第85話 下っ端貴族に勝負を挑まれました


「おい、お前!」


「ん……?」


 さて、帰ろうとしたところで乱暴な口調で声をかけられた。

 振り返ると……そこにはレストより二つか三つ年上の青年が立っている。


「お前がレストって奴だな? ヴィオラお嬢様とプリムラお嬢様の婚約者の」


「そうですけど……貴方は?」


「俺はニック・ベイル。ローズマリー侯爵家の家臣団の人間だ!」


 ベイルという名前は聞き知っていた。

 ローズマリー侯爵家の寄子にあたる貴族家だ。

 寄親よりおや寄子よりことは貴族における上下関係であり、上位貴族が下位貴族を監督し、保護するための上下関係である。

 王家と貴族のような明確な主従関係が結ばれているわけではないが、多くの場合、寄子の家は寄親を主家とみなしていることが多い。

 侯爵は王家の縁戚である公爵を除けば最高の爵位であるため、多くの寄子を抱えているのだ。


「言っておくが……俺はお前のことを認めていないからな! お前みたいなポッと出の奴がお嬢様二人を娶るなんて、絶対に許さないぞ!」


 ニックと名乗った青年がまなじりを吊り上げ、レストに怒鳴りつけてくる。

 ニックの後ろには何人か同世代の青年・少年がいて、同じように睨みつけてきていた。


(あー……まあ、無理もないのかな?)


 レストは苦笑いをした。

 主家の惣領であるアルバートが認めた娘婿を、どうしてニックらが非難する権利があるのかはともかくとして……彼らの気持ちはとてもわかる。

 前世でいうのであれば、学園のマドンナとクラスで目立たないオタクのモブキャラが付き合い始めたようなもの。

 周りの男達からしてみれば、納得できない部分があるのだろう。


(ヴィオラとプリムラほどの女性を嫁にするんだ。他の男の嫉妬を買うことくらい、当然のこととして受け入れなくちゃいけないよな)


「なるほど……それで、認めないからどうしようというんですか?」


 まさか、ケンカを売ってくるのだろうか?

 そうであるのならば、舐められないためにも灸を据えなければいけないが。


「俺と駆けっこで勝負しろ!」


「……駆けっこ?」


 勝負というのはわかるのだが……内容がまさかの駆けっこと言っただろうか?


「そうだ! ここからローズマリー侯爵領にある旦那様の屋敷まで、どっちが先に到着するか勝負だ! もしも俺が先にたどり着いたら、お嬢様達の婚約者を辞退しろ!」


「……駆けっことは、思いのほかに平和的なやり方ですね」


「当たり前だ! 味方で年下の魔法使いを相手に暴力を振るえるわけがないだろう!」


 ニックが腰に両手を添えて、憮然とした様子で胸を張る。

 素行に問題がありそうな青年ではあるものの……根っから悪い人間というわけではなさそうだ。


「ええっと……勝負するのはまあ、構いませんけど、婚約者の辞退はできませんよ?」


「何だとう!?」


「いや、お嬢様や旦那様と話して、正式に手続きも終わっている婚約です。自分や貴方が勝手に取り消せるわけないですよね?」


「ム……」


 レストが正論を述べると、ニックがわずかに怯んだ様子になる。


「……それもそうだな。だが、勝負はしてもらうぞ。こっちも振り上げた拳を簡単には下ろせないからな!」


「別に良いですよ」


 むしろ、良い機会である。

 レストがローズマリー侯爵家に婿入りするうえで、家臣団や寄子の貴族も認めさせなくてはいけない。

 こうやって、実力を示す機会が得られたのは望むところだ。


「婚約の辞退はできませんけど……もしも俺が負けた場合、旦那様に『自分は娘さんの婚約者に相応しくないかもしれない』と勝負の結果を報告しても構いません」


「言ったな……だったら、さっそく始めるぞ!」


「俺もやるぞ!」


「僕も参加する!」


 同じく、同世代の少年・青年達が手を挙げてくる。

 彼らもローズマリー姉妹の婿の座を狙っていたのだろう。

 力を見せつける良い機会だとばかりに、勝負への参加を主張してきた。


「ハッハッハ! 若い者は血の気があっていいなあ!」


「昔を思い出すよな……俺達もアルバートに絡んでケンカを吹っかけたもんだぜ!」


「誰が一等賞になるか賭けようか? ワシはディーブルの弟子を推すぞ!」


 一方で、周囲で様子を見ていた年配の魔術師達は微笑ましそうに笑い合っている。

 もしかすると、これはローズマリー侯爵家の恒例行事だったりするのだろうか?


(ローズマリー侯爵家は魔法の名門だけど、わりと脳筋の人が多いんだな……奥様がそもそも暴走猪だし……)


 レストはわずかに呆れた気持ちになるが、陰湿な嫌がらせや影口を叩かれるよりも、こうやって正面から勝負を仕掛けてくれた方がずっと良い。

 軽く手足を伸ばしてストレッチをして、駆けっこ勝負の準備をする。


「よし……それじゃあ、始めるぞ! 準備は良いな!?」


 ニックが年配の魔術師の一人に目配せをした。

 その魔術師が頷いて、右手を上げる。


「全員、よーい……スタート!」


「【加速】!」


「【身体強化】!」


 年配の魔術師が合図を出すと、若手の魔術師達が一斉に走り出した。

 肉体を強化させる魔法を使用して、地面を蹴って猛スピードで疾走する。


「【身体強化】! 【加速】!」


 そんな中、ニックが二つの魔法を並列使用して群を抜いて駆けていく。

 偉そうなことを言うだけあって、二重奏デュオでの魔法発動を使用することができるらしい。


「スタートダッシュだ! このままぶっちぎって、ゴールまで……!」


「【超加速ハイ・アクセラレータ】」


 得意げに走っているニックであったが……その横を稲妻のように駆け抜けて、レストが通り過ぎていく。


「「「「「え……?」」」」」


 そのあまりのスピードに駆けっこ勝負の参加者は唖然としてしまい、遠ざかっていく背中を丸くした目で見送るのであった。

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