第148話 カトレイア侯爵家の乱②
門の上に現れたのはトーヤ・カトレイア。
カトレイア侯爵家が三男にして、ユーリの実兄。
巌のような顔をした父親に似て、大柄で筋骨隆々とした体格の持ち主。
槍の達人であり、騎士団では若いながらにして中隊を任せられている将である。
「リード無しで散歩する許可は出ていない。さっさと部屋に戻れ! その小犬のようにプリティすぎる顔と天使の羽のように美しい柔肌がどっかの馬の骨に見られたら、どうするっていうんだよ!」
トーヤの口調は乱暴であるものの、妹に対する深い愛情が感じられた。
もっとも、妹に対して『プリティすぎる』などと口にするあたり、妙な気持ち悪さを醸し出しているのだが。
「トーヤ兄さん、私は学園に行かなければならない。ここを通してくれ」
「通せるわけがない……ああ、通せるわけがねえ!」
トーヤが門の上から、槍の切っ先をビシリと突きつける。
「お前のような可愛すぎる美少女に表を歩かせるわけにはいかねえ! 求婚者が死体に群がる蛆みたいに湧いてきちまうだろうが!」
「……トーヤ坊ちゃん、そういう問題ではありませんよ」
傍で兄妹の会話を聞いていた家令の男性が沈痛な表情で首を振る。
「確かに、ユーリお嬢様の愛らしさと美しさは美の女神にしか譬えられない程ですが……今はそのようなことをおっしゃっている場合ではありません。旦那様がお嬢様を屋敷から出すなと命じられていたのですから」
「ああ……そうだったな。ユーリ、父上はお前に外出の許可を出してはいない。さっさと戻るんだ!」
「私はきちんと手続きを踏んで、学園に通っている! 正当な理由もなく屋敷に押し込められる筋合いなどない!」
ユーリがムッとした表情で、拳をブンブンと振る。
「邪魔をするならば……たとえトーヤ兄さんといえど、ただでは済まさない! 倒してでも王都に帰ってやる!」
「妹が……反抗期か。子犬に甘噛みされた気分だな」
トーヤが肩をすくめて、門の上から飛び降りる。
「仕方がない……少し、躾をさせてもらおう。二度と屋敷から勝手に出ないように……そして、間違っても戦場などという危険な場所に出ないようにな!」
「ム……!」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
トーヤが声を上げると……その全身にぶ厚い石の鎧が貼りついていく。
得意魔法である【
完全武装となった現在の状態ならば、上位魔法を正面から受けたとしても倒れることはないだろう。
「俺の勝ちだ。ユーリ」
「……トーヤ兄さんはもう私に勝ったつもりなの?」
「当然だ」
石の鎧の内側から、くぐもった声が響いてくる。
「
それは確定事項だった。
トーヤは間違いなく、騎士団でも精鋭中の精鋭。互角に戦える人間は両手の指の数ほどにもいないほどの戦士である。
対して、ユーリはただの学生である。
鬼人病の影響によって、身体能力が人よりも高いだけ。
あえて強調するが……身体能力が人よりも高いだけなのである。
「躾のためには時として体罰も必要なんだろうが……俺はお前にそんなことはしたくない。頼むから、大人しく部屋に戻ってくれ」
「…………いや」
「何だと?」
「嫌といったんだよ。トーヤ兄さん……私は二度と籠の中の鳥にはならない!」
ユーリはすでに自由を知ってしまった。
屋敷の中だけではない、世界の広さを知ってしまったのだ。
大空を飛ぶ喜びを知ってしまった鳥が、どうして檻の中で縮こまるだけの生活に戻れるというのだろう。
「たとえ止めたって、私は行く! 友達が待っている王都へ!」
「……仕方がない。力ずくで抑え込む!」
石の鎧を身につけたトーヤが槍を片手に、ユーリめがけて飛びかかる。
そのスピードは石の重量を感じさせないもの。身体能力の高さだけではなく、何らかの魔法によって鎧を軽量化しているのだろう。
トーヤという男は決して武術だけではない。魔法すらもハイレベルに修得している熟達した戦士ようだった。
「貴方の言う通り……私は疲れているのだ。トーヤ兄さん」
飛びかかってくる兄を前にして……ユーリが小さくつぶやく。
「外出を止めようとする兵士達と戦って、疲れたんだ……ああ、とても疲れたんだ」
憂鬱そうに言って……そして、地面を蹴った。
「殺さないように手加減するのに、疲れたんだ」
「ゴハアッ!?」
ユーリが裸足の足でトーヤの腹を蹴りつける。ズジャンと落雷のような音がした。
石の鎧が粉々になって砕け散る。魔法によって硬化されて、鋼に近い強度になっているはずなのに……ユーリの蹴りによって一撃で破壊されていた。
「ゆー……り……」
「ああ、さすがはトーヤ兄さんだ。本気で蹴ったのに死なないんだな」
ユーリが安堵したように言う。
兄殺しをせずに済んだことを、心から喜んでいるようだ。
バラバラと石の鎧が剥がれ落ちていき、残骸の上にトーヤが倒れる。
その腹部には大きな打撲痕ができているが、命には別状はないようである。
「私はもう自由なんだ。父離れ、兄離れをするから、みんなも妹の自立を喜んでくれ」
「ま、て……ゆーり……」
「それと……もう一つ」
ユーリは倒れた兄を見下ろして、ニッコリと微笑む。
「次に自分の意思でここに帰ってくるときには、素敵な彼氏を連れてこよう。候補はいるんだ。楽しみにしていてくれ」
「…………!」
トーヤがパクパクと口を開閉する。
ユーリは言いたいことを伝え終えたのか、倒れた兄に背中を向ける。
「それじゃあ、達者で!」
ユーリが門を飛び越えて、カトレイア侯爵家の屋敷から逃げ出していった。
家令も兵士もまだそこには残っていたが……追いかけることもできず、呆然として遠ざかる背中を見送ったのである。
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