第83話 義父に人生相談しました


 バレリー伯爵領。

 そこはアイウッド王国でも有数の穀倉地帯であり、麦の産地として知られている場所だった。

 そこで生産される麦の収穫量はアイウッド王国全体の需要の十五パーセントを占めており、王国にとっては非常に重要な食糧庫である。


 そんな広々とした穀倉地帯の片隅。広い畑に幾匹もの魔物がいた。

 その魔物は猿によく似ている。大きさはチンパンジーと同じくらいだ。

 ただし、体毛は燃えるように赤く、口から唾液のように赤い火の粉が落ちており、ただの野生動物でないことは明白である


「ギャッギャッ!」


「ギャッ!」


「ギャーッ!」


 猿の魔物が畑に生えている作物を千切っては齧り、千切っては齧り……際限なくそれを繰り返している。

 満たされることのない飢えに突き動かされる食欲の怪物。このまま放置しておけば、畑を丸裸にしてしまいそうだ。


「なるほどな……生徒会執行部か。懐かしい話だな」


 そんな怪物を遠くに見つめながら、一人の男性が感慨深そうに口を開く。


「私も学生時代、執行部に入っていたんだ。実を言うと……妻とも、そこで出会った」


 苦々しい表情で語っているのは、ローズマリー侯爵家の当主にして宮廷魔術師長官であるアルバート・ローズマリーだった。

 アルバートは身体を低く伏せながら、息を潜めて小声で話している。


「そうなんですか? 初耳ですね」


 アルバートの言葉に、わずかに驚いた様子でレストが相槌を打つ。

 二人は何故か草むらに身を潜めており、畑を荒らす魔物を遠くに見つめながら話をしていた。

 話の話題は数日前の出来事。第二王子であるアンドリューから生徒会執行部に誘われたことについてである。

 その判断について婚約者であるヴィオラとプリムラはレストに決断をゆだねてくれたのだが……レストは一人で決めかねており、義父になる予定のアルバートに相談をしていた。


 執行部に入るのが嫌というわけではない。

 メリットはあると思う。そして……デメリットも。

 特に、第二王子とあまり親密にしてローズマリー侯爵家に影響はないものかと悩んでいた。

 レストがいかに姉妹に愛されていようと、所詮は入り婿予定の身分。

 ローズマリー侯爵家に迷惑はかけたくない。だが、姉妹はレストの行動を否定するようなことは口にしない。

 そこで……ここは人生の先輩の判断を仰ごうと、アルバートに助言を求めたのである。


 レストとアルバートは一年ほど前まで、かなり微妙な関係だった。

 自慢の娘を二人も取られてしまうことにアルバートはかなりヤキモキしており、レストに対して敵意を向けてくる場面もあった。

 しかし……最近では、レストに二人とも結婚させれば娘を嫁に出さずに済むと割り切ることができている。

 入り婿の先輩という立場から、アドバイスを送ってくれることもあった。


「ああ……当時の生徒会長は今のクロッカス公爵でね。私は二つ上の先輩だった彼に誘われて執行部に入ったんだ。そこには一学年上の妻も在籍していて、随分とこき使われたものだよ……」


「な、なるほど……」


 侯爵夫人とは思えないほど脳筋な性格をしたアルバートの妻を思い浮かべ、レストは苦々しい表情になる。


「まあ、そこで彼女に気に入られて婿入りすることになったのだから、そこまで辛い思い出ばかりというわけではないな。継ぐ家もない若造だった身には過ぎた幸運だよ」


「あー……なるほど。それでも、大変じゃなかったですか。執行部って。他の生徒から恨みを買ってしまいそうですし……」


「そういうデメリットがないとは言わないね。ただ……会長であるクロッカス公爵と懇意にすることができたし、執行部時代の功績もあって出世も早かったからな。私の場合はメリットの方が大きかった。もちろん、君の場合も同じとは思わないがね」


「…………」


「君の場合、会長であるアンドリュー第二王子殿下と親しくなれるのは大きいな。彼はおそらく王位に就くことこそないだろうが、臣籍降下した際には最低でも公爵以上の爵位を与えられるだろう。他国に婿入りする可能性もあるが……今の情勢としてはないだろうな。国内の貴族で年齢が近くて空いている家もない。もしも娘達に婚約者がいなかったのであれば、打診されていた可能性はあるだろうがね」


 アルバートは魔物から目を外さないまま、苦笑して肩をすくめた。


「もしも執行部に入るべきか迷っているようなら……まあ、入ってみれば良いんじゃないか? 個人的には『アリ』だと思っているよ」


「……大丈夫でしょうか。もしも俺が出しゃばったことをして、ローズマリー侯爵家に迷惑がかかったらいけないかと思っているんですけど」


「ウチの妻がそれを気にすると思うかい? 完全な杞憂だよ!」


 探るような口調のレストの言葉をアルバートが笑い飛ばす。


「アイリーシュならば間違いなく、『殺れ』と口にするはずだよ。執行部の生徒は確かに恨まれることも多いだろうが、仕事を十全にはたしていれば善良な生徒からは頼りにされる。それにレスト君の場合は平民枠での入学だからね。君がローズマリー侯爵家に婿入りすることを疑問視する人間もいるだろう。場合によっては、娘達を手に入れるために陥れようとする者だっているかもしれない。執行部に入って大いに活躍すれば、周りの見る目も変わるはずだ」


「なるほど……その発想はなかったですね」


 確かに、レストがローズマリー姉妹と親しくしていると睨んでくる男子達がいた。

 やっかみのようなものかと気にしていなかったが、低い身分の人間が侯爵家に婿入りすることへの不信もあったのだろう。


「生徒会に入るということは、レスト君が会長であるアンドリュー殿下の派閥に属しているものと周囲は扱う。無闇に敵対する輩はいなくなるだろうね」


「アンドリュー殿下の派閥に……でも、それって王太子であるリチャード殿下に睨まれたりしませんか?」


「両殿下は母君も同じで親しい間柄だから心配はいらない。もしも二人の年齢がもっと近くて、勢力が均衡していたのであれば派閥争いも激しかっただろうが……リチャード殿下がほぼ次期国王に内定している状態では、アンドリュー殿下の派閥はせいぜい『友達グループ』という程度の扱いでしかない。政治的な力はないから心配はいらないよ……おっと、準備ができたようだね」


 少し離れた場所から白い煙が上がる。

 別で動いていた人間達の準備ができたようだ。


「さて、レスト君。仕事の時間だよ」


「はい、当主様」


 レストとアルバートが茂みから立ち上がる。

 同じく、茂みに隠れていた他の魔術師達も姿を見せた。


「魔物狩りだ……蝗の群れを駆除するぞ!」


「はい!」


 アルバートが指示を出すと、すぐさまレストが魔力を練り上げる。

 畑の作物への被害を最小限に抑えるため、使うのは水の魔法だった。


「【水刃】!」


「ギャギャッ!?」


 放たれた水の刃が畑を食い荒らしていた猿の魔物の首に突き刺さる。

 紫色の体液が飛び散って、猿の首が宙を舞った。

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