第105話 とある天才剣士の憂鬱

 何匹もの、何匹もの魔物が平原の中心から入口に向けて駆けていく。

 途中で遭遇した人間を襲いながら移動する魔物であったが……不思議なことに、彼らの瞳に浮かんでいるのは餓えや敵意ではない。

 彼らの瞳の感情をあえて形容するのであれば……『怯え』である。

 魔物は何かに恐怖し、追い立てられるようにして平原を外縁に向かって駆けていた。


「面妖なことだ……いったい、これらは何を恐れているのだ?」


 不思議そうにつぶやいて、一人の少年が手にした剣を払う。

 刃についた血が飛んで地面に生えた草を濡らす。

 少年の周囲には無数の魔物が死骸となって倒れており、地獄のような有り様となっていた。


「す、すごい……あの数の魔物をたった一人で……!」


「これが天才剣士……ヴィルヘルム・リュベースか!」


 周囲にいた生徒達が畏れを込めた称賛を送る。

 この場にいた魔物を鏖殺おうさつして、襲われていた生徒達の命を救ったのはヴィルヘルム・リュベース。騎士科一年生で最強と呼ばれる男子生徒だった。


 リュベースは執行部のメンバーではない。

 しかし、騎士科一年生トップの成績を買われて救助隊に加えられていた。

 元々、貧しい下級貴族の出身者である。相応の報酬を提示されたことで一も二もなく食いついた。


 先ほど、リュベースに救助されたのは騎士科と魔法科の混合チーム四名。

 ライバル関係にある学科に所属していたが、それとは関係なく友人関係にあって一緒に参加していた者達だ。

 魔物が押し寄せてきて、あわやという危機をリュベースに救い出されたのである。


「あの剣技……騎士科の三年生よりも上なんじゃ……?」


 一人の生徒がゴクリと固唾を飲む。

 魔物を倒したリュベースの剣技は学生レベルを超えており、プロの騎士と比べても遜色のないものだった。

 これが一年生だというのだから、もはや天才と呼ぶしかないだろう。


「……もしかして、この魔物は逃げてきたのか? 平原の奥地から、何者かに追い立てられて」


 救出した生徒達を無視して、リュベースはブツブツと独り言をしている。

 助けた生徒のことなどどうでも良いというふうに。


「これは……!」


「優良物件だわ……!」


 リュベースの剣技を目撃した男子生徒が戦慄する一方で、女子生徒は瞳を輝かせている。

 リュベースは下級貴族出身者とのことだが……この実力を見るに、そこで終わるような人間ではない。

 卒業後は騎士団に入り、出世ルートに入るに違いない。


(ここで彼に助けられたのは良い機会だわ……!)


(上手くモノにすることができれば、いずれは高位貴族の夫人になれるかも……!)


 将来性は抜群。婚約者がいるという話も聞かない。

 容姿はやや地味。ざんばらに伸びた髪を紐で雑にまとめて、長い前髪で目元を覆っている。

 まるでオシャレに関心がなさそうに見えるが……見る目のある者が見れば、リュベースの顔立ちがそれなりに整っているとわかった。


 下級貴族の子女である二人の女子生徒が顔を見合わせ、頷き合う。

 友人同士のアイコンタクト。どっちが勝っても文句は言いっこなしの合図である。


「キャッ! 怖かったわあ!」


「リュベース様、助けてくれてありがとう!」


「ひえっ」


 二人の女子生徒が左右からリュベースに抱き着いた。

 ブツブツとつぶやきながら考え事をしていたリュベースが驚いて跳ねる。


「ぼ、僕に触るな寄るな近づくなっ! その胸についた駄肉を押しつけるんじゃない!」


「へ……?」


「だ、だにく……?」


「た、助けてやったんだからさっさとどっかに行けよ! 平原の入口はアッチだ。僕に構わずに早く避難しろよ!」


「「…………」」


 リュベースが警戒心の強い獣のように叫びながら、二人の女子生徒から距離を取った。

 そこで初めて、彼女達はリュベースがとんでもないレベルの女嫌いであることに気がついた。


「あー……悪いな。助かったよ」


「それじゃあ、避難させてもらう。ありがとうな」


 一緒にいた男子生徒達が女子二人を回収して、平原の入口に向けて去っていった。

 女がいなくなったことで、リュベースが安堵の息を吐く。


「ハア、ハア……まったく、これだから女ってやつは……」


 それよりも……とリュベースは思考を再開させる。

 今回の突発的な魔物のスタンピード。原因は何者かが平原の主を刺激したことだと推測した。


(魔境の主……サブノックを刺激したことで、奴が動いてしまったんだ。それで魔物が逃げてきて、結果的に攻め込んできたように見えたんだろう)


 リュベースはそんなふうに推測して、平原の奥に目を向けた。


「ん……?」


 そこでリュベースは気がついた。

 何者かがとんでもない速度で走っていく。

 リュベースの動体視力がなければ気がつかなかったほどのスピードである。


「まさか……挑もうとしているのか。魔境の主に。建国以来、誰も討伐することができなかった大魔獣に……」


 無謀である。愚かである。蛮勇である。


「だが……面白い」


 リュベースが凶暴に笑った。

 生まれながらの剣の申し子。天才と称されるリュベースの胸が躍る。


「征くか……!」


 リュベースが駆け出した。

【超加速】による強化にも匹敵するような速度で平原を走り、先に行った何者かの背中を追いかけていったのである。

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