第56話 セレスティーヌ・クロッカスは苦難中
王都貴族街。
いくつもの貴族達が邸宅を並べている区画の中央に、一際広く立派な建物があった。
白い外壁、青い屋根。季節の花々が咲き乱れる庭園。
豪奢でありながら不思議と嫌味ではなく、上品さを感じさせる邸宅である。
それはその屋敷の持ち主が単に金と権力を持った人間ではなく、その地位にふさわしいだけの品位と格式を持ち合わせていることを意味していた。
クロッカス公爵家。
アイウッド王国の筆頭貴族、当主であるヴェリオス・クロッカスは宰相の役職に就いており、血筋、地位、権威、財産……あらゆるものを有している。
王家に次いだ地位を持った、名実ともにナンバー2の大貴族。
そんな公爵家の屋敷。
二階にある一室の窓から、一人の女性が物憂げな顔を覗かせていた。
「……もうじき、学園入学ですわね」
「…………はい、お嬢様」
女性の言葉に、部屋の隅に控えるメイドが痛ましげな表情で応じる。
その女性……名前はセレスティーヌ・クロッカスという。
クロッカス公爵の一人娘であり、第三王子であるローデル・アイウッドの婚約者。
先日受けた王立学園の入学試験では、満点を叩き出して魔法科の主席に選ばれた才女である。
セレスティーヌはあらゆるものを有した完璧な淑女だった。
クロッカス公爵家という王家の流れを汲んだ名家に生まれて、魔法、勉学、運動……あらゆる才能を生まれ持っている。
おまけにダイヤモンドのような美貌の持ち主。
プラチナの髪は朝日を反射して美しく流れる滝のよう。白く透き通るような肌はまるで大粒の真珠。
鼻筋はスラリと通っており、唇は赤いバラ。瞳は深い紫色のアメジストと見まごうほど鮮やかな色を湛えている。
もしも幼少時に第三王子の婚約者に選ばれていなければ、周辺諸国の王族・貴族から結婚の申し込みが殺到していたに違いない。
だが……そんな完璧令嬢であるセレスティーヌの表情は暗かった。
セレスティーヌを悩ませ、表情を曇らせている理由は一つ。
婚約者であるローデル・アイウッド第三王子の存在だった。
「学園に入学したら、ローデル殿下の尻拭いの日々……きっと気が休まらない日々になりますわね……」
何度目になるのかわからない溜息を吐く。
ローデル・アイウッドは卓越した魔法の才能を有しており、いずれ賢者になれるのではないかというほど、将来を嘱望されていた。
しかし、残念ながら……ローデルは魔法の才能以外、一つとして尊敬できるところを盛ってはいない。
性格は傲慢そのもの。幼少時から、顔を合わせるたびにセレスティーヌに罵倒の言葉をぶつけてきた。
最近は年頃になって女遊びを覚えたらしくて、城で働いているメイドに手を出そうとしたり、気に入った貴族令嬢を密室に連れ込もうとしたりして問題を起こしている。
セレスティーヌもまた、ローデルに迫られたことがあった。
いくら婚約者とはいえ婚前交渉などあり得ないと拒否したところ、暴力まで振るわれそうになってしまった。
たまたま近くにいた人間が止めてくれなかったと思うと、今でも背筋がゾッとする。
(どうして、私があんな男と結婚しなくてはいけないのかしら……王立学園に入学したら、絶対に問題を起こすに決まっていますわ)
セレスティーヌが主席に選ばれた際にも、「自分を差し置いて、どうして女のお前が!」と怒り狂い、周りの家具を破壊して暴れていたそうだ。
学園に入学すれば、きっとまた新しく問題を起こすに違いない。
そして……その問題の後始末をするのは、婚約者であるセレスティーヌを置いて他にはいない。
あんな男でも王子だ。立場としても、地位としても、セレスティーヌ以外に諫められる人間はいないのだから。
(本当に……恨みますよ。お爺様)
セレスティーヌがローデルと婚約することになったのは、祖父である前・クロッカス公爵のせいである。
前・公爵は人が好く、ついでにローデルの祖母である王太后のことを慕っていた。
王太后は自分とよく似ている容姿のローデルを溺愛していて、加齢と病によって先が見えてくると、ローデルの行く先を案じていた。
王太后はローデルの将来のため、前・公爵に頼み込んで幼いセレスティーヌとの婚約を取りつけたのだ。
セレスティーヌにも、父親である現・公爵にも無断で結ばれた婚約にクロッカス公爵家の大多数の人間が唖然とさせられた。
その頃にはローデルは『ワガママ王子』として有名であり、婚約者になってもメリットよりも苦労の方が大きいのは目に見えていたからだ。
おまけに、クロッカス公爵家の側からは婚約を解消することができないと魔法契約で結ばれてしまっており、ローデルとの婚約を破棄することはできなかったのだ。
これには現・公爵も父親に失望して、領地の端にある小さな屋敷へと追放した。
しかし……前・公爵がいなくなっても、婚約関係が失われるわけではない。
セレスティーヌは成長しても少しも変わることのない傲慢な婚約者に振り回され、とうとう王立学園に入学する年齢になってしまったのである。
「いっそのこと、アッチから婚約破棄してくれたらいいのに……」
「……心中、お察しいたします。お嬢様」
セレスティーヌとメイドが同時に溜息を吐いた。
残念ながら……ローデルはいくらセレスティーヌに暴言を吐こうとも、婚約を破棄する様子はなかった。
セレスティーヌとの婚約が自分の将来にとって重要なものであると、わかっているのだろう。
だったらセレスティーヌのことをもっと大切にしろというのは、クロッカス公爵家の人間ほぼ全員が考えていることである。
(アレと婚約破棄できるのなら、次の婚約者は誰だっていいわ……平民だろうと下級貴族だろうと、いっそのこと、他に女がいても構いませんのに……)
そんなことを考えるほど、セレスティーヌは追い詰められていた。
学園入学まであと二週間。
入学すれば、毎日のようにローデルと顔を合わせることになる。
「ハア……」
セレスティーヌは処刑を待つ大罪人の気持ちで、何度目になるかもわからない溜息を吐くのであった。
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