第100話 狂信の臣は暗躍する
ローデルと二人の取り巻きが平原を進んでいく。
周りを見ず、ひたすら進んでいくローデルは気にしていないようだが……このままでは平原の深部、すなわち、この地を統べる主である魔獣サブノックのナワバリに足を踏み入れてしまう。
「まったく……本当にやらかしちまいそうですね。あのうつけ王子は」
そんなローデルを遠くから見つめ、一人の男性がため息を吐く。
黒衣を身にまとった中年男性である。
平原に点在して生えている木々の陰に隠れ、時に幻術の魔法を使いながら、ローデルの後ろを音もなく尾行していた。
(国王陛下が心配するわけだ……さっそく、魔境に踏み入ろうとしているんだから。ある意味では監視のし甲斐があるのかね?)
男は宮廷魔術師の一人、つまりローデルの父親である国王の臣下だった。
ローデルが魔猟祭に参加を表明したため、問題を起こさないか監視役としてその男が送り込まれたのである。
(そして、予想通りに立ち入り禁止の区域にまで進もうとしている……悪い意味で予想を裏切らない御方だな)
ローデルがこのまま進んでいけば、踏み込んではならないサブノックのナワバリに入ってしまう。
いくども開拓団を壊滅に追いやっている巨大な魔物を刺激するなど、あってはならない。
(いっそこのこと、ここでローデル殿下を魔物のエサにしたいくらいだ……いや、そうもいかないんだけどなあ)
監視役の魔術師が溜息を吐いた。
国王がローデルを処分することもなく、離宮に幽閉もしていないのは、ローデルが大きな火種だからである。
ローデルにもしものことがあれば、王太后の派閥の人間や隣国が動きかねない。
ローデルの死がどのような影響をもたらすのかわからないため、国王も迂闊に手を出さないのだから。
「とりあえず……あの馬鹿王子を止めますかね」
このままでは、ローデルが立ち入り禁止区域に入ってしまう。
その前に制止しなければいけない。必要であれば力ずくでも。
監視役の男が身を隠していた木の陰から出て、ローデルの前に姿を現そうとする。
「させるわけには、ゆきませんな」
しかし……監視役が姿を出すよりも早く、ゾッとするほど近距離から何者かの声が発された。
「ッ……!?」
耳元でささやかれた声に慌てて身構える監視役であったが、それよりも先に首の後ろを打たれた。
強い衝撃が首から脳幹までを突き抜け、声も出せずに地面に崩れ落ちる。
「カハッ……」
監視役が地面に横たわり、小さくせき込んだ。
地面に這い蹲りながら、どうにか力を振り絞って顔を上げると……そこには見知った顔の男が立っていた。
監視役が目を見開いて、その人物の名を呼ばう。
「お前、は……アイガー侯爵……!」
ベルリオ・アイガー。
ローデルの後見人であり、王太后派閥の筆頭格である人物だった。
若かりし頃は名の知れた魔術師であったとのことだが……王に選ばれた精鋭であるはずの男の背後を、易々と取って見せた。
「何、故……貴方が……」
「こんな老人に後ろを取られるとは、最近の宮廷魔術師のレベルも落ちたものだ。それに殿下を止めるつもりか? 一介の魔術師ふぜいが」
アイガーが倒れた監視役を見下ろして、吐き捨てるように言う。
虚ろでありながら、瞳の奥が酷く不気味に光っている。
現実を見ているようで、ここにはない深淵を見つめているような狂気的な眼差しである。
「敬愛すべき王太后陛下の寵愛を受けしローデル殿下の意志を妨げようなど、不敬である。たかが王の臣下ごときが控えるが良い」
「馬鹿、な……国王陛下に、逆らうつもりか……?」
「王などどうでも良い。あの御方の言葉は全てが正しい。逆らうなど許されることではない!」
盲信じみた言葉を口にしながら、アイガーが手をかざす。
その手に一メートルほどの長さの氷柱が現れる。
アイガーは尖った氷柱の先端を倒れた男に向けて、唇を震わせた。
「全ては偉大なる王太后陛下の御心のままに……」
「やめ……」
アイガーが容赦なく氷柱を振り下ろした。
ブシャリと湿った音が鳴り、アイガーの顔に赤い返り血が付着する。
男の身体からダラリと力が抜けて、地面に赤黒いシミが広がっていった。
「さあ、ローデル殿下。どうぞ思うがままになされよ。王太后陛下の意志のまま。全てはあるべき形に決まっていることなのだから……」
アイガーが恍惚とした笑みを浮かべる。
絶命した男から視線を逸らし、明後日の方向に向ける。
視線の先……・ローデルが二人の取り巻きを率いて、平原の奥に向かって歩いていた。
監視者に気がつくことなく去っていったローデルの背中。遠ざかるそれを見つめて、アイガーは深く深く腰を折って頭を下げたのであった。
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