第55話 ユーリ・カトレイアは逃走中

「お、お待ちくださいお嬢様ああああああああああっ!」


「ハア、ハア! 止まってくださいっ! 本当にいいいいいいいいいいっ!」


「止まれと言われて、止まる者がどこにいる!? 追いかけられたら逃げるに決まっているだろう!?」


 それは王立学園入学試験。平民枠の試験が終わった直後のこと。

 王都の街中を一人の少女が疾走しており、その後ろから息を切らした騎士が何人も追いかけている。


「き、騎士団長が……カトレイア侯爵様が貴女を連れてくるようにと申しております! どうか止まってくださいませえええええええええっ!」


「止めてみせろ! それでも騎士か!?」


 複数人の騎士の追跡を振り切り、街中を走り回っているのは入学試験でレストと交流を結んだ女子……ユーリ・カトレイアだった。


 入学試験の面接が終わり、試験会場から出たユーリ。

 せっかくだから、仲良くなったばかりの少年を夕食にでも誘おうと考えていた矢先、待ち構えていた騎士に捕まりそうになってしまった。

 ユーリは類まれな身体能力によって彼らの追跡を躱して、街中を逃げ回っている。


「私はすでにカトレイア侯爵家を勘当された身……父の情けによって姓を名乗ることは許されているが、すでに侯爵令嬢ではない! ゆえにカトレイア侯爵の呼び出しに応じる義務はないものと知れ!」


 ユーリは一ヵ月前、父親であるカトレイア侯爵と喧嘩をして家を飛び出していた。

 その際、「出て行くのなら勘当だ! 二度と我が家に戻ってくることは許さぬ!」と言葉をぶつけられている。

 亡くなった母と同じカトレイアの名前だけは奪われていないものの、すでに自分が侯爵家の人間であるという意識はなかった。


「いや、だからそれは言葉の綾なんです! 売り言葉に買い言葉で言ってしまっただけと騎士団長様は後悔してまして……」


「もはや私は自由だ! 何者にも縛られることはない!」


「話を聞いてくださいいいいいいいいいいいいいっ!」


 叫ぶ騎士の言葉をまるで聞くことなく、ユーリが建物の屋根から屋根へと飛び移り、猫のように身軽な動きで駆けていく。


「ユーリ様! お嬢様ああああああああああっ!」


 騎士が叫ぶ中、ユーリの表情は晴れ晴れとしていた。


 ユーリは五人兄妹の末っ子だった。

 上にいる四人はいずれも兄ばかり。ユーリはカトレイア侯爵家の唯一の女子だった。

 容姿が亡くなったカトレイア侯爵夫人と瓜二つだったこともあって、ユーリは父親と兄から溺愛されて生きてきた。

 領地にある屋敷からほとんど出してもらえず、たまに外出させてもらったと思えば、父の部下が護衛として最低五人はついている。

 兄達が庭で訓練をしているのを見て、剣術を習いたいと父親にお願いしたが……綿の入った棒を手渡され、おままごとのような剣術訓練だけしかさせてもらえない。

 おかげで、部屋で隠れて筋トレをすることしかできず、無駄に運動神経が良くなってしまった。


 十五歳になるまでそんな扱いを耐えてきたユーリであったが……この年、とうとう我慢できないことが起こってしまう。

 王立学園に入学するものだとばかり思っていたのに、父親が大反対してきたのだ。


『ユーリが学園に入学してみろ! きっと悪い虫がどんどん寄ってきて、求婚者の群れで溢れかえってしまう! 勉強がしたいのなら家庭教師を雇えば良い、領地にある屋敷からは出さんぞ!』


 その言葉に、ユーリは生まれて初めて父親に激しい怒りを抱いた。賛同した四人の兄にもである。

 学園に入学すれば、鳥籠のような屋敷から抜け出して……新しい世界に旅立つことができると思っていた。

 友人を作り、様々な経験をして……世界の広さを知ることができると信じていた。


 それなのに、憧れていた学園に通うことができない。

 父親のことは尊敬しているが……それでも、許せることではなかった。


 結果、ユーリは父親と大喧嘩をして屋敷を飛び出した。

 母親の実家から平民枠で試験を受けるための推薦状を貰って、騎士団長である父親の影響力の薄い魔法科を受験したのである。


「私は自由だ……これが世界!」


 王都にある時計台のてっぺんに立って、ユーリが夕暮れの空に向かって両手を広げる。

 朝に昇ったときには初めて見る王都の光景に魅入ってしまい、うっかり落ちてしまったが……同じ愚は犯さない。

 ユーリは夕暮れのオレンジの明かりに包まれた王都を見下ろして、満面の笑みを浮かべた。


「さあ、友達を百人は作るぞ! 色々な場所に行って、たくさんの物を見るんだ!」


 世界はどこまでも広がっている。

 ずっと領地の屋敷に閉じこめられていて、狭くなってしまった世界を広げていくのだ。


「そして、見つけるぞ…………素敵な旦那様を!」


 ユーリは夕日に向かって高々と叫ぶ。


『尊敬できる立派な男性を見つけて、素敵な恋をしなさい』 


『その人と子供を作って、幸せな家庭を築きなさい』


 それが亡くなったユーリの母親が言い残した遺言である。

 ユーリが王立学園に入学するのを目指した理由の一つが、母親の言葉に従って理想の伴侶を探すためだったのだ。


「王都に出て初日……さっそく、友達ができて、素敵な男を一人見つけたぞ! この調子で頑張ろう!」


 眼下で騎士達が探し回っているのを尻目に、ユーリは夕日にそんな宣言をしたのであった。

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