そうだ。そうなのだ! 我らは正しかったのじゃ! 帝国を信用するなと訴えていたのは間違いではなかった。間違っていたのは、他の者達だった! ヌハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハッ!」


「……どう、いたしますか? 先んじて……我らの方から、帝国に攻め込みますか?」


 ルーザーのしわがれた怒声に、一人の少女が応じた。


「兵を動かす準備は……いつでも、できています。ラベンダー辺境伯はずっと……帝国に立ち向かう、その準備をしていたのですから」


 紫の髪をボブカットにした少女である。背は低く、肉付きも薄く、どう見ても子供にしか見えない。

 しかし、子供らしいあどけなさや無邪気さとは無縁だった。

 その少女は仮面でも被っているかのように無表情。顔立ちが整っていることが、かえって人形じみた底知れない雰囲気に拍車をかけている。

 もしも、この少女が夜道の暗がりに立っていたのなら……人間ではなく、死人か人を惑わす邪悪な妖精と見間違えてしまうことだろう。


「……否。否だ。我が孫娘よ」


 ルーザーがやや声のトーンを落として、溜息交じりに言う。


「……帝国は間違いなく、反乱軍に与しているだろう。じゃが……まだ牙は見せてはおらぬ。ああ、そうだ。見せてはおらぬのだ……狡猾なことにな!」


 ルーザーが強く、杖で床を叩いた。


「今、兵を送り込めば我らが反逆者になってしまう……それは許されぬ。許されぬのだ。我らラベンダー辺境伯家は王家の忠実なる臣下。王家が帝国をいまだに盟友として扱っている以上、それは許されぬ……!」


「…………」


「我が孫よ。ラベンダーの……敗北者ルーザーの意志を継ぐよ。ウルラ・ラベンダーよ」


「はい……お祖父様」


 ルーザーの言葉に、ウルラと呼ばれた少女が頷いた。


「王家が魔境サブノック平原の開拓のため、人員を集めていると聞く。お前はラベンダー家の私兵を率いて開拓に参加し、中央の動向を探るのじゃ! 可能であれば他の貴族らに帝国の危険性を訴えて、国王陛下に帝国征伐を上奏せよ!」


「はい……お祖父さまが、そう仰るのなら……御心のままに」


 祖父の言葉に、ウルラが了承する。

 人形のように、あるいは糸で動く傀儡のように。

 まるで彼女自身に意思などないかのように、少しも表情を変えることなくルーザーの命令を受け入れた。


「準備が、整い次第……中央にいきます。魔境開拓に参加しながら、帝国と戦うための……準備をします」


「ウム……全ては『ルーザー』の名の下に」


「『ルーザー』の名の下に……」


 復唱する少女に、ルーザーは満足そうに口角を吊り上げたのであった。






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