第107話 ローデル王子は狂乱する②
サブノック平原の奥地。
魔境の主である魔獣サブノックが君臨する中心部からやや離れた地面に、一人の少年が倒れていた。
「う……あ……」
少年がか細い息を漏らす。
満身創痍。全身がボロボロになっており、手足があらぬ方向に折れ曲がっている。
肋骨も何本か折れており、脳を刺す痛みがどこから発生しているのかもわからぬほど体中が痛かった。
(何故……私は……いったい……?)
少年……ローデル・アイウッドがおぼろげな意識で思考する。
ここに至るまでの経緯が思い出せない。
よほど強い衝撃でも受けたのだろうか……記憶が曖昧で、自分がどこにいるのか、どうして倒れているのかもわからなかった。
「痛……!」
ハッキリしているのは全身の痛みだけ。
意識を保っているのが不思議なほど、とにかく痛くて辛くて苦しくて仕方がない。
いっそのこと気絶してしまえば楽になるだろうに……まるで目に見えぬ何者かが天罰を与えているかのように、ローデルが意識を手放すことを許さない。
(そうだ……今日は魔猟祭だったな。私はゴウラやトニーと一緒に平原に入って、魔物を狩っていたはず……)
「ぐう……ゴウラ! トニー!」
ローデルが肺から空気を絞りだして、取り巻きである二人の名前を呼ぶ。
「いないのか!? 早く、来い!」
主君である自分が呼んでいるというのに、従者二人がいっこうに現れる様子はない。
ローデルは不心得な二人に表情を歪め、それでも力を込めて叫ぶ。
「この私が呼んでいるのだ! さっさと出てこい……!」
身体を動かそうとするが、痛みが強くてまるで自由にならない。
それでも、どうにか動かすことができる首を起こして周囲を確認すると……やや離れた場所に、見慣れた大柄な体躯を発見した。
「ゴウラ!」
それは従者であるゴウラ・ドーラ伯爵子息の背中だった。
筋肉質な背中、髪を短く刈った後頭部は見間違えようがないものである。
ゴウラは平原に生えた
「ゴウラ、何をしている!? 私はここだ!」
「…………」
「さっさと助けに来い! 聞こえないのか!?」
「…………」
ローデルが必死に叫ぶが、ゴウラはピクリとも動かない。
二人の距離は数メートルほど離れているだけ。声が聞こえないわけでもあるまいに。
「ゴウラ……?」
何度か名前を呼んで、ようやくローデルは異常に気がついた。
不審に思いながらも従者の背中を見つめると……何がきっかけになったのだろう。不意にゴウラの身体が仰向けに倒れる。
「ヒッ……!?」
ローデルがいる方に倒れてきたゴウラであったが……その身体は上半身しかなく、腰から下がなくなっていた。
強酸で溶かされたように下半身を失った側近の姿を見て、ローデルは吐き気が込み上げてくるのを感じた。
「ゴウ、ラ……冗談、だろう……?」
もちろん、上半身だけとなったゴウラは応えない。
光を失った二つの眼球がぼんやりと空を見上げている。
「そう、だ……私は、たしか……」
親しい知人の死が心を揺さぶり、それが切っ掛けとなって記憶が蘇る。
ローデルは魔物を倒しながら平原を奥へ奥へと進んでいき、立ち入り禁止となっている境界線上までやってきたのだ。
そこから先は魔境の主である『サブノック』という魔獣のナワバリである。
決して入ってはいけないと、魔猟祭開催前の説明では厳しく伝えられていた。
『フン……くだらぬな』
しかし、ローデルはそんな禁忌事項を鼻で笑う。
いかにサブノックが強力な魔物であったとしても……所詮は獣。取るに足らない魔物の一匹でしかない。
神に選ばれた才能の持ち主である自分の敵ではないと、ローデルは驕り高ぶった心で断定した。
『サブノックのナワバリに入ってはいけない……入らなければ文句はないのだろう?』
ローデルは二人の取り巻きに命じて、とあるマジックアイテムを取り出させた。
それは魔猟祭に参加するにあたり、後援者であるアイガー侯爵が用意してくれた物……強烈な『魔寄せ』の力を持った
『魔寄せ』というのは『魔除け』とは逆に、魔物を引き寄せることができるマジックアイテムである。
その松明から出る煙は魔物の闘争意欲を強く刺激して、攻撃的にしておびき寄せる効果があったのだ。
側近のゴウラが『魔寄せ』に火を着けると、そこから赤い煙が噴き出した。
そして……変化はすぐに生じた。ズシンズシンと地鳴りのような足音を立てて、平原の奥地から六本足の巨大な魔獣が現れたのである。
「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
鼓膜を貫くような絶叫と共に姿を見せたのは、見上げるほどの巨体の獅子だった。
六本の足があり、裂けた大きな口がある頭部には、いくつもの眼球が点在していて赤く輝いている。
口から地面に垂れ流される唾液がとにかく臭い。唾液が地面に落ちるたびに草木が腐食して、死を撒き散らしている。
腐食の邪獅子『サブノック』
サブノック平原をナワバリとしている魔境の主が現れたのだ。
『なっ……!』
『これは……!』
魔境の主とでも呼ぶべき敵の出現に、さしものローデルも凍りついたものである。
しかし、すぐに自分の目的を思い出して魔力を練った。
『よし、殺るぞ! アイツを殺して、この私こそが王者であると思い知らせてやる!』
先王を含めて、歴代の国王が討伐できずに放置していた災厄の魔獣。
それを打ち滅ぼすことによって、ローデル・アイウッドこそが次代の国王にして歴史的英雄であると人々に思い知らせるために魔猟祭に参加したのだ。
ローデルは二人の側近を率いて巨大な魔獣に果敢に挑んだが……その結果が現状である。
ローデルは全身を骨折して地面に横たわっており、側近の一人は絶命。もう一人は生死不明となっていた。
「どうして……何故、こんなことに……」
ローデルは生まれて初めてかもしれない……自分の行いを心から後悔した。
「私は……選ばれた者のはず……そうだ。そうでなくてはいけない……そうだとお祖母様も言っていたではないか……!」
王太后である祖母が言っていた。
ローデルは英雄であると。歴史を動かすことができる神に選ばれた人間であると。
その言葉を信じて、これまで生きてきたというのに……これが天に愛された人間の末路だというのだろうか。
王太后は一度として間違ったことは言わなかった。
いつだって正しい。だからこそ、多くの信奉者に恵まれていたのだから。
「まさか……わたしは、間違っていたのか……?」
自分は間違っていたのだろうか。
選ばれた人間ではない、ただの有象無象だとでもいうのか。
それならば……これまでの人生は何だったのか。
自分は特別な人間だから許されると思っていた所業は、踏みにじってきた人間達はどうなるというのだろう?
「私、は……なんだ……?」
「おお、こちらにいましたか。ローデル殿下」
「…………!」
「探しましたぞ。我が君よ」
聞き知った人間の声がかけられる。
首を巡らせて声の主を確認すると、穏やかな表情を浮かべた初老の男性……アイガー侯爵がローデルのことを見下ろしていた。
「迎えに来ましたぞ。私めがお連れいたしますので、すぐに平原を出ましょう」
アイガー侯爵が穏やかな口調で言いながら、ローデルに治癒魔法を施した。
この場で完全な治療は難しいが……応急処置くらいにはなるだろう。
アイガー侯爵は治療を終えると、ローデルを背負って平原を歩き出した。
「ま、待て。待ってくれ!」
ローデルは慌てて叫んだ。
「そこにゴウラの亡骸が……それにトニーがいないのだ! 二人を置いて、私だけ逃げるわけには……」
「ああ……ゴウラ・ドーラ伯爵子息ですか」
アイガー侯爵が少し離れた場所に転がっているゴウラの上半身に目をやった。
「殿下の命令に従って死ぬことができるとは……羨ましいことです。きっと彼も幸福だったことでしょう」
「幸福、だと……この死にざまが……?」
「ええ。偉大なりし王太后陛下に認められた殿下のために命を捧げることができたのです。これ以上の幸福があるものでしょうか!」
アイガー侯爵が鼻息を荒くして、断言する。
「トニー・ボイル子爵子息も向こうで魔物のエサになっていましたが……きっと本望でしょう。殿下が気になさることではありませぬ。貴方は王者として思うがままに生きることだけを考えれば良いのです……それが王太后陛下の望みなのですから」
「…………!」
背負われたローデルからはアイガー侯爵の顔は見えない。
しかし、その顔が歓喜と狂気に染まっていることは声からでも想像がつく。
(何だ……この男は、いったい何を言っている……?)
この時、ローデルは初めて自分を主君と崇める人間の異常さに気がついた。
王太后の……祖母の名前を出す彼らは明らかに常軌を逸しており、まるで正気を無くしているようだった。
(私は……このまま、信じて進んでも良いのか……この男を、お祖母様の言葉を信じても良いのか……?)
アイガー侯爵に運ばれながら、ローデルは自問する。
己の愚かさをようやく自覚したローデルであったが……あるいは、気がつかなかった方が彼にとって幸せだったのかもしれない。
ローデルによって呼び起こされたサブノックは平原の奥地を離れ、外縁部に向かって直進している。
サブノックに追い立てられて、他の魔物もまた平原の入口に押し寄せる。
それによって生まれた被害。犠牲になった友人の死体を前にして、ローデルが人生初めての罪悪感に押し潰されたのであった。
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