第52話 追いかけてきました


「用事は終わった。出してくれ」


「わかりました」


 ローズマリー侯爵家の馬車に戻ったレストは、もう用はないとばかりに馬車を発進させてもらう。

 もう二度とエベルン名誉子爵家を訪れることはないだろう。

 ここはもはや自分の帰る場所ではなくなっている。


「…………」


 馬車の座席に座り、窓に頬杖をついて外の景色を眺める。

 レストの脳裏に浮かんでくるのは名誉子爵家の屋敷での出来事。

 父親が絶望に沈み、義母が錯乱して金切り声を上げる姿である。

 自分を虐げてきた人間に打ち勝った。彼らにギャフンと言わせてやった。

 肩の荷が下りたような感覚がある。やり遂げたという清々しさも。


(だけど……何故だろうな。やり残したことがあるような、心にポッカリと穴が開いているような気分だよ)


 エベルン名誉子爵家との因縁に決着を付けたはずなのに、不思議と満たされない感覚。

 物足りない。フルコースのディナーのはずなのにデザートが欠けていたような満ち足りない気分。

 この心の空白は何処からやって来るんだろう……そんなことを考えていると、ふと感じるものがあった。


「停めてくれ」


「え? あ、はい」


 御者台に向かって声をかけると、すぐに馬車が停止する。


「悪いけど、用事ができたみたいだ。先に帰っていてもらえるかな?」


「別に構いませんけど……」


「悪いね」


 御者に謝ってから、馬車から降りる。

 ローズマリー侯爵家のエンヴレムを付けた馬車が再び走り出し、曲がり角に消えていく。


「……驚いたな。まさか追いかけてくるとは思わなかったよ」


「ハア……ハア……ハア……」


 息を切らしてレストの前に現れたのは腹違いの兄……セドリック・エベルンだった。

 レストが屋敷を出てから、【身体強化】を使って馬車を追いかけてきたのである。

 戦闘時以外も【気配察知】の魔法を発動して、突然の奇襲に備えるようにディーブルから教わっていなかったら気がつかなかっただろう。


「てっきり、屋敷のどこかに軟禁されて勉強させられているものだとばかり思ってたんだけど……抜け出してきたのか?」


「ハア……ハア…………ろす」


「うん?」


「ころ、す……殺して、やる……!」


 セドリックが乱れた呼吸を整えながら、射殺すような強い視線でレストを睨みつけてくる。


「殺してやる……全部、全部、お前のせいだ……お前さえローズマリー侯爵家に引き取られなければ、何もかも上手くいってたんだ……」


「…………」


「俺は試験に合格してたし……ヴィオラとプリムラだって、俺の物になるはずだったのに……!」


「人の婚約者を呼び捨てにするなよ。鬱陶しい」


 レストは愚かな兄に向けて、小馬鹿にしたような目を向ける。


「彼女達は俺のものだし、運命がどう転んだってお前の物にはならないよ。人の婚約者の所有権を勝手に主張するんじゃない」


「お前さえいなければ……お前さえ、俺は宮廷魔術師に……クソ、クソクソクソッ! 俺を馬鹿にするな、どいつもこいつも……俺は天才だ。最強の魔術師なんだ……地位も名誉も女も何もかもを手に入れる男で……!」


「…………」


(ああ、ダメだな。コイツは)


 なんて打たれ弱い男なんだろう。

 セドリック・エベルンは幼少時から親に甘やかされるだけ甘やかされ、レストという弱者を虐げて生きてきた。

 だから、この男は挫折を知らない。失敗を経験していない。

 一年前にローズマリー姉妹を森に連れ出し、危険な目に遭わせたことすら、この男の中では運が悪かっただけで失敗としてカウントされていない。


 だから……弱い。脆い。情けない。

 失敗に打ちのめされ、絶望に苦しんだことのない心はあまりにも弱々しく、たった一度の挫折の前に容易く崩壊してしまった。


「……みっともないな。これが俺の兄なのか」


 呆れつつも、レストはついてこいとばかりに親指で明後日の方向を指す。


「そんなに俺が殺したいっていうのなら相手になってやるよ。付いてきな」


「ぶっ殺してやるぞ、この出来損ない野郎……!」


「今度こそ、正真正銘の決着だ。これまでさんざんやられたお返しをしてやるから、覚悟するんだな」


 言いながら、レストは自分の胸に開いた空白が埋まっていくのを感じた。


(そうか……何かが物足りないと思ったら、セドリックに仕返しをしていなかったからか)


 父親と義母は吠え面をかかせてやったが、セドリックに報復をしていなかった。

 何十発も、何百発も魔法を撃たれたのに、やり返さずして何が決着だ。


(リターンマッチだ。これまでやられた分、きっちりと返させてもらおうか!)


 レストは牙を剥くようにして笑いながら、セドリックを連れて人気のない場所へと向かっていくのだった。


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