第152話 ラベンダー辺境伯家は暗躍する②
ラベンダー辺境伯家の当主であるルーザー・ラベンダー六世。
その孫であるウルラ・ラベンダーは生まれながら、帝国との戦いのために育てられた。
「…………」
祖父との話し合いを終えて、自室に戻ってきたウルラはテーブルに着く。
部屋にはウルラ以外に誰もいないというのに……背筋をきっちりと伸ばして、身にまとった白のドレスにも乱れはない。
その動作は丁寧や礼儀正しいというよりも、機械的で、命ある人間の動きとは思えなかった。
「全ては、『ルーザー』の名の下に……帝国に、正義の鉄槌を」
まだ幼さが残る声音で、ウルラがつぶやく。
ラベンダー辺境伯家は代々の当主が『
どうして、彼らがそんな不名誉な名前を襲名し続けているかというと……帝国に対する憎しみを忘れないためである。
ラベンダー辺境伯家は同盟が結ばれるまで、国境貴族として帝国と戦い続けていた。
その戦いの中で、多くの兵士が犠牲になった。辺境伯家直系の人間も犠牲者の中には含まれている。
帝国との同盟が結ばれる際も、多くの貴族が大国との戦争が終わることに安堵する中で、ラベンダー辺境伯家だけが和睦も同盟も反対していた。
『ルーザー』という名前はそんなラベンダー辺境伯家の憎しみの象徴。
自分達が帝国に幾度も侵略を受け、泣き寝入りする形で同盟を結んだ敗北者であることを忘れないための名前だった。
「中央に向かう……魔境の開拓に、参加する……他の貴族、説得する……帝国を征伐、するように上奏する……」
虚ろな瞳で、自分が与えられた命令を繰り返す。
ウルラは幼い頃から帝国への復讐のため、ひたすらに英才教育を受けてきた。
その教育はもはや洗脳である。ウルラは当主である祖父から命じられたのであれば、たとえ身一つで敵軍に特攻することすら
ウルラには両親も兄弟姉妹もいない。
父親は帝国にスパイとして侵入したきり連絡を絶っており、母親はこんな家に愛想を尽かしてウルラを置いて逃げ出してしまった。
ゆえに、祖父の洗脳を止める人間はいない。
ウルラは復讐と戦争のための人形として、兵器として完成しつつある。
「任務達成のため、事前に開拓団について調査をしておくように……全ては、『ルーザー』の名の下に……」
まるで自分に言い聞かせるようにしながら、ウルラはテーブルの上に置かれた水晶玉に手を伸ばす。
「……魔境……開拓……貴族……帝国……魔獣……」
譫言のように単語を羅列しながら、ウルラが水晶玉に手をかざす。
まるで占い師の真似事だが……『まるで』でもなければ『真似事』でもない。
ウルラは彼女を捨てていった母親から、占術の才能を受け継いでいた。
この世ならざる物を知覚することができる『妖精眼』というものを生得しており、水晶玉を通して遠く離れた場所を覗き視ることができるのだ。
「……情報……開拓……誰が……?」
祖父から命じられたように、ウルラは水晶玉を使って少しでも情報を集めようとする。
全てはラベンダー辺境伯家のため。『ルーザー』の名の下に行われる、帝国に対する復讐のための行動だった。
「……あ…………?」
やがて、透明な水晶玉の中に白い靄がかかった。
アストラル界に住んでいる妖精達がウルラの呼び声に応えて、望む景色を映し出してくれたのである。
「…………」
水晶玉の中に映し出されたのは、魔境開拓の重要人物になるであろう者達の姿。
第二王子であるアンドリュー・アイウッドを中心とした若者達だ。アンドリューは同年代の男女に囲まれており、屋内にある部屋の中で話をしていた。
それはちょうど、魔境開拓について生徒会室で打ち合わせをしているところだった。
ウルラが開拓についての情報を求めていたため、その場面が映し出されたようである。
「…………」
ウルラの視線の先……アンドリューの周囲には何人かの人間がいる。
例えば……側近にして生徒会役員でもあるユースゴス・ベトラス、リランダ・マーカー。どちらも王家に近しい貴族の子弟だった。
本来であれば……彼らの情報も集めなくてはいけない。
「………………」
例えば……セレスティーヌ・クロッカス。クロッカス公爵家という筆頭貴族の娘であり、この場においてアンドリューに次いで身分が高い。
間違いなく、重要人物である。優先的に情報を集めなくてはいけないはず。
「……………………」
例えば……ヴィルヘルム・リュベースやアイシス・カーベルト。二人とも今後、台頭してくる可能性が高い次世代の英雄候補。
魔境開拓のための主戦力になるだろう。積極的に情報を集めなくてはいけないはず。
「………………………………」
例えば……ヴィオラ・ローズマリーとプリムラ・ローズマリーの姉妹。宮廷魔術師の長官である人物の掌中の珠。
この中では優先順位が低いものの、国王に帝国との戦争を上奏するうえで、情報を入手しておいて損にならないはずだった。
「……………………………………………………」
しかし……ウルラの目は彼らを見てはいなかった。
アンドリューのこともセレスティーヌのことも、他の人間達のことも見てはいない。
ウルラの視線が捉えているのは、たった一人だけ。
つまり……レスト・クローバーという若き伯爵の姿だけである。
『~~~~』
「……………………………………………………………………………………」
レストが水晶玉の中で何事かを話している。
音声は聞こえないが……ウルラはそれを見つめている。
見つめている、それはもう……ジッとジッと見つめている。もしも視線に物理的な力があるのだとすれば、大きな穴が開いてしまうほどに。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
ジッと、じっくりと、たっぷりと、マジマジと、ガッツリと……それはもう、時間が許す限りレストのことを見つめて。
そして……ウルラは小さく唇を震わせた。
「………………………………………………………………………………………………好き」
まるで新手のジョークかのように、ウルラはつぶやいた。
仮面のように表情のない顔がみるみるうちに赤く染まっていき、今にも着火してしまいそうである。
「好き……すごく、好き。とっても好き……やっぱり好き。好き好き好き好き好きスキスキスキス空き隙好き鋤すき好きスキす……」
乏しいボキャブラリーが崩壊するほど、ウルラは水晶玉を食い入るように見つめて愛の言葉を繰り返す。
水晶玉を覗き込むウルラの瞳は虹色に輝いており、彼女が『妖精眼』によってこの世ならざるものを見ていることわかる。
「好き……!」
それは人生で初めての感情だった。
復讐の道具のため、『ルーザー』の意思のために生み出されたウルラにとって、それまでの自分を全て押し流してしまうほどの激情。
目から鱗が落ちるどころではない……ウルラを構成している人格も価値観も根底からひっくり返されるほどの、魂の衝撃だった。
「好き……好き……この人のところ、行かなくちゃ……!」
ウルラはようやく、『好き』以外の言葉を口にする。
冷静さを取り戻して語彙は回復していったが、紅潮した頬の色は変わらない。
水晶玉から視線を一切逸らさないのも、同じである。
「好き……ああ、本当に好き……なんて美しいの……!」
その日から、ウルラは時間があれば水晶玉と向かい合う生活を送ることになる。
おかげで、レストはあらゆるプライバシーを暴かれて、風呂やトイレまで覗かれてしまったのだが……そのことにはいまだ気がついていない。
復讐のための人形からスピリチュアル・ストーカーにジョブチェンジしたウルラ・ラベンダー。
彼女が魔境開拓のために王都に出発する、十日前の出来事であった。
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