第111話 王が生まれた日

 魔境の主……腐食の邪獅子サブノックは悠然と歩いていく。

 青色い体毛を揺らし、複眼で前方を見据え……立ちふさがっていたはずのレストとリュベースを無視して、真っすぐに進んで行った。


「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOO!」


 サブノックは生まれながらにして『王』であることを約束されていた。

 生まれた場所は魔境と呼ばれる土地の中心部。

 彼の両親である腐食獣のつがいは同族や他の魔物との生存競争に勝ち抜き、その地を産屋として手に入れた。

 地中から噴き出す芳醇なマナの力を受けて生まれ落ちた子獅子は五匹。生まれてからすぐに共食いをして……後に王となるサブノックだけが生き残った。


『天上天下唯我独尊』


 もしもそのサブノックが人の言葉を操ることができたのなら、きっとそんな言葉を口にしていたことだろう。

 膨大なマナを浴びて生まれ、兄弟を喰らってさらに力を高めた子獅子はすぐに大きくなり、父母を喰い殺して巣立ちした。


 そこから先は戦いの日々。

 魔境の魔力を狙ってくる魔物と戦い続け、殺し、喰らう毎日だった。

 いつの間にか……子獅子は同種の魔物と比しても驚くほど巨大に成長しており、周囲には彼を王として崇める配下で満ちていた。

 魔境の主として確固たる地位を築いたサブノックであったが……続いて、戦うことになったのは『人』と呼ばれる生き物である。

 魔境は作物が育ちやすく、特殊な魔法で噴き出すマナを利用すれば確実に都市として発展する。

 魔境を開拓するべく、幾人もの指導者が軍を送り込んで『王』を討伐しようと試みた。

 サブノックは配下の腐食獣を率いて、そんな身の程知らずの人間を叩き潰していった。


『我は王である。王の土地を荒らすことは不敬である』


 サブノックが人を襲ったのは喰らうためではない。覇者としての矜持のためだ。

 自分達のナワバリを荒らす人間を生かしておいては、己の王としての尊厳に傷がついてしまう。

 ゆえに、追い返さなければならない。

 徹底的に殺して、潰して、踏みにじって……自分達のナワバリを踏み荒らす愚者に身の丈を教えてやる必要がある。


 サブノックの行動は正しかった。少なくとも、彼はそう思っている。

 人間を適当に殺して回ってからというもの、彼らがナワバリとしている魔境の奥地に踏み入る者はいなくなっていた。

 腐食獣らの平穏な時間は二十年ほど続いた。


「よし、ゆくぞ。こんなクマでは足りぬ。もっと大物をしとめてくれる!」


 しかし、人間は恐怖を忘れる生き物である。

 その日、久しぶりに人が腐食獣のナワバリに踏み込んできた。

 人が彼らの領域にやってくるのは二十年ぶり。軍隊ではなく、入ってきたのはごく数人だった。

 無視してもいい。迷い込んだ虫をいちいち追いかけるほど、サブノックは暇ではなかった。


 しかし……こともあろうに、その小虫は不快極まりない匂いを焚いてきた。

 魔物の闘争意欲を刺激する特殊な匂い……人が『魔寄せ』と呼んでいる香の臭さだった。

 自分達をおびき寄せて、罠にでも嵌めるつもりなのだろうか……非常に不愉快なことである。

 魔寄せによって正気を無くすのは、知恵を持たない下等な魔物だけ。

 王である自分をそんな下賤と一緒にするなど、何という不敬なことだろう。


「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOO!」


 サブノックは愚かな人間を一蹴した。

 生死までは確かめない。そんなことよりもやるべきことがある。

 こんなくだらない真似を仕出かしたのだ。人は『王』の恐ろしさを忘れてしまったらしい。

 二十年前と同じように、殺し、潰し、踏みにじり……自分達が人の力の及ばぬ存在であると思い知らせてやらねばなるまい。

 王は若い配下を率いてナワバリから出て、人間が集まっている方角へと直進していく。

 奴らに身の丈を教えてやろうと適当に殺して回ることを決める。

 興が載ったのであれば、人間が密集している王都を潰してやってもいいだろう。


 ナワバリを出た王の前に二匹の小虫が出てきて攻撃を仕掛けてきた。

 配下を殺せる程度にはできた虫だった。

 しばらく遊んでやったが……やがて時間の無駄であると気がついて、無視して進んで行くことにした。


『いかに強くても虫は虫。獅子を殺せるわけもない』


 自分は『王』なのだ。

 足を虫にまとわりつかれようと、配下の弱きものが殺されようと……足を止めるわけにはいかない。

 正しい道を進みから王なのではない。王が歩いた後に道ができ、それが王道となるのだ。


 サブノックは突き進む。

 自らの道を示さんがため、己の誇りのためだけに人間を駆逐しようとした。


「【星喰】」


「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッッッッ!?」


 しかし……サブノックはすぐに足を止める羽目になった。

 人生で初めて、痛みからの絶叫を上げる。

 痛みの原因にはすぐに気がついた……振り払ったはずの虫がいつの間にか飛び跳ねて、背中に乗ってきたのだ。


「【星喰】」


「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOO!?」


 再び、ゾッとするような言葉と共に激痛が走った。

 小虫の手にある黒い球体によって、『王』である魔境の主サブノックの背中の肉がえぐり取られたのである。

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