第147話 カトレイア侯爵家の乱①
「第一防衛ライン、突破されました!」
「第二防衛ライン、被害は甚大……ダメです、抑えきれません!」
「持ちこたえろ! 旦那様と若様が戻ってくるまで、どうにか耐えるのだ!」
アイウッド王国北部、カトレイア侯爵領では小さくない騒動が生じていた。
カトレイア侯爵家は武門の名家である。
当代の当主は騎士団長を務めており、子供達も騎士団の入ってそれなりの地位に就いている。
唯一の例外は末っ子の娘。兄弟の中で唯一の女子であるユーリ・カトレイアだけだった。
「絶対にユーリお嬢様を逃がしてはならない……! 命と引き換えにしてでも抑え込むのだ!」
カトレイア侯爵家の本邸。広い庭の中央で家令の男が叫んだ。
その周囲には武装した兵士達が何人もいて、屋敷の内部からは悲鳴と破壊音が響いてくる。
屋敷の内外には幾重ものバリケードが築かれているが……はたして、あの『魔人』を相手にどれほど耐えることができるだろうか?
「第二防衛ラインが崩壊……ユーリお嬢様が出てきます!」
兵士の一人が叫んだ。
直後、屋敷の壁が内側から破壊されて、一人の女性が姿を現す。
「ユーリお嬢様……!」
「ハア、ハア……もういい加減にしてくれないかな?」
疲労した呼吸をしながら、壁に開いた穴から出てきたのはユーリ・カトレイアだった。
ユーリは下着の上にシャツを一枚纏っただけのあられもない姿をしている。大きな胸がこぼれる直前といった有り様であり、かなり扇情的なのだが……この場にいる人間で色めき立っている者は誰もいない。
むしろ、この場にいる兵士達の顔に浮かんでいるのは最大限の警戒、そして……一抹の恐怖である。
「私は王都に帰りたいだけなんだ……学園の授業もあるし、友人だって待たせている。だから……通してくれる?」
「…………!」
ユーリが有無を言わせぬ口調で告げてくる。
家令は顔を引きつらせそうになるが、どうにか堪えた。
「……旦那様より、お嬢様を屋敷から出すなと命じられています。どうか、部屋にお戻りください」
少し前、ユーリはカトレイア侯爵家の屋敷から家出していた。
父親と兄達に反発して領地を去り、親類の後ろ盾を得て王都にある王立学園に入学していたのだ。
そんなユーリが捕縛……もとい、連れ戻されることになったのは半月ほど前。アイガー侯爵が引き起こした内乱の戦場でのことである。
義勇兵として王国軍に加わっていたユーリは父親と兄達に発見され、一家総出で捕獲。領地にある屋敷に強制連行されることになったのだ。
(それなのに……まさか、旦那様の留守中に逃亡を図るなんて……!)
家令が歯噛みしつつ、主人の不在を嘆く。
騎士団長であるカトレイア侯爵が仕事で王都に行っている最中、ユーリは部屋の扉を破って逃走しようとした。
見張りを任せていた兵士達、廊下に設置したバリケードを破り……とうとう、屋敷の建物の外にまで出てきてしまった。
(すでに戦闘不能に陥った兵士は三十人以上……素手でこれほどのことを成すとは、これが『鬼人病』ですか……!)
ユーリは幼い頃から、ほとんど屋敷から出されることなく監禁じみた扱いを受けてきた。
それは娘を溺愛している父親のエゴであったが……一応、正当な理由もあったりする。
ユーリは『鬼人病』という病に侵されており、それゆえに表に出すことはできないだろうと判断されたのだ。
鬼人病とは、文字通りに『鬼人』と呼ばれる蛮族に由来する病気……もとい、体質である。
鬼人は人間のように魔法を使うことができない種族なのだが、代わりに並外れた身体能力を有していた。
鬼人病の患者は魔力が極端に少ない代わりに、筋肉や骨格の成長が凄まじく……通常の人間よりも身体能力が優れているのだ。
ユーリも体型は年相応の少女……よりもやや発育が良いという程度なのだが、筋肉や骨の強度が常人離れしていた。
素手で岩を粉砕したり、崖から転がり落ちて無傷だったり……凄まじいまでの膂力と強度を持っているのである。
そんなユーリが危険な目に遭わないように……あるいは、誰かを危険な目に遭わせないように、屋敷に閉じこめていたというのがカトレイア侯爵家の事情だった。
「壊さないように手加減するの、結構大変なんだよ。だから……大人しく、退いてくれると助かるんだけど」
「クッ……!」
家令が悔しそうに表情を歪めて、周囲にいる兵士にも動揺が走る。
すでに屋敷を警備していた精鋭の多くは倒されており、最終防衛ラインまで到達されてしまった。
ここを突破されるのは時間の問題。このままでは、ユーリを外に出してしまう。
(旦那様の命令を果たすため……やむを得ない、ここは命を懸けて……!)
「そこまでだ。我らの可愛い妹よ」
「貴方は……!」
家令が顔を輝かせて、振り返った。
閉じられていた屋敷の門の上、二十代半ばほどの年齢の若い男性が立っている。
「俺が帰ってきたからには、勝手が許されると思うなよ」
「トーヤ兄さん……」
そこにいた青年の名前はトーヤ・カトレイア。
カトレイア侯爵家の三男であり、ユーリを溺愛している兄の一人だった。
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