第104話 とある教師の憂鬱
「イヤ……もう嫌だ……!」
「助けて……死にたくない……」
平原を二人組の女子生徒が走っている。
二人は騎士科の三年生。魔猟祭の参加者だった。
仲の良い友人と五人で魔猟祭に出ていた彼女達であったが……突如として強力な魔物に襲われてしまい、仲間とはぐれて逃げているところである。
「こんなお祭り、出るんじゃなかった……」
手を繋いで必死に平原を走りながら、どちらともなく涙声でつぶやいた。
彼女達は親しい友人同士であったが……魔猟祭に参加したのはちょっとした気まぐれである。
二人は学園卒業後、それぞれの婚約者の家に嫁ぐことが決まっていた。
騎士団への入団などの職を目指しているわけでもないので、魔猟祭で良い成績を収めてアピールする必要もない。
もう三年生で卒業も近いので、友達との思い出作りでイベントに出たかったという軽い動機で魔猟祭にエントリーしたのである。
そんな甘えの結果は見ての通り。
現在進行形で逃げ回っており、平原の入口めがけて必死になって走っていた。
「もう嫌、嫌よ……どうして、こんなことになったの……」
「ニアは? ヨークは? ジャンは? みんなはどうなったの……?」
この場にいない友人の名を呼び、それでも重い脚を動かす彼女達であったが……他人の心配なんてしている場合ではない。
近くにあった丈の高い草むらの中から、狼の魔物が姿を現した。
「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「「キャアアアアアアアアアアアアッ!」」
二人が絹を裂いたような悲鳴を上げる。
現れたのは鱗で身体を覆った狼の魔物。平原にいる魔物の中では、強くもなければ弱くもないという程度の敵だった。
普段であれば、二人ならば問題なく撃退できるはずなのだが……逃げ回っていたせいで身体が疲れ切っており、武器も落としてしまっている。
今の二人はその狼にとって、タダのエサでしかなかった。
「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!」
狼が地面を蹴って、彼女達に飛びかかる。
しかし……二人と狼の間に大柄な影が飛び込んできた。
「ヌウンッ!」
「ギャンッ!」
剛腕が唸り、大剣が振るわれる。
鈍色の刃が狼を鱗ごと斬り裂き、真っ二つにした。
「ハア、ハア……お前達。無事か?」
「「オッドマン先生!」」
二人が目の前の男性の名前を叫ぶ。
女子生徒達の窮地を救ったのは騎士科の教員……ベイック・オッドマンである。
大柄な体格をした元・騎士団の教員であり、担当している科目『剣術』。騎士科でも指折りの『魔法使い嫌い』として知られている中年教師だった。
「立てるか? 平原の外まで送ってやる。あと少しの辛抱だから我慢しろ」
「先生……!」
女子生徒二人が感極まったように瞳に涙を浮かべた。
正直な話、彼女達はオッドマンのことが好きではなかった。
むさ苦しくて、暑苦しくて、とにかく根性論ばかりを口にしていて。
それでいて、女子生徒の胸や腰にやたらと目を向けてくるスケベな男。
男子生徒からは何故かそれなりの支持を集めているそうだが、女子生徒からは蛇蝎のように嫌われていた。
「先生、ありがとうございます……!」
「おかげで、助かりました……!」
しかし、命を救われた現状においては、当然のように見方も変わる。
二人の女子生徒はこれまで嫌っていたことを恥じながら、オッドマンに尊敬の眼差しを向ける。
(女子が俺に熱い視線を……気持ち良い!)
一方で、オッドマンは顔がだらしなく緩むのを必死になって堪えていた。
オッドマンとて、自分が女子生徒に良く思われていないことは薄々感づいている。
それなのに……今は二人が尊敬の目を向けてくる。それが堪らなく気持ち良かった。
(こ、この潤んだ瞳……俺に惚れているに違いない! ワンチャン、『卒業前の思い出に抱いてください』とかあるかもしれんぞ!?)
ベイック・オッドマン。年齢は四十一歳、独身。
かつては騎士団に所属していたが……女性関係のトラブル、具体的には同僚の女騎士へのストーカー行為が原因で除隊していた。
剣の腕を買われて学園に再就職したものの、いまだに色々とこじらせている。
ちなみに……彼が『魔法使い嫌い』になった原因は、かつて惚れていた同僚の恋人が宮廷魔術師だったことに由来していた。
(どうして、魔物が暴れ出したのかは知らぬが……こんな美味しいイベントを逃せるものか! これを機会に俺がいかに素晴らしく逞しい男であるかを見せつけてやる!)
平原のあちこちで生徒が襲われているというのに、不謹慎極まりない思考である。
こんな状況であるというのに、頭の中がイヤンウフンな妄想で占められているその男は、ある意味では大物なのかもしれない。
「よし……お前達、いくぞ。先生についてきなさい!」
オッドマンは鼻息も荒く言って、剣を握りしめて女子生徒二人を先導しようとする。
しかし……そんな彼らの周りを次々と草むらから飛び出してきた狼が包囲した。
「何っ!?」
「「キャアッ!」」
オッドマンが目を見開いて、女子二人が恐怖からお互いを抱きしめ合う。
彼らを囲んでいるのは先ほどと同じ狼の魔物。ただし、数が十匹近くもいた。
「これは……少々、不味いか……?」
オッドマンが思わず唸る。
倒すだけならば問題ない。仮にも騎士科の教師だ。無傷で勝てる自信がある。
だが……後ろの女子生徒二人を守りながら戦うとなれば、そう簡単にはいかない。
(不味いな……せっかく女子生徒にアピールできたというのに、ここで死なせてしまっては意味がない……!)
「グルルルル……」
低く唸って威嚇してくる狼の群れを前にして、オッドマンは焦燥から汗をかく。
(どうにかしなくては……最悪、片方は見捨ててどちらかだけでも……)
オッドマンはどっちを見捨てるべくか、さりげなく二人の顔を窺って容姿で助ける方を決めようとした。
しかし、オッドマンが決断をするよりも先に救いの手が差し伸べられる。
「【土槍】」
「ガウッ!?」
突如として地面から尖った土が突き出して、狼の一匹を串刺しにする。
それを皮切りに次々と出てきた土の槍が狼達を残らず駆逐した。
「これは……」
「無事ですか。オッドマン先生」
「お前は……!?」
現れた少年の顔を見て、オッドマンが目を見開いた。
猛スピードで駆けてきたのはオッドマンが担当している『剣術』の授業に受講者……魔法科一年生のレストである。
最初の授業で騎士科一年生の序列二位……ダニーラ・ベトラスを倒したことから印象に残っていた。
「どうして、お前がここに……!」
「生徒会執行部の活動中です。それよりも……直ちに平原の入口まで引き返してください!」
「何だと? 貴様に指示を受ける筋合いは……」
「どうやら、とんでもなくヤバい奴が動き出したようです……運営に王都まで生徒達を逃がすように伝えてください!」
レストはオッドマンの返事を聞くことなく、凄まじいスピードで走り抜けていく。
オッドマンであっても目で追うのがやっとの俊足だった。
「ヤバい奴、だと……いったいアイツは何を言って……」
「あの狼を一瞬で……素敵……」
「なんて洗練された力。素晴らしいわ……」
「なあっ!?」
オッドマンが思わず声を裏返らせる。
守っていた二人の女子生徒がウットリとした目になっており、レストが消えた方向を見つめていた。
「~~~~ッ!」
さっきまで、羨望と尊敬の眼差しを向けられていたのはオッドマンなのに。
狼の群れをまとめて倒したことで、彼女達の関心はレストに移ってしまっていた。
「やっぱり、魔法使いなんて大嫌いだ……!」
オッドマンが歯ぎしりをして、悔しそうに拳を握りしめたのであった。
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