第135話 黒幕貴族はざまあされる

「クソッ……何故だ、どうしてこんな……!」


 戦場の片隅、負傷した身体を引きずって離脱を図っている人物がいた。

 かつて王国最強の魔術師の座を争ったはずの男……王太后派閥のまとめ役であるアイガー侯爵である。

 激しい戦いにより、アイガー侯爵は大怪我を負っている。

 もはや治癒に割く魔力も残っていない。

 どうにか止血をして、足を引きずりながら歩くのが精一杯だった。


「私は、王太后陛下に言われたとおりにやったはず……それなのに、どうして失敗する? どうして、私は敗北している……!」


 すでに帝国の魔術師から受けた催眠は解けている。

 クリアになった脳に浮かぶのは、ひたすらに疑問だった。


 敗北するなんて、あり得ないことだ。

 王太后の言うことは全て正しい。

 正しい言葉に従って生きてきたのに、どうして失敗する。どうして、不幸になる。


「うぐっ……!」


 どうして……倒れているのだ。

 負け犬のように這いつくばっているのだ。

 そうなるべきなのは、王太后の指示に従わない愚か者の方ではなかったのか。


「どうして……何故……」


「みっともない……今さら、情けないこと吐くじゃないか」


「ッ……!」


 ギクリと肩を震わせる。

 声に振り返ると……そこには、アイガー侯爵の半分も生きていない年齢の少年が立っていた。


「どうしてなんて決まっている。僕らの方が強くて、そっちが弱かった。戦いの結果がそれ以外の何で決まるっていうんだよ」


「おまえ、は……」


「ヴィルヘルム・リュベース。一応、男爵だよ」


 男爵。下級貴族だ。

 リュベースなんて名前は聞いたこともない。

 おそらく、田舎の数ある下級貴族の一つだろう。


「……正直、この結果は少しだけ不本意だ」


 倒れたアイガー侯爵を見下ろしながら、リュベースが独り言ちる。


「アイツが総大将であるローデルと戦っていて、俺の相手が死にぞこないの爺って……平原に続いて、ここでも二番手かよ」


 リュベースが明後日の方向に顔を向ける。

 王国軍の本陣がある方向だ。そこから急に喝采の声が上がる。

 誰か、名のある将でも討たれたのだろうか。


「あーあ……やっぱり勝ちやがった。予想通り過ぎて退屈な結果だよ」


 リュベースが不満そうに唇を尖らせる。

 アイガー侯爵という反乱軍の事実上のトップを前にしながら、あまりにも気のない態度である。

 死にかけの虫に向ける意識などないと言わんばかりに。


「ッ……!」


(……舐めおって!)


 アイガー侯爵の脳が沸騰する。

 舐められている。侮られている……公爵である自分が。

 王太后によって側近として選ばれ、派閥の長に命じられた自分が……たかが男爵の子供に馬鹿にされている。


(糞餓鬼が……私が、もう戦うことができぬとでも思ったか……!)


 確かに、アイガー侯爵は瀕死に近い重傷を負っている。

 だが……止血に費やしている魔力を使えば、あと一撃くらいは魔法を発動できる。


(どうせ逃げられない……ならば、この餓鬼を……未来ある若造を道連れにしてくれる!)


 偉大なる王太后に会ったこともない子供に舐められるなど、許し難い。

 アイガー侯爵は身体に残った全魔力をかき集め……人生最後となる魔法を発動させる。


「【風……」


 しかし、最後まで言い切ることができなかった。

 何故なら……次の瞬間には、アイガー侯爵は空を飛んでいたから。


(へ……?)


 鳥のように飛んでいる。

 大地を、戦場を、生意気な若造を。そして……自分自身の身体を見下ろしている。


(首が……ない……?)


 見下ろした自分の肉体には首がなかった。

 そして、最後の魔法によって斬り裂かれているであろう少年が剣を振り抜いている。

 先ほどまで、剣に手をかけることもなく暢気に会話をしていたというのに……。


「ああ……言い忘れた」


 リュベースが言う。どうでも良さそうに。


「手柄になってくれて感謝する。アイツほどではないが……ここは二番手で甘んじてやるさ」


 何のことだろう……疑問が浮かぶと同時に、アイガー侯爵が地面に墜落する。

 目の前が真っ黒に塗りつぶされ……王国を脅かした老獪な宿老の意識は、永遠に戻ることのない暗闇に消えたのであった。

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